デープリング

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ウィーン19区
紋章 位置
Wien Wappen Döbling.png Kartewien19.png
区名 デープリング
面積 24.90 km²
人口 67,773人(2007年1月1日)
人口密度 2,698人/km²
郵便番号 1040
区役所所在地 Gatterburggasse 14
A-1190 Wien
公式サイト www.wien.gv.at/doebling/
政治
区長 アドルフ・ティラー
(Adolf Tiller) (ÖVP)
第1副区長 ハンネ・トリンクル
(Hannes Trinkl) (ÖVP)
第2副区長 ゲラルド・コペッキー
(Gerald Kopecky ) (SPÖ)
区議会勢力
(定数46)
ÖVP 20, SPÖ 16, Grüne 6,
FPÖ 4

デープリング(ドイツ語: 19. Bezirk, Döbling, Doebling)はウィーンの行政区の第19区である。デープリングはウィーン中心部の北部に位置しており、アルザーグルント(第9区)、ヴェーリング(第18区)の北側の地区である。デープリングはウィーン郊外の住宅地区として多くの住宅地が広がっており、ウィーンの森との境界にもなっている。グリンツィング、ジーフェリング、ノイシュティフト・アム・ヴァルデ、カースグラデンなど高級住宅地になっており、多くのホイリゲなども立地している。ウィーンではもっとも有名な公共住宅であるゲマインデバウ(Gemeindebau)の一つであるカール=マークス=ホーフも区内に位置している。また、デープリングにはアメリカンスクールもある。

地理[編集]

位置[編集]

デープリングはウィーンの北西部にあり、ウィーンの森からドナウ川ドナウ運河にかけての傾斜地でドナウ運河は東側の区との境界となっている。ドナウ川はデープリングとフローリツドルフ(第21区)との境界となっており、ドナウ運河はブリギッテナウ(第20区)との境界となっている。ギュルテル橋(Gürtel)はドナウ運河に架かっており、デープリングの地区を分けている。南側を通る道路ウィーンベルトアルザーグルント(第9区)との境界となっている。

地勢[編集]

デープリングは32.6%は市街地となっていて、そのうち85.2%は住宅地になっている。緑地は51.8%(ウィーン全体では48.3%)を占めており、デープリングはウィーンの行政区内では5番目に緑の多い区となっている。そのうち14.9%は農地に使われており、主に葡萄園に使われておりワインで有名な地となっている。緑地のうち25.4%は森林で、5.3%は牧草地、2.7%は小規模な庭園、2.5%は公園、0.9%はスポーツ施設、レクレーション施設などに使われている。残りの11.0%は道路などの交通用地、4.6%は水域となっている。

丘陵地[編集]

レオポルドベルクの丘

デープリングはウィーンの森の多くの丘が横切っている。多くはニーダーエスターライヒ州と近隣の地区との境界を横切っている。一番高いものは、ヘルマンスコーゲル(Hermannskogel)で542mあるが、デープリングのシンボルとなるのは484mあるカーレンベルク(Kahlenberg)と近くの427mあるレオポルドベルクである。他の地区にもそれぞれ丘が横切っており、丘上からはウィーンの市街地を望むことが出来る。

水路[編集]

ヌスドルフの水路

デープリングでは多くの流れがもたらされているが、現在ではその多くは人工的なものか水路の流れに導かれている。森林の流れ(Waldbach)を除いてそれらはドナウ運河に流れ込む。ウィーンの森の砂岩地帯での集水地のため、通常の水の量の倍以上を集めることが出来る。多く水を集まるため、特にクロッテンバッハ沿いでは何度も洪水が起こっている。クロッテンバッハはデープリングにとっては重要な流れなため、完全な水路が敷かれている。

地区[編集]

デープリングの地区

デープリングは10地区に分かれている。

歴史[編集]

デープリングに人が住み始めたのは5,000年以上前とされている。デープリング、ヌスドルフ、ハイリゲンシュタットにかけての一帯に続いて、ジンメリンク・ラント通りでおそらく今日ではこれらの一帯はウィーンでも最も古くから人が住んでいる地域と考えられている。レオポルドベルクの丘は武器の村で防御のための塔があり、住民は周囲の村々から危険を負っていた。科学的にドナウ=ランド文化について言及されており、この地域の住民はもともと、インド・ヨーロッパ語族ではなかった。1000数年後までウィーン地域では移住して来たイリリア人ケルト人が混在し住んでいた。

ローマ帝国と現在のデープリングの関係はいくつかの発見に関連が見られる。ハイリゲンシュタットではリーメスの防御のための塔が見つかっており、ジーフェリンクではローマ時代のミスラ寺院が発見されており、ハイリゲンシュタットで発見された教会共にローマ時代の墓地と関係している。ローマ時代、ジーフェリンクには大きな石切り場があり多数の労働者が居住していた。さらに住民の生活の糧を得る手段として葡萄園も開かれ、葡萄園はローマがやって来る以前より行われていたと考えられている。

デープリングは戦略上の地点として占拠や略奪に見舞われた。1683年に起きた第二次ウィーン包囲はその後のこの地域に与えた影響は大きい。

デープリングは丘が多い地形と森で覆われた地域で貴族の為の猟場にも使われており、小川や村の間に残り多くの地域に広がっていた。デープリングの地勢は多くのワイン生産者も惹きつけている。貴族たちが作った村や狩猟小屋、ウィーンの上流市民のホイリゲのワインガーデンでのリラックスなど繁栄していった。開発された村は人口の増加に伴って、大きくなり1892年にウィーンと統合され行政区としてのデープリングが設立されている。

デープリングはその後も中産・上流階級の地域として開発が進んでいった。第一次世界大戦時と第二次世界大戦時に社会主義のウィーン市政府は多くの地区に公共住宅を計画している。カール=マークス=ホーフはその中でも一番規模の大きなものであった。デープリングの郊外はユダヤ人の人口比率が高い地区もある。水晶の夜の時には多くの破壊が行われた。

語源[編集]

デープリングが最初に文書に記されたのは1114年の"de Teopilic"であった。デープリングの地名はスラヴ語のtopl’ikaからで沼沢の多い地やじめじめした場所と言う意味からである。デープリングはクロッテンバッハと関係しており、古代スラヴ語のToplica(暖かい流れの意)が転じてToblichやTöbling、Teplingなどの地名に使われている可能性がある。1890年代の行政区の制定では最終的に"Döbling"の名が付けられた。

ゆかりの人物[編集]

姉妹都市[編集]

外部リンク[編集]