デス (バンド)

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デスDEATH)は、アメリカフロリダ州タンパ出身のデスメタルバンド。1980年代から1990年代を通して活動していたが、ギタリスト・ボーカリストのチャック・シュルディナー (Chuck Schuldiner) を除いてはメンバーチェンジが激しく、アルバムごとに殆どのメンバーが入れ替わっていた。特に初期の活動は、デスメタルというジャンルの成立に大きな影響を残している。デスメタルという名前は、このバンドにちなんで付けられたとする説もある。1995年には来日公演を行っている。

モービッド・エンジェル(MORBOD ANGEL)オビチュアリー(OBITUARY)ディーサイド(DEICIDE)らと共にフロリダを中心に活動を行い、カンニバル・コープス(CANNIBAL CORPSE)サフォケイション(SUFFOCATION)マルヴォレント・クリエイション(MALEVOLENT CREATION)らニューヨーク勢と共に、1990年代初頭のアメリカデスメタルシーンの創生期を支え、世界中のデスメタルバンドに影響を与えた。

また彼らがレコーディングに使用したフロリダ州タンパモリサウンド(Morrisound)とそこを拠点に活躍していたプロデューサースコット・バーンスが作り出すサウンドは世界中のデスメタルバンドの憧れになり、世界中から次々とデスメタルバンドがレコーディングに訪れるようになった。

元は、スラッシュメタルからデスメタルへの過渡期に当たる音を出していたが、後のシニックのメンバーを加えて録音された、1991年の『ヒューマン』以降はテクニカル路線を強める。1995年の『シンボリック』の発表後、シュルディナーはデスの解散と、コントロール・ディナイドへの専念を宣言するが、1998年に『サウンド・オブ・パーサビランス』をデス名義で発表する。その後、シュルディナーはデスを正式に解散させ、コントロール・ディナイドの活動に専念する。しかし、1999年に脳腫瘍に倒れ、2001年12月13日に亡くなってしまう。

チャック・シュルディナーの死は、に侵されたテスタメントのチャック・ビリー(後に快気)と共に、多くのミュージシャンや家族、そしてファンの間から、保険などの生活保障のないミュージシャン生活についての問題提起も投げかけられた。公式サイトでは、今も彼を悼む声の投稿が続いている。

目次

[編集] 略歴

1983年にチャック・シュルディナー、リック・ロズ (Rick Rozz)、キャム・リー (Kam Lee) の三人で結成される。結成当初はマンタス(MANTAS)と名乗っていた。1987年のファースト・アルバムリリースまでは紆余曲折あって、僅かな間だが、リパルジョンD.R.I.のメンバーがラインナップに加わっていた時期もあった。チャックはスローター (Slaughter) に参加するため、一時期カナダに渡るが、すぐにアメリカに戻り、クリス・レイファート (Chris Reifert) とデスを再結成、ニューヨークのコンバット・レコード (Combat Records) と契約し、初のアルバム『スクリーム・ブラッディ・ゴア』をリリースする。

[編集] 備考

  • 元メンバーのビル・アンドリューズ(Dr)は現在、日本(名古屋)のレコード屋Disk Heavenで働いている。[要出典]

[編集] メンバー

  • Vocal & Guitar:チャック・シュルディナー (Chuck Schuldiner) (1983-2001)
    DEATHのリーダー。当初はバンド形式だったが、アルバムを出す毎にメインメンバーのチャックを中心としたプロジェクト形式での活動に変わって行った。
    テクニック面では高速かつ正確無比なオルタネイトピッキングを最も得意としつつ、スウィープ、スキッピング、タッピングなどの安定感にも定評があった。ソロではメロディックマイナーやハーモニックマイナーを使うことが多い。
    ギターはB.C.リッチのステルスを使用。ピックアップはディマジオのX2N一基のみで、これにマーシャルの組み合わせで音作りを行っていた。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] アルバム

[編集] ライブ

[編集] ベスト

[編集] その他

  • 1999年 Control Denied / The Fragile Art Of Existance
チャック・シュルディナーの別プロジェクト

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク