デイリースポーツ
| デイリースポーツ | |
|---|---|
| 種類 | 日刊紙 |
|
|
|
| 事業者 | 株式会社神戸新聞社 |
| 本社 | 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-5-7 東京都江東区木場2-14-8 |
| 創刊 | 1948年8月1日 |
| 言語 | 日本語 |
| 価格 | 1部 130円 月極 (西日本)3,260円 (東日本)2,955円 (有料電子版)1,890円 |
| ウェブサイト | http://www.daily.co.jp/ |
デイリースポーツ(Daily Sports)とは日本のスポーツ新聞である。神戸新聞社から発行されている。本社は神戸市中央区で関西に地盤を築いている。
目次 |
[編集] 歴史・概要
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 略称 | デイリースポーツ、デイリー |
| 本社所在地 | 神戸本社(登記上の本店) 〒650-0044 兵庫県神戸市中央区東川崎町一丁目5番7号 神戸情報文化ビル 大阪本社 〒550-8780 大阪府大阪市西区江戸堀一丁目10番8号 東京本社 〒135-8566 東京都江東区木場二丁目14番8号 |
| 設立 | 1955年2月11日 (神戸新聞社からスポーツ新聞発行部門が独立して設立) |
| 業種 | 情報・通信業 |
| 事業内容 | スポーツ新聞発行事業など |
| 代表者 | 代表取締役会長 稲垣嗣夫 代表取締役常務 沼田伸彦 |
| 資本金 | 6億円(2006年5月31日現在) |
| 従業員数 | 764人(2006年1月現在) |
| 主要株主 | 神戸新聞社 (同社の連結子会社) |
| 主要子会社 | 中四国デイリースポーツ デイリースポーツサービス社 デイリースポーツプレスセンター |
| 外部リンク | www.daily.co.jp/ |
| 特記事項:※会社情報は、2010年2月までのもの(2010年3月に神戸新聞社へ吸収合併された)。 創刊は1948年8月1日。1955年までは神戸新聞社が発行。 代表取締役会長の稲垣嗣夫は、神戸新聞社代表取締役会長である。 会社法人消滅時は社長が不在となっており、会長と専務が代表者となっていた。 |
|
[編集] 創刊までのいきさつ
太平洋戦争終結後、日本に進駐してきたGHQは既存紙の紙面の方針転換を促すとともに新しい新聞の創刊を推奨した。しかしこの頃は新聞用紙が慢性的に不足しており、結局既存紙が用紙割り当て数確保のために積極的に新興新聞発行を行った。
神戸新聞系列でも夕刊紙「神港夕刊」を発行していたが提携先が事実上の独立を神戸新聞社に申し入れたため、これに対し神戸新聞側が別の新興新聞発行を検討した。京阪神の売店等で売られている新聞を市場調査した結果、スポーツをメインに据えた新聞を発行することに決定。1948年7月25日付けの神戸新聞に創刊予告が出され、8月1日に第1号が発刊された。
[編集] デイリースポーツ社の設立
1950年からタブロイド判からブランケット判に切り替え、1955年2月11日には神戸新聞社から独立して「デイリースポーツ社」が設立された。同時に東京都でも発行されるようになった。スポーツニッポン(1949年創刊)、日刊スポーツ(大阪本社版。1950年、「オールスポーツ」として創刊)、サンケイスポーツ(1955年創刊)、報知新聞(1964年大阪進出)が関西で発行を始めるまでは名実ともに「関西唯一のスポーツ紙」であった。
