デッドボール時代

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デッドボール時代 (The dead-ball era) とは、メジャーリーグベースボール1900年前後から1919年までをさす野球用語である。「デッドボール」とは当時使われていた「飛ばないボール」のことを指す(死球を「デッドボール」と呼ぶのは和製英語)。

この時代の始まりを野球の起源にもとめることもあるが、終わりは1919年のベーブ・ルースというパワーヒッターの登場で一致している。この最後の年にルースはアメリカンリーグ記録となる29本の本塁打を放っているが、これは当時としては華々しいまでの偉業だった。

飛ばないボールの時代の特徴はロースコアと本塁打の欠乏である。メジャー史上最もリーグ得点率が低かったのは1908年だが、この年は一試合あたりの得点が平均で3.4しかなかった。しかしその後ルールが改正されるとともにベーブ・ルースを始めとした強打者が出現したことであっけなくデッドボールの時代は終った。第一次世界大戦に勝利し狂騒の20年代を過ごすことになるアメリカ合衆国の野球界では、本塁打が量産されるライブボール時代が始まった[1]

飛ばないボールの時代の野球[編集]

デッドボール時代の塁打率(ハイライト部分が1900年-1918年)とその内訳
デッドボール時代の1試合あたりの得点(同上)

飛ばないボールの時代の野球は戦略が試合を動かした。つまり今日でいうスモール・ベースボールやインサイド・ベースボールというプレースタイルがとられていた。そのため盗塁ヒットエンドランなどのプレーが本塁打よりもはるかに信頼され[2]、そしておそらく必然的にスピード重視の戦略が取られた。飛ばないボールの時代ほど盗塁が多かった時期は存在しないほどであったが、それはこの頃の野球チームが本塁打の出にくい広大な球場でプレイしていた上、現代の野球と比べ、この頃のボールは酷く使い回され、デザイン自体も飛ばすのには向かない「デッドボール」だったからである。塁を得るためには、ボルチモア・オリオールズが1890年代に多用したボルチモア・チョップのようなパワーを必要としないヒットが有効だった[3]。典型的な展開は、走者を出したならば盗塁か犠打をして二塁、三塁と進め、ヒットエンドランなどで本塁に返すというもので、前世紀のスタイルを引きずっていた。本塁打を出す前に「走者を溜める」といった考えが登場するのはずっと後のことである[4]

この時代にはパワーよりスピードが求められたことを示す例はいくらでも見つかる。1900年から1920年にかけてシーズン10本塁打以下の首位打者が出現する年が13度あり、リーグトップが20本塁打以上を打っている年は4度しかない。一方で最多三塁打の打者が20本以上打っている例は20ある。1912年に36本の三塁打を放ち、おそらく―ほとんど知られていない―破られることのない記録を打ち立てたピッツバーグ・パイレーツチーフ・ウィルソンや、通算309本の三塁打を打っているサム・クロフォードもこの時代の選手である[5]

スピードがあったチームでも、飛ばないボールの時代には得点が伸び悩んだ。メジャーリーグの累積打率(Major league cumulative batting averages)はナショナルリーグで.239から.279、アメリカンリーグで.239から.283という開きがある。投手長打を恐れなくてもよかったため、パワーが欠けた試合は低調な塁打率や出塁率にもつながった。この時代の「どん底」とされるのは1907年から1908年にかけてで、2リーグ間の平均打率が.239、長打率が.306、防御率が2.40を切っている。この年のシカゴ・ホワイトソックスは年間で3本塁打しか打っていないが、シーズンを88勝64敗で終え、ペナント制覇にも届きかけていた[6]

革は木よりも強しってことがわかったろう(This should prove that leather is mightier than wood)

—1906年に.230の打率でワールドシリーズを制した「ヒットなしの驚くべき連中」[7]ホワイトソックスの監督フィールダー・ジョーンズ
The Love of Baseball. Paul Adomites, Robert Cassidy, Bruce Herman, Dan Schlossberg, and Saul Wisnia, 2007 ISBN 9781412711319より)

ロースコアの試合には不満の声があがり、ボールを変えて状況を改善しようという動きが起こった。1909年にはベン・シャイブがコルクを芯にしたボールを開発し、それをアリーグの公式球を納入していた会社が販売した[8]。これが規格化されるのは1911年だが、その後の本塁打の数をみても新しいボールの効果は明らかだった[9]1910年のアリーグの平均打率は.243で、翌1912年には.273に上がった。ナリーグの場合は、1910年の.256から1912年の.272と急上昇をみせた。タイ・カッブが最高の成績を上げたのも1911年である。カッブはこの年に248本のヒットを打ち、打率が.420だった。ジョー・ジャクソンは同じ年に.408で、カッブは翌1912年に.410を放った(1902年から1919年にかけて出現した4割打者はこれで全てである)。しかし1913年にはマイナーリーグから来たラス・フォードの「偶然の発明」にも助けられて、投手が優位を取り戻すようになる。フォードはあるときたまたまコンクリートの壁で傷つけてしまったボールを投げた。そしてボールは打者に届くがはやいか急激に変化することに気づいたのである。こうして生まれたエメリーボールだけでなく、スピットボールの使用もすぐに常態化していった。打者を手玉にとる武器としてこういった投球が行われた背景には、試合を通じて同じボールが使われ、交換されることはほとんどなかったという事実がある。そして試合が進めば、ボールはどんどんこすられて変化が増すために打つことはますます難しくなった。そして汚れがついてボールを視認することも困難になった。1914年には得点は勢い1911年以前の水準に戻り、それが1919年まで続くことになった[10]

