トドル・ジフコフ

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トドル・ジフコフ
Тодор Живков
Todor Živkov (fototeca.iiccr.ro).jpg
トドル・ジフコフ(1979年)

任期 1962年11月19日1971年7月7日
元首 ディミトゥル・ブルバノフ
ゲオルギ・ギロフスキ

任期 1971年7月7日1989年11月17日
後任者 ペトゥル・ムラデノフ

任期 1954年3月4日1989年11月10日

出生 1911年9月7日
ブルガリアの旗 ブルガリア王国、プラヴェツ
死去 1998年8月5日(満86歳没)
ブルガリアの旗 ブルガリアソフィア
政党 ブルガリア共産党
配偶者 マーラ・マレエヴァ

トドル・フリストフ・ジフコフブルガリア語: Тодор Христов Живков, ラテン文字転写: Todor Hristov Zhivkov, 1911年9月7日 - 1998年8月5日)はブルガリア政治家。同国の最高指導者として、35年の長きに渡り君臨した。

生涯[編集]

生い立ち[編集]

プラヴェツ英語版近くの小さな村の貧しい家庭に生まれた。青年時代に職を求めてソフィアに移り住んだ。そこでマルクス主義者となり、1932年正式にブルガリア共産党に入党し、コムソモールの一員となった。

政歴[編集]

第二次世界大戦時は、ナチス・ドイツに対するレジスタンス運動に加わり、戦後はブルガリア人民軍司令官として帰国した。その後、ブルガリアは王制を廃してブルガリア人民共和国となり、事実上ソビエト連邦衛星国となった。

1951年にブルガリア共産党の政治局員となり、1954年3月に党書記長に就任する。1962年にはブルガリア人民共和国閣僚評議会議長(首相)を兼任。1971年7月7日からは、新設のブルガリア人民共和国国家評議会議長(国家元首)を務める。

しかし、冷戦崩壊と体制変化を受け、1989年11月10日に党書記長を辞任し、続いて11月17日に国家評議会議長を辞任した。1998年8月5日、87歳で死去した。

死後の評価[編集]

ジフコフは良くも悪くもブルガリアを発展させた人物であることは間違いない。元々、典型的な農業国であり、ヨーロッパ最貧国の一つでもあったブルガリアをソ連の支援のもと、ある程度の工業化を果たした。その結果、高失業率に悩み、他国に出稼ぎに行かなければ生きていけなかったブルガリア人は、共産主義政権のもと、国民全員が最低限の生活を保障されることとなった。

しかし、ブルガリア経済は共産党の崩壊後、1989年から劇的に縮小。特にソビエト連邦を中心とした東欧の市場を喪失したことは大きな打撃となり、生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだ。さらに、ユーゴスラビアに対する国連の経済制裁はブルガリア経済に更なる打撃を与えた。

1994年には、国内総生産の成長と共にインフレーションを抑制するなど、回復の兆しを見せたが、1996年には貧弱な経済改革や不安定な銀行システムにより再び悪化し、金融危機に陥った。そこに追い打ちをかけるようにロシア財政危機が発生し、ブルガリアへも波及したことから、国内では失業者が増大し、生活水準も低下した。その一方で、小オリガルヒともいうべき財閥や大地主が誕生し、貧富の差が急速に拡大した。また、治安の面でも社会主義時代とは比較にならないほど悪化した。ロシアン・マフィアがブルガリアにも勢力を伸ばし、組織犯罪のネットワークが張り巡らされ、麻薬などの禁制品の密売や女性の人身売買が行われている。過去10年間で、マフィア関連の殺人事件や政治的暗殺の犠牲者は100人以上にも上り、首都ソフィアでは白昼堂々と殺人が行われたケースもある。

このような現状からブルガリア国内で近年、ジフコフの再評価や社会主義時代を懐かしむ声が急速に高まっている。

マルコフ暗殺事件[編集]

1969年にジフコフ率いる共産政権に反対してイギリスへ亡命し、以降、BBCワールドサービスなどでアナウンサーとして働き、ブルガリアの政権を非難していたゲオルギー・マルコフが、1978年ロンドンリシンを仕込んだ弾丸を打ち込まれて毒殺された。この事件はジフコフがソ連のユーリ・アンドロポフ書記長に依頼しKGBの支援を取り付け、ブルガリア内務省のエージェントが行った犯行だと考えられている。

日本との関係[編集]

共産主義国の指導者でありながら親日家でもあり、1970年大阪万博出席のため初訪日して以降、日本の経済発展に強い感銘を受け、その後も2度(合計3度)訪日したほか、有力者を次々に訪日させ「日本ロビー」を形成した[1]

叙勲[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 外務省:ブルガリア共和国 二国間関係 1.政治関係 (1)

関連項目[編集]

公職
先代:
ゲオルギ・ギロフスキ英語版
(議会幹部会議長)
ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
国家評議会議長

初代:1971 - 1989
次代:
ペトゥル・ムラデノフ英語版
先代:
アントン・ユーゴフ英語版
ブルガリアの旗 ブルガリア人民共和国
閣僚評議会議長

第5代:1962 - 1971
次代:
スタンコ・トドロフ
党職
先代:
ヴァルコ・チェルベンコフ英語版
ブルガリア共産党書記長
1954 - 1989
次代:
ペトゥル・ムラデノフ英語版