その後、デイリースポーツ社が東京、大阪、神戸の3本社体制に発展し本州の各地(東海3県を除く)と四国地方で発行していく。東京(首都圏)では1975年から「夕刊デイリースポーツ」(題字は「夕刊デイリー」)(駅・コンビニなどのスタンド売り専売。宮崎県にも夕刊デイリーという新聞社があるが、全くの別物である)も発行していたが2009年11月30日付で休刊(大阪本社では、それより先の1957年に「夕刊デイリースポーツ」〔後に「デイリールック」〕という夕刊紙を発行していた)。なお東日本(静岡県以東)地域版は1992年までは東京タイムズとの提携で発行したが、同紙休刊以後は日本経済新聞系[1]の印刷工場「日経東京製作センター」(旧・千代田総業)から発行されている。1977年には東京本社版が、次いで1980年には大阪本社版が休刊日発行(号外扱いの即売特別版)を開始した。
創刊当初はプロ野球、アマチュアスポーツ界、芸能界が紙面の中心であったが、1965年以降になるとギャンブル部門を拡大させ、1985年には日航機墜落事故をきっかけに社会面がスタートした。その間の1974年には、厳選した紙面掲載写真を「パネルサービス」として販売を開始している。
1995年1月17日の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)で旧神戸本社(三宮・神戸新聞会館)が壊滅的な被害を受けたため一時は印刷困難になりそうになったが、紙面の制作は東京・大手町にある日本経済新聞社の東京本社に委託する形で行われ、販売提携している地方新聞社の印刷工場などを利用して新聞の発行を続けた。しかし3月に完全復旧するまでカラー印刷が不可能になったり、紙面のページ数も大幅に削減された。
[編集] 神戸新聞社への吸収
2010年3月1日に経営基盤の強化を目的として、デイリースポーツ社が神戸新聞社へ吸収合併された。これに伴いデイリースポーツ及び関連媒体の発行元が神戸新聞社に変更され、分社以来55年ぶりに神戸新聞社からの発行となった。また、これに先立ち2009年12月に公営競技情報部門を分社しデイリースポーツ・クオリティを設立、新聞だけでなく電子媒体などへの情報販売を本格化させた[2]。組織的には、神戸新聞取締役会の下にデイリースポーツ事業本部をおいた。
[編集] 発行所所在地
- 本社 兵庫県神戸市中央区東川崎町一丁目5番7号(神戸情報文化ビル なお、この住所は西日本向けの1面題字には2010年2月28日付まで記載されておらず、大阪市にあった「大阪本社」の住所が掲載されていたが、発行元が神戸新聞社へ移行した翌3月1日付から記載されるようになった)
- 東京本部 東京都江東区木場二丁目14番8号[3]
- 広島本部
- 中四国デイリースポーツの支社 広島支社、福岡支局
[編集] デイリーと阪神タイガース
[編集] デイリー=阪神タイガースの経緯
井上章一の『阪神タイガースの正体』によると、当初は必ずしも阪神中心の紙面ではなかった。デイリーが阪神を初めて大きく扱った記事は、「デイリースポーツ40年史」によれば内紛(「お家騒動」とも呼ばれる)ネタであった。1956年に起こった藤村富美男監督と主力選手との間に起こった内紛(藤村排斥事件)がそれで、デイリーは藤村の退陣要求をスクープ。このニュースでデイリーは他紙を圧倒し、これがデイリーと阪神が初めて結びついた嚆矢と考えられている。
東京地区では東京本社(現:東京本部)が独自に紙面を構成していたが1975年以降関東のプロ野球ファンの好みの変化が少しずつ起こり、必ずしもファン的には巨人一辺倒ということはなくなってきた。しかしスポーツ新聞界においては相変わらず「巨人1面」が主流だったため、1982年のプロ野球シーズンオフに東京での独自性を打ち出す意味もあり「巨人の次に人気がある」阪神中心の紙面づくりに転換した。記事・企画は大阪本社のものをそのまま使い、さっそく同年11月から当時の安藤統男監督に密着取材した企画をスタート。これが読者からの反発がなかったため、方針の継続が決定した。1984年には東京本社にも「トラ番記者」を配置し「デイリースポーツ40年史」では「この2年ちょっとで「阪神のデイリー」のイメージが読者に焼き付いた」としており、これが現在の「デイリースポーツ=阪神タイガース」のイメージのルーツだと言われている。
