トドル・ジフコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
トドル・ジフコフ
Тодор Христов Живков
Todor Živkov (fototeca.iiccr.ro).jpg
生年月日 1911年9月7日
出生地 ブルガリアの旗 ブルガリアプラヴェツ
没年月日 1998年8月5日(満86歳没)
死没地 ブルガリアの旗 ブルガリアソフィア
所属政党 ブルガリア共産党

ブルガリア共産党書記長
任期 1954年3月4日 - 1989年11月10日

任期 1971年7月7日 - 1989年11月17日

任期 1962年11月19日 - 1971年7月7日
テンプレートを表示

トドル・ジフコフТодор Христов Живков, Todor Hristov Zhivkov, 1911年9月7日 - 1998年8月5日)はブルガリア政治家。同国の最高指導者として、35年の長きに渡り君臨した。

プロフィール[編集]

生い立ち[編集]

ジフコフはプラヴェツPravets)近くの小さな村の貧しい家庭に生まれた。青年時代に職を求めてソフィアに移り住んだ。そこでマルクス主義者となり、1932年正式にブルガリア共産党に入党し、コムソモールの一員となった。

政歴[編集]

第二次世界大戦時は、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動に加わり、戦後はブルガリア人民軍司令官として帰国した。その後のブルガリアは王制を廃してブルガリア人民共和国となり、事実上ソビエト連邦衛星国となった。

1951年ジフコフはブルガリア共産党の政治局員となり、1954年3月に党書記長に就任する。1962年にはブルガリア人民共和国閣僚評議会議長(首相)を兼任。1971年7月7日からは、新設のブルガリア人民共和国国家評議会議長(国家元首)を務める。

しかし、冷戦崩壊と体制変化を受け、1989年11月10日に党書記長を辞任し、続いて11月17日に国家評議会議長を辞任した。1998年8月5日、87歳で死去した。

死後の評価[編集]

ジフコフは良くも悪くもブルガリアを発展させた人物であることは間違いない。もともとブルガリアはヨーロッパ最貧国であり、貧しい農業国に過ぎなかったブルガリアをソ連の支援によってある程度の工業の発展に努めたり、失業者が多く他国に出稼ぎをしなければ生きていけなかったブルガリア人共産主義政権下の名のもとに国民全員に最低限の生活が保障されていたことなど社会主義のメリットも多かった。

ブルガリアは共産党の崩壊後、ブルガリア経済は1989年から劇的に縮小。特にソビエト連邦を中心とした東欧の市場を喪失したことは大きな打撃となり、生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだ。さらに、ユーゴスラビアに対しての国連の経済制裁は経済に更なる打撃を与えた。

1994年には、国内総生産の成長と共にインフレーションを抑制するなど、回復の兆しを見せた。しかし1996年には貧弱な経済改革や、不安定な銀行システムにより再び悪化し金融危機に陥った。そこに追い打ちをかけるようにロシア財政危機が発生し、この金融危機はブルガリアにも波及し、国内では失業者が増大、生活も悪化したことから、国民の不満が高まるようになる。その一方でブルガリアでは小オリガルヒともいうべき、財閥や大地主が誕生し、貧富の差が急速に拡大。また治安の面でも社会主義時代とは比較にならないほど悪化。ロシアン・マフィアがブルガリアにも勢力を伸ばし、組織犯罪のネットワークが張り巡らされ、麻薬などの禁制品の密売や女性の人身売買が行われている。過去10年間で、マフィア関連の殺人事件や政治的暗殺の犠牲になった人は100人以上にも上り、首都ソフィアで白昼堂々と殺人が行われたケースもある。

このような現状からブルガリア国内で近年、ジフコフの再評価や社会主義時代を懐かしむ声が急速に高まっている。

マルコフ暗殺事件[編集]

1969年にジフコフ率いる共産政権に反対してイギリスへ亡命し、以降、BBCワールドサービスなどでアナウンサーとして働き、ブルガリアの政権を非難していたゲオルギー・マルコフが、1978年ロンドンリシンを仕込んだ弾丸を打ち込まれて毒殺されたが、この事件は、ジフコフがソ連のユーリ・アンドロポフ書記長に依頼しKGBの支援を取り付け、ブルガリア内務省のエージェントが行った犯行だと考えられている。

日本との関係[編集]

共産主義国の指導者でありながら親日家でもあり、1970年大阪万博出席のため初来日して以降、日本の経済発展に強い感銘を受け、その後も2度(合計3度)来日したほか、有力者を次々に訪日させ「日本ロビー」を形成した[1]

叙勲[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 外務省:ブルガリア共和国 二国間関係 1.政治関係 (1)

関連項目[編集]

公職
先代:
ゲオルギ・ギロフスキ英語版
(議会幹部会議長)
ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
国家評議会議長

初代:1971 - 1989
次代:
ペトゥル・ムラデノフ英語版
先代:
アントン・ユーゴフ英語版
ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
閣僚評議会議長

第5代:1962 - 1971
次代:
スタンコ・トドロフ
党職
先代:
ヴァルコ・チェルベンコフ英語版
ブルガリア共産党書記長
1954 - 1989
次代:
ペトゥル・ムラデノフ英語版