デビッドソン・エジンワ

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デビッドソン・エジンワ Portal:陸上競技
選手情報
ラテン文字 Davidson Ezinwa
国籍 ナイジェリアの旗 ナイジェリア
競技 陸上競技 (短距離走)
種目 60m, 100m, 200m
生年月日 (1971-11-22) 1971年11月22日(52歳)
身長 184cm
体重 82kg
成績
オリンピック 100m 6位 (1996年)
4x100mR 2位 (1992年)
世界選手権 100m 6位 (1997年)
4x100mR 2位 (1997年)
地域大会決勝 コモンウェルスゲームズ
100m 2位 (1990年)
200m 5位 (1990年)
4x100mR 2位 (1990年)
最高世界ランク 100m 2位 9秒96 (1992年)
自己ベスト
50m 5秒64 (1992年)
60m 6秒51 (1999年)
100m 9秒94 (1994年)
200m 20秒25 (1992年)
獲得メダル
陸上競技
ナイジェリアの旗 ナイジェリア
オリンピック
1992 バルセロナ 4x100mR
世界選手権
1997 アテネ 4x100mR
世界室内選手権
1997 パリ 60m
コモンウェルスゲームズ
1990 オークランド 100m
1990 オークランド 4x100mR
アフリカ競技大会
1995 ハラレ 100m
1991 カイロ 100m
アフリカ選手権
1988 アンナバ 200m
1989 ラゴス 200m
世界ジュニア選手権
1990 プロヴディフ 100m
1990 プロヴディフ 200m
1990 プロヴディフ 4x100mR
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デビッドソン・エジンワDavidson Ezinwa1971年11月22日 ‐ )は、ナイジェリアの元陸上競技選手。専門は短距離走100mの自己ベストは9秒94の元ナイジェリア記録保持者。1992年バルセロナオリンピック男子4×100mリレーの銀メダリストである。

経歴[編集]

1991年8月、東京世界選手権でシニアの世界選手権初出場を果たすと、男子100mは準決勝まで進出したものの10秒20(+1.1)の組7着に終わった[1]。男子4×100mリレーではナイジェリアチーム(George Ogbeideオラパデ・アデニケンVictor Omagbemi、エジンワ)のアンカーを務め、決勝では38秒43のアフリカ記録(当時)を樹立しての4位に貢献した[2]

1992年4月、18日に100mで9秒96(-0.6)のナイジェリア記録(当時)を樹立。14日前にオラパデ・アデニケンがマークした9秒97を塗り替え、10秒の壁を突破したナイジェリア史上2人目の選手となった。それから3日後の21日には9秒91(-2.3)をマークしたが、この記録は風速が疑わしいとして国際陸上競技連盟から公認されなかった。

1992年8月、バルセロナオリンピックの男子100mで決勝に進出し、この種目ではオラパデ・アデニケンと共にナイジェリア勢初の100mファイナリストとなったが[注 1]、決勝は10秒26(+0.5)の8位に終わった。男子4×100mリレー決勝ではナイジェリアチーム(Oluyemi Kayodeチディ・イモー、オラパデ・アデニケン、エジンワ)のアンカーを務めると、37秒98をマークしての2位に貢献し、この種目ではナイジェリア勢初のメダルとなる銀メダルを獲得した[注 2]

1994年7月4日、100mで9秒94(+0.2)のナイジェリア記録(当時)を樹立し、1994年4月16日にオラパデ・アデニケンがマークした9秒95を塗り替えた。

1996年7月、アトランタオリンピックの男子100mで前回大会に続いてファイナリストとなり、決勝では10秒14(+0.7)をマークして6位に入った。

1997年3月、パリ世界室内選手権の男子60m決勝で6秒52の自己ベスト(当時)をマーク。ハラランブラス・パパディアス英語版(6秒50)、マイケル・グリーン(6秒51)に次ぐ3位に入り、シニアの世界大会個人種目で初のメダルとなる銅メダルを獲得した[3]

1997年8月、アテネ世界選手権に出場。男子100mでは準決勝を10秒15(-0.8)の組2着で突破し、世界選手権の男子100mでは初のファイナリストとなり[4]、決勝では10秒10(+0.2)とタイムを縮め6位に入った[5]。男子4×100mリレーではナイジェリアチーム(オズモンド・エジンワ英語版、オラパデ・アデニケン、フランシス・オビクウェル、デビッドソン・エジンワ)のアンカーを務めると、準決勝では37秒94のアフリカ記録を樹立。決勝では38秒07をマークしてカナダ(37秒86)に次ぐ2位に入り[6]、4×100mリレーでは男女通じてナイジェリア勢初のメダルとなる銀メダルを獲得した。