デイリーでは「阪神勝ち増」と呼ばれる増刷制度を行っており、日本一の1985年には夏ごろから翌1986年にはシーズン開幕当初から増刷を行っていた。この制度はチーム状況にダイレクトに直結するゆえ、成果が良い時と悪い時の差はあまりにも大きい。この制度のおかげで、1985年11月3日付けのデイリースポーツ(1面・阪神日本一)は最高部数を記録している。
2000年代あたりは、タイガースだけでなく神戸本社版と同じ内容の紙面(テレビ面・公営競技面は除く)の大半を東京でも共有する場合がある。
[編集] お膝元での変化
日本一後、阪神は低迷期に入ったがデイリーは決して阪神を見捨てなかった。この期間こそが事実上、「デイリー=阪神」というイメージを確固たるものにするのに十分な期間だったともいえる。しかし、1992年のペナントレース(阪神が久方ぶりに優勝争いに加わった)あたりから風の流れが微妙に変わり始めた。
こうなると、デイリーはもとより他のスポーツ紙も阪神を注目するようになった。デイリーの他に阪神を以前から比較的重視していた新聞としては、スポーツニッポン(大阪発行分)が挙げられる。
この頃から各紙とも阪神を1面に持ってくることが多くなり、かなり誇張したところでは取るに足らないニュースを1面に持ってくるところもあった。阪神ファンで知られる武豊が「僕がGIを勝った翌日の1面が『新庄腰痛』だった」とギャグにしたり、1995年・1996年のオリックス・ブルーウェーブの優勝・日本一もあったが阪神偏重傾向は留まるところを知らなかった。
当時、オリックスの選手だったイチローがこういう状況を暗に批判していた一方で「イチロー1面より阪神1面のほうが売れる」という売店・販売店などの声も実際にあった。在阪スポーツ紙が並んで阪神にウエイトを置くようになる中で、デイリーだけが「阪神に強いスポーツ紙」ということはなくなりつつあった。
[編集] 野村・星野の登場とデイリー寡占状態の崩壊
1998年シーズンオフ、阪神に新しい風が吹き込んだ。野村克也の阪神監督就任である。この出来事はデイリーの地位を実質的に押し下げることとなった。それは、野村がデイリーを川藤幸三・スポーツニッポンなどとともに「タイガースの馴れ合い体質」の元凶の一つとして批判したからである。
野村に名指しされ批判されたデイリーとスポニチに代わり、「阪神機関紙」としてのし上がってきたのはサンケイスポーツ(以下:サンスポ)であった。サンスポは「ノムさん語録」を他紙より多く掲載したり、阪神選手から「公約」をもらって達成如何で読者プレゼントを出す企画を始めた。
サンケイスポーツがデイリーなみに阪神記事の増量を図った背景としては、野村がヤクルトスワローズ監督時代からサンケイスポーツと親密だったこと(野村は少年時代新聞配達をしていたがその新聞が産経新聞で、その専売所の息子は現在サンケイスポーツに在籍している)、旧来からデイリーと共に阪神取材で主流派だったスポーツニッポン大阪本社と野村との確執が南海ホークス時代から根強く、更に過去の経緯から同紙の評論家だった元南海監督・鶴岡一人と野村との間にも確執・行き違いが生じた事などが有力な説として挙げられている。
野村、星野としてはあくまで「各スポーツ紙に公平に取材してもらおう」という魂胆だったと考えられるが、結果的には別の「阪神機関紙」を1つ作り上げた結果となった。デイリー的にはOBを含めた阪神関係者とのパイプは強固だったが野村、星野といった阪神OBではない大物野球関係者とあまりパイプを持っていなかったことも地位低下に悪い方向で作用した。また、取材源が旧来の阪神OBに限られることから、他紙についてゆけず、「飛ばし」的な阪神記事が紙面を埋めることも多くなった。インターネットで配信された記事の読み比べが容易にできるようになるとファンからデイリーの記事に疑問が持たれるようになり、デイリー離れを招く一因となる。
