デール・カーネギー
デール・ブレッケンリッジ・カーネギー(Dale Breckenridge Carnegie, 1888年11月24日 - 1955年11月1日)はアメリカ合衆国の実業家、作家、ビジネスセミナー講師。『人を動かす』『道は開ける』などの自己啓発書は2000万部以上の売上を記録した。
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[編集] 来歴
ミズーリ州の農家に生まれる。ミズーリ州立学芸大学卒業後、新聞記者、俳優、セールスパーソン等雑多な職業を経て、YMCA弁論術担当となり、やがてD・カーネギー研究所設立。人間関係の先駆者として名声を博す。
人間関係の秘訣を記した『人を動かす』を出版する。最初はわずか5000部の販売だったが、とたんにセンセーショナルとなり、世界的なベストセラー、ロングセラーとなる。『人を動かす』は自己啓発書の元祖である。
姉妹書であり、悩みへの対処法について書かれた『道は開ける』も世界的なベストセラーとなる。これらの本は日本でも非常に評価が高く、経営者が勧める本や上司に読んで欲しい本などに名を連ねる事が多い。
苗字は本来Carnageyであり、実業家のアンドリュー・カーネギー(Carnegie)とは血縁関係はない。しかし、アンドリュー・カーネギーの名声にあやかって自らの苗字の綴りを変えた他、彼については模範的経営者として著書でたびたび言及している。
[編集] 日本におけるデール・カーネギー・トレーニング
デール・カーネギーは1939年7月24日に初来日した。日米間のコミュニケーションの向上や文化理解を深めることを目指していた当時の日本の国際観光局と運輸省に招かれ、デール・カーネギーは「くつろぎ旅行」と自ら呼んだ旅で日本を訪れた[1]。
彼を乗せた汽船は横浜に到着、そのまま東京の帝国ホテルに向かった。7月24日から30日まで、東京の外務省や軽井沢の東京日日新聞の代表者らと会談した後、7月31日には東京アメリカンクラブで開催された特別昼食会で主賓として人間関係についてのスピーチを行った[2]。
カーネギーは宮の下、川奈、熱海、蒲郡、岐阜、山田、鳥羽、奈良、京都、広島をそれぞれ訪問しながら下関まで旅行した。旅行中、宮の下の富士屋ホテル、奈良市の奈良ホテル、蒲郡の常盤館、岐阜の長良川ホテルなどに宿泊し、三重県の伊勢神宮や鳥羽のミキモト真珠養殖場を見学する機会もあった[3]。
8月6日に下関から韓国・釜山行きの汽船に乗り、韓国を通りながらやがて北京と上海に到着した[4]。
1939年9月1日、カーネギーは帰国前に再び日本を訪れている。その際は鎌倉の大仏を訪れ、その時も東京の帝国ホテルに宿泊。そして1939年9月4日に米国帰国の途についた[5]。
デール・カーネギーは1953年7月に3度目となる来日を果たし、前回の旅で知り合った人達と会い、京都観光を楽しみんだ[6]。
1963年、デール・カーネギー・トレーニングが日本で立ち上げられた。フランク・モチヅキが自力で日本でのデール・カーネギー運営を果たせるようになるまではハワイ出身のエドウィン・ウィットローがスポンサーとなったが、エドウィン・ウィットスローはオレゴン訪問中だった1980年3月8日に、不慮の交通事故により帰らぬ人となった[7]。
フランク・モチヅキはやがて定年を迎え、山本徳源氏が1994年に後任となったが、翌年の1995年に急逝した[8]ため急きょ山本悠紀子が代表を務め、2007年に定年退職した。その後クレイグ・カークウッドが代表者となり、日本におけるデール・カーネギーの責任者としては、2010年にグレッグ・ストーリー博士にそのバトンが渡された。
[編集] 著書
- 『人を動かす(こうすれば必ず人は動く,How to Win Friends and Influence People)』(日本で430万部、世界で1500万部以上の売上)
- 『道は開ける(How to Stop Worrying and Start Living)』(日本で200万部以上の売上)
- 『カーネギー話し方入門』
- 『カーネギー名言集』
- 『カーネギー人生論』
- 『知られざるリンカーン(Lincoln the Unknown)』
- 『カーネギー 心を動かす話し方―一瞬で人を惹きつける秘訣(The Quick and Easy Way to Effective Speaking)』
- 『人生を変える黄金のスピーチ』宮崎伸治訳、サンマーク出版、2002
[編集] 出典
- ^ 日本国際観光局メモおよび通信文書類
- ^ Ibid
- ^ Ibid
- ^ Ibid
- ^ Ibid
- ^ 創元社 代表取締役 矢部敬一、2011年7月
- ^ ホノルルスターブリテン、1980年3月10日
- ^ カーネギー話し方教室、田中 融二訳、ダイヤモンド社、2003年、258ページ