デ・ラ・ペンネ級駆逐艦

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デ・ラ・ペンネ級駆逐艦
Durand de la Penne D560.jpg
艦級概観
艦種 ミサイル駆逐艦
建造期間 1988年 - 1991年
就役期間 1993年 - 現在
前級 アウダーチェ級駆逐艦
次級 アンドレア・ドーリア級駆逐艦
性能諸元
排水量 基準: 4,500t
満載: 5,400t
全長 147.7m
全幅 16.0m
機関 CODOG方式
GE/Avio LM2500 ガスタービンエンジン (55,000 hp 2基
BL-230-20-DVM ディーゼルエンジン(12,600 hp) 2基
速力 32kt
航続距離 7,000 nmi / 18kt
乗員 377名
兵装 127mm単装速射砲 1基
76mm単装速射砲 3基
Mk.13 単装ミサイル発射機
SM-1MR SAM × 40)
1基
Mk.29 8連装ミサイル発射機
アルバトロス短SAM×16)
1基
テセオMk.2 SSM 連装発射筒 4基
3連装短魚雷発射管
MU90短魚雷)
2基
艦載機 AB-212 ASW哨戒ヘリコプター 2機
C4I NTDSリンク 11/14
SADOC-2 戦術情報処理装置
Mk.74 ミサイルFCS
ダルド-E CIWS
レーダー AN/SPS-52 3次元対空捜索
AESN MM/SPS-768 長距離対空捜索
MM/SPS-774(RAN-10S) 対空捜索
MM/SPS-702 対水上捜索
MM/SPN-703 航法
TRN-30X (MM/SPG-76) 射撃指揮 4基
ソナー DE-1167 艦首装備式
DE-1163 可変深度式
電子戦
対抗手段
SLQ-732 NETTUNO 統合電子戦装置
SAGAIE チャフフレア発射機
AN/SLQ-25対魚雷デコイ

デ・ラ・ペンネ級駆逐艦: caccia classe de la penne)は、イタリア海軍ミサイル駆逐艦の艦級。

概要[編集]

本級の計画は1975年の海軍法に端を発しており、このときにはインパヴィド級駆逐艦を更新するためのスーパー・アウダーチェ級として2隻の建造が予定されていた。しかし予算上の問題から延期され、1984年の計画で改めて計画された。当初は「アニモーソ」と「アルディメントーソ」と命名される予定であったが、進水後にイタリア海軍の英雄に因んだ名前に変更され、それぞれ「ルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンネ」、「フランチェスコ・ミンベッリ」と改名されて、1993年に就役した。

本級は、先行するアウダーチェ級駆逐艦の武器システムに小改正を加えたうえで、より先進的な船体に搭載した設計となっている。船体にはステルス性への配慮が導入されており、推進機関にはCODOG方式が採用された。また、フォークランド紛争の戦訓から残存性が強化されており、枢要区画にはケブラー繊維による装甲が施され、また機関部配置は独立した4区画とされている。

本級は、アウダーチェ級と同様に、艦隊防空ミサイル(スタンダードMR)と個艦防空ミサイル(シースパローIPDMS)、5インチ砲(オート・メラーラ 127 mm 砲) と3インチ砲(オート・メラーラ 76 mm 砲)を重複して搭載するという重武装で知られている。その一方、イージスシステムなどの先進的な武器システムが就役しはじめた時期において、アウダーチェ級と同様のターター-D・システムを搭載したことによって批判に曝されることとなった。特に、在来型の旋回式発射機であるMk.13 GMLSの採用については、Mk.41などVLSに換装すべきであるという主張が、海軍部内からもなされていた。しかしこれには、本級の原計画は1970年代のものであり、性能向上と引き換えのこれ以上の遅延は政治的に許容できなかったことから、漸進的な改良に留められたという経緯があった。[1]

なお、本級では、テセオ艦対艦ミサイルをミラス対潜ミサイルに積み替え可能としているが、哨戒ヘリコプターを2機搭載しており艦固有の長距離対潜火力の必要性に乏しいことから、ミラスへの換装は実際には確認されていない。

同型艦[編集]

艦番号 艦名 旧名 起工 進水 就役
D 560 ルイージ・ドゥランド・デ・ラ・ペンネ
Luigi Durand de la Penne
アニモーソ
Animoso
1988年 1989年
10月20日
1993年
3月18日
D 561 フランチェスコ・ミンベッリ
Francesco Mimbelli
アルディメントーソ
Ardimentoso
1989年 1991年
4月13日
1993年
10月18日

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木昌「イタリア海軍の艦艇新造計画をさぐる」、『世界の艦船』第365集、海人社、1986年6月、 80-87頁。

関連項目[編集]