2003年シーズンオフに星野がシニアディレクターになり、岡田彰布が阪神監督になってからもサンスポがデイリーより実質上位に来るという流れはあまり変わっていない。
しかし2000年代後半頃のデイリーでは他のほとんどのスポーツ新聞と同様、サッカー日本代表の重要な試合の結果のようないわゆる「国民的行事」や2004年11月に韓国出身の人気俳優・ペ・ヨンジュンの来日、2005年5月30日に死去した二子山親方と同年7月11日に死去したプロレスラーの橋本真也の訃報、さらには巨人在籍時の清原和博の2000本安打達成の話題を一面に持ってきているが、それでもサンスポの大阪発行分のみ阪神記事が一面であった。
[編集] 現状
現在、関東ではデイリースポーツのみが阪神の記事が連日といっていいほど1面を飾っている(各業界(芸能・スポーツ・社会)でよほどの大きい事件があればそちらをトップに持ってくることもある)。そのため関東の阪神ファンにとっては現在でもデイリースポーツは重要な情報源となっており、完全ではないものの、関東では概ね「阪神ファン=デイリースポーツ読者」と言える。またテレビを中心とした報道機関でもこの認識は同じであり、阪神が最後まで優勝争いに加わっている時にはだいたいデイリースポーツ東京本社にテレビカメラが入り紙面構成の様子などを放映している。
しかし、地元関西では前述のようによほどのことがない限りスポーツ報知以外は阪神の記事がだいたい1面から3面を飾っている場合が多い。ただ日刊スポーツに関しては親会社の朝日新聞社の方針もあってか、最近はサッカー日本代表の記事が一面に来ることが多い。
加えてデイリースポーツが前述の通り飛ばし的記事を多く配信していることや広島版で広島カープ一辺倒の制作を行っていることがファンの間で知られるようになり、地元紙であるにもかかわらず関西の阪神ファンには余り重宝がられていない。それゆえ、現在の関西では関東のような「デイリースポーツ=阪神タイガース」というイメージは強くはない。むしろ、関西でよく阪神にイコールで結び付けられているのはサンテレビである。また、2000年代中後半頃は元阪神の選手新庄剛志(のち日本ハム)の記事が一面に飾られることもあった(阪神との紅白戦、2004年のオールスター戦での本盗、甲子園球場での交流戦、引退宣言など)。
いずれにしてもプロ野球といえば関東では巨人が、関西では阪神が勝っても負けても一面を飾るスポーツ紙がほとんどであり、パ・リーグの球団はよほどのことがなければ一面を飾ることはない。合併球団のオリックス・近鉄や大リーグは1992年以降はいずれもそうした扱いに甘んじ、さらには在阪の民放局までもがこの流れを追随していった。ただし例外としては2005年のパ・リーグ開幕時、関西スポーツ紙でデイリーの一面だけが阪神でもオリックスでもなく東北楽天ゴールデンイーグルスだったこともある(他の関西スポーツ紙は阪神、スポーツ報知は巨人)。
なおデイリースポーツonlineでは阪神記事が目に付いたり「デイリー」の「ー」の部分が虎の尾になっていたり(1999年以後の阪神が試合に勝った場合の紙面1面のロゴも同様。ちなみに2009 ワールド・ベースボール・クラシックで日本代表が試合に勝った翌日の紙面1面はロゴの「デイリー」の「ー」の部分が刀になっている)黄と黒を基調とする色調が虎を連想させるものがあり阪神を応援する姿勢を見せているが、特集記事を除けばヘッドライン等基本的構成は他のスポーツ紙のサイトとあまり変わらない。
性風俗面はサンケイスポーツやスポーツニッポンと同じく力を注いだ。東京版は即売版のみ載せていたが、大阪版は宅配版にも載せていた。末期は東京中日スポーツと協力し同じ情報や漫画(「エロしぼり」など)が掲載されていた。 2010年3月1日より神戸新聞社発行となりアダルト面が廃止され、即売版と宅配版の区別がなくなった。
[編集] 特筆事項
[編集] デイリースポーツとON砲