ラス・フォードのベースボールカード

こういった試合の傾向は選手のニックネームに皮肉な運命をもたらした。飛ばないボールの時代に非常に高い成績を挙げた選手の一人であるフランク・ベーカーは、ホームラン・ベイカーとあだ名されたが、ベイカーは1911年のワールドシリーズで2本塁打を放っただけでこう呼ばれたのである。ベイカーはアメリカンリーグで4度の本塁打王に輝いて通算で96本の本塁打を放ち、キャリアハイの本塁打数は1912年のシーズンだった。

飛ばないボールの時代最高の打者はフィラデルフィア・フィリーズの外野手ギャビー・クラバスである。クラバスはナリーグで本塁打王6回を数え、1915年のフィリーズがリーグ優勝を果たしたシーズンには自己最高の24本塁打を放った。また1913年と1914年にはそれぞれ19本塁打を放っている。しかしクラバスがベイカー・ボウルを本拠地にしていたことも大きい。この球場は打者に有利な球場として悪名が高く、本塁から右翼のフェンスまで 280フィート (85 m) しかなかった。

要因[編集]

飛ばないボールの時代に得点が劇的に低下した要因には次のものがある。

ファウルボールの扱い[編集]

ファウルボールをストライクにとるルールが、わずか数年で当時の野球をハイスコアが生まれるゲームから点をとることがそもそも難しくなるものへと変えてしまった。この意味で非常に大きなルール変更だった。それ以前にはファウルはストライクにはカウントされなかった。したがって打者は犠打をしなければ何球でもファウルにすることができ、非常に打者に有利なルールだった。1901年にナショナルリーグがファウルをストライクにすることを決め、アメリカンリーグも1903年に続いた[11]

ボールの性質[編集]

1921年以前にはボールは一試合につき100回は投げられることも珍しくなく、ほどけ始めるまで使われた。初期の野球リーグは非常にコスト意識が高く、ファンもスタンドまで打ち込まれたボールをグラウンドに投げ返さねばならないほどだった。そして使い込まれたボールはそれに応じて軟らかくなるが、そうなると新品の硬いボールよりも打撃がはるかに難しくなる。またボール自体がそもそも軟らかく、本塁打の減少を招いたのではないかという主張もある。

スピットボール[編集]

投手が投球前にボールに手を加えていることも打撃が難しくなる要因であり、例えばスピットボールは1921年以前には黙認状態だった。他にも傷をつけたり、こするなどボールに動きが加えられるためには何でもありの状況だった。そのためボールは今よりも「踊り」よく曲がった。タバコジュース(煙草を噛んだ後の唾液)をつけるのもよくある手口で、自然とボールは汚れた。特に1930年代後半になるまで球場には照明がなかったため、ボールを目視することが難しくなったのである。これは打撃も困難になったが、捕球も大変だった。

球場の面積[編集]

多くの球場が広大な面積を誇っていた。例えばシカゴ・カブスのウエスト・サイド・パークは正面のフェンスまで560フィート、ボストン・レッドソックスのハンティントン・アベニュー・グラウンズは635フィートもあった。ブレーブス・フィールドなどは、タイ・カッブに「誰が球場の外までヒットを打てる?」と言わせたほどである。

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ David Vincent 2008, p. 57
  2. ^ Daniel Okrent, Harris Lewine, David Nemec (2000) "The Ultimate Baseball Book", Houghton Mifflin Books,ISBN 0618056688 , p.33
  3. ^ Burt Solomon (2000) "Where They Ain't: The Fabled Life And Untimely Death Of The Original Baltimore Orioles", Simon and Schuster, ISBN 0684859173 Excerpt
  4. ^ David Vincent 2008, p. 20
  5. ^ Year-by-Year League Leaders & Records, Baseball-Reference.com
  6. ^ League Index Season to Season League Statistical Totals, Baseball-Reference.com
  7. ^ 研究者リーダーズ英和辞典 第2版のHitless Wondersの訳語を使用した
  8. ^ Rawlings Sporting Goods Company (July 1963). Evolution of the Ball. Books.Google.com. http://books.google.com/books?id=JC4DAAAAMBAJ&pg=PA69&lpg=PA69&dq=introduction+of+the+cork-centered+baseball&source=bl&ots=_MorwkUt4g&sig=N_8aFf_kEkLphuDLvdfrdJJL1vE&hl=en&ei=GrprTInvDIT7lwfImKWYAQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=2&ved=0CBgQ6AEwAQ#v=onepage&q&f=false 2011年6月14日閲覧。. 
  9. ^ David Vincent 2008, p. 29
  10. ^ Timothy A. Johnson (2004) "Baseball and the Music of Charles Ives: A Proving Ground", Scarecrow Press, ISBN 0810849992 Excerpt pg. 28
  11. ^ Baseball Reference Bullpen Foul strike rule, Baseball-Reference.com
参考文献
  • David Vincent (2008). Home Run: The Definitive History of Baseball's Ultimate Weapon. Potomac Books Inc.. ISBN 978-1597970365. 

外部リンク[編集]