デビッド・ベッドフォード

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デビッド・ベッドフォード(David Vickerman Bedford, 1937年8月4日 - 2011年10月1日[1])は、イギリス作曲家演奏家クラシック音楽ポピュラー音楽の双方で活躍した。

人物[編集]

ロンドン出身。弟は指揮者スチュアート・ベッドフォード英語版。祖父は作曲家・画家作家ハーバート・ベッドフォード。祖母は作曲家のリザ・レーマン

ベッドフォードは英国王立音楽院レノックス・バークリーに師事し、音楽を学んだ。後にヴェネツィアルイジ・ノーノに師事した。1960年代の末に、ケヴィン・エアーズのアルバム「Joy of a Toy」のオーケストレーションを請け負い、キーボードの演奏でも参加した。その縁で、エアーズのバンド「The Whole World」のキーボーディストになった。

エアーズを通して、彼は当時The Whole Worldのベーシスト兼ギタリストだったマイク・オールドフィールドと知り合い、1970年代になって、彼はオールドフィールドのアルバム「Orchestral Tubular Bells」のオーケストレーションと指揮を行った。オーケストラを交えたこのレコードはヴァージンレーベルをシリアスな音楽シーンに登場させることになった。引き続き、ベッドフォードはヴァージンレーベルに多くのレコードを残すことになる。オーケストラの迫力を見せるもの、ベッドフォード自身のキーボードを聞かせるものなどさまざまであった。後には、様々な種類のミュージシャンと共演した。例えばエルヴィス・コステロロル・コックスヒル英語版a-haフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドロバート・ワイアットマッドネスビリー・ブラッグ英語版らである。

その間もベッドフォードは常にアヴァンギャルドなクラシック作品を書き続けた。1971年の「Star Clusters, Nebulae and Places in Devon」(合唱と金管楽器のための)が知名度が高い。同年の「With 100 Kazoos」では器楽アンサンブルが聴衆の中から呼び出された人とカズーを演奏する。玄人と素人の共演という趣向は他にも見られ、例えば1986年の「Seascapes」ではフルオーケストラが学校の児童生徒と共演するし、1991年の「Stories From The Dreamtime」は40人の聾児とオーケストラのために書かれた。その他、委嘱による吹奏楽作品も手がけており、東京佼成ウインドオーケストラによる委嘱作品「カノンとカデンツァ」という作品もある。

1968年から1980年にかけて、ベッドフォードはロンドンにあるいくつかのセカンダリスクールで音楽を教えた。その際、大量の教育用音楽を作曲し注目された。彼はしばしば革新的な記譜法を用い、図形楽譜をも愛用した。子供や、その他伝統的な楽譜を読めない人々にも開かれた音楽となったのである。

総論としては、ベッドフォードの音楽には和声が停滞する傾向があり、むしろ音色とテクスチャーの変化をもとに構成されている。声楽を伴う作品ではアメリカの詩人ケネス・パッチェン英語版の作品を用いることが多い。

1969年から1986年にかけて、ロンドンのクイーンズ・カレッジ英語版の常任作曲家であった。1996年にはイングリッシュ・シンフォニアの提携作曲家(Composer in Association)に採用された。2001年には、以前副代表をつとめた著作権管理団体PRS for Musicの代表になった。

2011年10月1日、死去。74歳没[1]

豆知識[編集]

  • 「Song of the White Horse」の録音の際、曲の最後にあらわれる最高音が余りに高いため、リードソプラノの Diana Coulson はヘリウムガスを吸入する必要があった。

脚注[編集]

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