上記のように阪神タイガースファン御用達の新聞として知られるデイリースポーツであるが、実は読売ジャイアンツ(巨人)の王貞治・長嶋茂雄両選手をコンビとして付けた言葉「ON砲」の名付け親もデイリースポーツであった。1963年4月、巨人のクリーンナップを張っている王・長嶋が大活躍したことからデイリースポーツの記者が「(アメリカ大リーグの「MM砲」〔ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスとミッキー・マントルの活躍に倣って〕彼らの名前の頭文字を取ってON砲としてみるのはどうか」と提案。それが新聞の見出しとして掲載され、以後定着するようになった。ひいては、王・長嶋に限らずチームのホームランバッターを「○○砲」と書く嚆矢になった(ただし、助っ人外国人選手に使われることが多い)。ちなみに王・長嶋は試合によって3番4番を入れ替えていたので、一部ではその時の打順(3番長嶋、4番王)に沿ってNO砲とする案も検討されたがそうしてしまうと不発弾になってしまうということで却下されたという。
[編集] 公営競技
競馬ではJRA重賞の「クイーンカップ」、「デイリー杯2歳ステークス」、船橋競馬場の交流重賞「クイーン賞」に盃や社賞を贈り、また各地で「競馬教室」を開いている。かつて関西地区で放送されていたコマーシャルでジェット風船発射シーンと1999年の桜花賞の映像をバックに「阪神勝ったし明日は競馬や」とシャツ姿の男性役者に言わせている。またNTTドコモのiモードコンテンツの中に「デイリー馬三郎」を開設している。
競輪では1984年に日本選手権競輪(競輪ダービー)の前夜祭を主催したが、「一つの新聞社にやらせるとは」という異議もあって1回限りで終わった。
[編集] 格闘技
1961年にボクシング欄を創設、やがてこれがプロレスも含めた「デイリー・リング」と銘打った(今で言う)格闘技欄に発展する。一時は流行のキックボクシングにも密着し大きく扱ったこともあったが、その後1977年にプロレス欄を創設した。わざわざ取材記者にプロレス担当を設け、紙面の扱いも大きく、プロ野球のシーズンオフの時は3面も使うほどの熱の入れようであった。1983年6月3日に蔵前国技館で行われたアントニオ猪木VSハルク・ホーガン戦で猪木がホーガンの必殺技「アックスボンバー」を食らって失神した際、デイリーはリング下で失神する猪木を激写。この場に居合わせてなかった他紙の記者が、失神した猪木の写真を求めて共同通信社を通じてデイリーの写真(「提供・デイリースポーツ」というクレジット入り)を求める一幕もあった。
実際、殆どの朝刊スポーツ紙では一時期、ほんの少しの記述さえ、プロレスの記事は掲載が無かった。その点、デイリーは昭和の時代から東京スポーツと共にプロレス報道の2大紙と言われる[4]。特にデイリーは、全日本女子プロレスの後援にその設立初期から名を連ねたこともあり、女子プロレスに関しても女子プロブームの頃から緻密な取材を重ねていた。そのため他のプロレス専門誌やスポーツ誌が試合結果を載せていなかった頃、唯一デイリーだけが全日本女子プロレスの試合結果を載せていた。
よって「朝に前夜のプロレスの結果を知りたきゃデイリーよ」[5]と言われ、デイリーを毎朝・東スポを夕方購入するプロレスマニアは大勢いた。ただ、時代が昭和から平成になった頃、新日本プロレスの東京ドーム大会が定番化された辺りから、それまでプロレスに関しての取材や掲載を行っていなかった他のスポーツ紙も、少なくとも東京ドーム大会の様な主要試合に関しては記事を掲載する様になった。さらに次第に、殆どの団体の(当時はまだプロレス団体が少なかった)全試合の結果が毎日掲載されるほどに、各紙のプロレス取材が強化され現在に至るが、現在はプロレス団体が非常に多く、紙面の都合もあり主だった団体の結果や寸評、時にはメインイベントだけの結果という様に要約されて掲載される。