家族[編集]

双子の兄弟のオズモンド・エジンワ英語版もスプリンターで、100mで10秒05の自己ベストを持つ。1997年アテネ世界選手権の男子4×100mリレーでは、オズモンドが1走、デビットソンが4走を務めて銀メダルを獲得している(準決勝で37秒94のアフリカ記録を樹立)。

自己ベスト[編集]

記録欄の( )内の数字は風速m/s)で、+は追い風を意味する。

種目 記録 年月日 場所 備考
屋外
100m 9秒94 (+0.2) 1994年7月4日 オーストリアの旗 リンツ 元ナイジェリア記録
ナイジェリア歴代3位
200m 20秒25 (+0.8) 1992年6月6日 スペインの旗 セビリア
室内
50m 5秒64 1992年2月15日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス
60m 6秒51 1999年1月29日 ドイツの旗 ケムニッツ

主要大会成績[編集]

備考欄の記録は当時のもの

大会 場所 種目 結果 記録 備考
1988 アフリカ選手権 (en アルジェリアの旗 アンナバ 200m 優勝 20秒97
1989 アフリカ選手権 (en ナイジェリアの旗 ラゴス 200m 2位 20秒82
ワールドカップ (en スペインの旗 バルセロナ 4x100mR 4位 38秒81 (4走) アフリカ代表[注 3]
1990 コモンウェルスゲームズ (en ニュージーランドの旗 オークランド 100m 2位 10秒05 (+3.9)
200m 5位 20秒44 (+2.4)
4x100mR 2位 38秒85 (2走)
世界ジュニア選手権 ブルガリアの旗 プロヴディフ 100m 優勝 10秒17 (+0.7)
200m 2位 20秒75 (-0.5)
4x100mR 3位 39秒68 (2走)
1991 世界選手権 日本の旗 東京 100m 準決勝 10秒20 (+1.1)
4x100mR 4位 38秒43 (4走) アフリカ記録
アフリカ競技大会 (en エジプトの旗 カイロ 100m 2位 10秒24
1992 オリンピック スペインの旗 バルセロナ 100m 8位 10秒26 (+0.5)
4x100mR 2位 37秒98 (4走)
1994 グランプリファイナル (en フランスの旗 パリ 100m 7位 10秒46 (-0.6)
1995 世界選手権 スウェーデンの旗 イェーテボリ 100m 1次予選 DNS
アフリカ競技大会 (en ジンバブエの旗 ハラレ 100m 優勝 10秒24
1996 オリンピック アメリカ合衆国の旗 アトランタ 100m 6位 10秒14 (+0.7)
4x100mR 準決勝 DNF (4走)
1997 世界室内選手権 フランスの旗 パリ 60m 3位 6秒52
世界選手権 ギリシャの旗 アテネ 100m 6位 10秒10 (+0.2)
4x100mR 2位 38秒07 (4走)
1999 世界選手権 スペインの旗 セビリア 100m 準決勝
失格
10秒40 (-0.3)
DQ
ドーピング

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 女子もこの大会でメアリー・オンヤリがファイナリスト(7位)となった。
  2. ^ 女子もこの大会で銅メダルを獲得した。
  3. ^ 混成チーム。1走はセネガルAmadou M'Baye、2走はナイジェリアのチディ・イモー、3走はナイジェリアのオラパデ・アデニケン、4走がエジンワ。

出典[編集]

外部リンク[編集]

記録
先代
オラパデ・アデニケン
(9秒97)
1992年4月4日
男子100m
ナイジェリア記録保持者
(9秒96)

1992年4月18日 - 1994年4月16日
次代
オラパデ・アデニケン
(9秒95)
1994年4月16日
先代
オラパデ・アデニケン
(9秒95)
1994年4月16日
男子100m
ナイジェリア記録保持者
(9秒94)

1994年7月4日 - 1998年9月11日
次代
セウン・オグンコヤ
(9秒94・9秒92)
タイ記録 / 1998年8月19日
新記録 / 1998年9月11日
功績
1人目
オラパデ・アデニケン
(9秒97)
1992年4月4日
男子100m
10秒の壁を破ったナイジェリア人
(9秒96)

1992年4月18日
3人目
ダニエル・エフィオング英語版
(9秒99)
1993年5月21日