デニス・ランバート

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ジョーのパブNYCでのポスター2013

デニス・ランバート  (Dennis Lambert、1947年ブルックリン[要曖昧さ回避]生まれ)はアメリカ人の音楽家・ソングライター・プロデューサー。ブライアン・ポッターと組んでのブルー・アイド・ソウル的な作風で、主に1970年代に活躍した。

仕事[編集]

始まり[編集]

1960年キャピトル・レコードと契約。

1960年代半ばには他のアーティストのために作曲・制作を行っていた。

最初の相方ルー・コートニーとともに

らへ楽曲を提供した。

1965年マーキュリー・レコードA&Rになり、クインシー・ジョーンズシェルビー・シングルトン英語版に師事する。

その後ドン・コスタに従いDCPレコードに入社、A&R部門を経営し、制作・作曲した。ベトナム戦争中のアメリカ陸軍でしばらく仕事をし、1968年にロサンゼルスに引っ越した。

ポッターとの共同作業[編集]

1969年、ソングライター兼ミュージシャンの若きイギリス人ブライアン・ポッターとロンドンで出会い、11年におよぶ実り豊かな共作を始めた。二人はロサンゼルスの新興レーベル「タレント・アソシエーツ」に参加。そのレーベルはプロデューサー・スティーブ・ビンダーが設立していた。

カナダのグループ、オリジナル・キャストと契約。『One Tin Soldier』がヒットする。日本では「ミスター・マンデイ」が大ヒットした。またシールズ・アンド・クロフツなども育てている。

タレント・アソシエーツが売却されると同社の出版権は1971年にABCダンヒル・レコードに移り二人は同レーベルに移籍。

をプロデュース。A&Rチーフのスティーブ・バリとよく仕事した。

ランバートは1972年にソロ・アルバム『Bags & Things』を発表。

1974年、彼ら自身のレーベル「ヘイヴン・レコード」を設立。配給はキャピトル・レコードで、ライチャス・ブラザーズ,グラス・ルーツ、イーヴィー・サンズ英語版、プレイヤーなどの作品を発表。キャピトル・レコードのタヴァレスやグレン・キャンベルも担当した。

1970年代に制作した作品には

  • フォー・トップスー『Ain't No Woman (Like the One I've Got)』(後にジェイ-Zの『Ain't No Nigga』にサンプリングされ、ニューヨークでヒットした)、『Keeper of the Castle』、『Are You Man Enough』(シャフト・イン・アフリカに収録)
  • ハミルトン・ジョーフランク&レイノルズー『Don't Pull Your Love』(恋のかけひき)(1971)
  • グラス・ルーツ[要曖昧さ回避]ー『恋は二人のハーモニー』(1972)『涙の滑走路』(1972)
  • イーヴィー・サンズー『You Brought A Woman Out Of Me』(1975)
  • タヴァレスー『It Only Takes a Minute』(1975)
  • プレイヤー[要曖昧さ回避]ー『Baby Come Back』(1978)
  • グレン・キャンベルー『ラインストーン・カウボーイ』(1975)

などがある。

1974年にライチャス・ブラザーズの大ヒット・アルバム『Rock and Roll Heaven』を制作し、彼らを復活させた。

1980年代以降[編集]

などがヒット。

1990年代にはデイヴ・コーズリトル・リバー・バンド(en:Little River Band)、エレイン・ペイジディオンヌ・ワーウィックなどと仕事。エドワード・ジェームズ・オルモス監督の映画『アメリカン・ミー英語版』のスコアも担当。

1990年代中期についにニューヨークに戻り、「バビロン・エンタテインメント」設立。配給はトラウマ・レコード(BMG)。

2000年代に南フロリダに引っ越し。彼を撮った長編ドキュメンタリー映画『Of All The Things』を息子の脚本家ジョディ・ランバートが監督した。同作はThe Philippinesの全米ツアーに参加したランバートを撮影している。2011年, ワーナー・ブラザース映画会社とスティーブ・キャレルはランバートの生涯を元にした映画を製作するプランがあると発表。

近年はポッターと再合流してブロードウェイのミュージカルを鋭意制作中。ランバートは歌手としてライブ、ツアーを行っている。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

シングル[編集]

  • "Dream On" (ダンヒル, 1972)
  • "Ashes to Ashes" (ダンヒル, 1972)

参照[編集]