なお上記に挙げたのは東京本社版の場合である。大阪本社版においてのプロレス記事の導入はかなり遅く、試合結果が載り始めたのは1980年代末期、東京本社版と同等の格闘技欄(「スーパーファイト」面)が導入されたのは1990年代に入ってからである。
全日本女子プロレス亡き後はJWP女子プロレスの主要大会の後援を行い、引続き女子プロレスに関わり続けている。2008年には創刊60周年記念として、女子プロレス大会「サマードリーム2008」を開催(7月21日・大阪、8月3日・東京)。この大会に合わせて新設した「デイリースポーツ認定女子タッグ王座」(現在はJWP認定タッグ王座と統一)の争奪戦とOG戦を中心とした、小規模ながらもオールスター戦のような趣の興行となった。
また2006年9月から、傍系のサンテレビジョンが同年10月にハッスルの特別番組を放映するのを控え、ハッスルの報道を強化。サンテレビジョンの特番はこの限りだったが、デイリーでは引続き「ハッスル(特別)取材班」を設けてまで、毎回、他団体よりも大きく扱った。
ボクシングの面では、具志堅用高が王座にあった時代のWBAジュニアフライ級の防衛戦を始め、TBS及び協栄ボクシングジムによるボクシング興行「ガッツファイティング」を協賛した。テレビ中継では毎回デイリーの社旗が映し出されていた。毎年恒例の全日本新人王決定戦の主催者でもあり、その紙面での扱いは他紙よりも群を抜いて大きい。
2000年代は亀田家との関係を緊密にしていることで知られ、2006年8月から2007年1月にかけて亀田家をフィーチャーした週一回の特集ページ「週刊亀田新聞」を連載していた。その所以からか、2007年10月11日に行われた亀田大毅対内藤大助戦の試合結果について、亀田側を擁護し内藤側の反則を批判する記事を書いた唯一のスポーツ新聞となった[6]。
[編集] 社会ネタ
デイリースポーツは、社会ネタの記事も一面で大きく取り上げることがある。前述の通り、1985年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故をきっかけに社会面を新設した。社会面は、共同通信社配信による記事が中心であるが、国内外で重大な事件・事故やなどが起きた際は、本紙でも他紙と同様に本紙独自の取材による社会ネタを一面に載せることがある。本紙が一面で取り上げた社会ネタ(スポーツ・芸能界の重大事件・不祥事などは除く)は、1989年1月の昭和天皇崩御や、1995年1月の阪神・淡路大震災、1995年のオウム真理教による一連の事件、1997年6月の神戸連続児童殺傷事件の容疑者逮捕、1997年8月のダイアナ元イギリス皇太子妃事故死、1998年10月の和歌山毒物カレー事件の容疑者逮捕、2001年9月のアメリカ同時多発テロ事件、2002年9月の北朝鮮による日本人拉致問題(当時の小泉純一郎首相と金正日北朝鮮総書記との会談)、2005年4月のJR福知山線脱線事故、2006年1月の堀江貴文ライブドア社長(当時)逮捕、2011年3月の東日本大震災などがある。特に、昭和天皇崩御や阪神・淡路大震災、1995年5月の麻原彰晃オウム真理教代表(当時)逮捕、東日本大震災の際は、一面から紙面の大半をそれらの関連記事に満たした。
関西版のうち、京阪神通勤圏向けの最終12版では1986年ごろから、テレビ面を中頁に移し、最終面(ダブル1面)に社会面を持ってきたことがあった(それ以外の地域向けは従来どおり最終面がテレビ面、社会面は中頁だったが、1988年に最終面もニュース面になった)。
[編集] 広島版、四国・瀬戸版
デイリースポーツの広島版は、広島県廿日市市にある中国新聞広島制作センター(ちゅーピーパーク)で印刷され、広島県全域と山口県(離島など一部地域を除く)で販売されている。また岡山県と四国地域向けの版は愛媛新聞社で印刷、関連会社「中四国デイリースポーツ」が発行している。
広島版は広島東洋カープとサンフレッチェ広島の報道に力を入れており(カープが勝った翌日の紙面1面はロゴの「デイリー」の「ー」の部分が鯉になる)、他地域版が関東含め阪神メインという中では出色の存在となっている(ただしカープのニュースが少なく、かつ阪神タイガース関連で重大なニュースがある日は1面が関西の本社版と同じ方針になることもある。例として2008年の岡田彰布の監督辞任)。また広島・山口地区の公営競技面も掲載。四国・瀬戸版は(地元にプロ野球チームがないこともあり)関西版同様の阪神タイガースメインの紙面構成ではあるが、対象5県で開かれる各種スポーツイベント・公営競技を率先的に取り上げている。中日スポーツや西日本スポーツ・道新スポーツといったローカルスポーツ紙のない中国・四国エリアでは最も地域に密接したスポーツ紙となっている。
なお、ナイターが深夜遅くまで続いている場合、早版では結果を伝えられない場合があり、その場合翌日の紙面で結果を掲載する(首都圏の宅配版でも同様のケースがある)。
[編集] 中京版・九州版
1986年11月、国鉄のダイヤ改正に伴う荷物列車の廃止により、九州地区・山口県西部(防府市以西)・中京地区の一部への配送が中止された。
福岡県では、博多駅、西鉄福岡(天神)駅、天神駅、小倉駅など一部地域で中四国版が即売のみで販売されている(番組表は差し替えられておらず、また北部九州の番組も掲載されていない)。山口県では広島での現地印刷開始、配送ルートや道路事情の改善などにより防府市以西でも販売されるようになった。
愛知県においては、名古屋市内の主要駅の一部売店にて神戸本社版の早版が、やはり即売のみで販売されていたが(コンビニでの販売はない)[7]、2011年11月30日をもって販売を終了。
なお、九州版や中京版を発行していた頃は西鉄ライオンズ特集(九州版)・中日ドラゴンズ特集(中京版)をそれぞれ組んでいた。
[編集] その他
- 神戸新聞の系列ということもあってか、ヴィッセル神戸の情報が多い[8]。
- 一時期、題字に英文字(THE DAILY SPORTS)を入れていたことがある。
- 1990年度中期頃まで120円であったが、現在は一部130円である。これにより一部120円で販売されているスポーツ新聞は東京中日スポーツと東海地方に於いての日刊スポーツ及びスポーツニッポンのみとなった。
- 首都圏で発行された「夕刊デイリースポーツ」は、タイガースなどプロ野球関連の記事は比較的少なく、競馬やゴシップ記事が1面を飾るケースも少なくなかった。また静岡県や甲信越地方、東北地方の一部では、この「夕刊―」の紙面を、そのまま翌日の朝刊に流用して載せるケースが多かったとされる(※「夕刊デイリースポーツ」が休刊になってからは、これらの地方への販売も基本的に休止。ただし一部地域の駅では、早版の販売を継続している)。
- タイガースが勝利した翌日の1面では、紙面右上にある「デイリー(スポーツ)」ロゴの「ー」が虎のしっぽになる。中四国版ではカープが勝利した翌日には、鯉のぼりになったり、1面がゴルフの記事の場合はゴルフクラブに、競馬の記事では馬のしっぽになるなど複数のバリエーションがある。
- 2009年に阪神の赤星憲広選手が引退を発表した際には、一面トップで報道したのはもちろん、「デイリー」のロゴの「ー」が虎のしっぽになったことに加え、「デイリー」の「デ」の濁点部分が「赤い星」になった。
- 2010年11月15日付発行分の1面では、田中将大(東北楽天ゴールデンイーグルス投手)と里田まいの交際を伝えるスクープ記事を掲載。2012年1月27日付の1面では、前夜正式に発表された両者の結婚を報じるとともに、左上部の「デイリー」ロゴの背景にハートマークを入れるという趣向を施した。ちなみに、田中が(報道時点で)タイガースに在籍していないにもかかわらず、ハートマークの上には虎のしっぽをかたどった(「デイリー」の)「ー」を描いていた。
[編集] デイリー電子版
- 2010年2月1日から、デイリースポーツの紙面がインターネットで閲覧できる電子新聞「デイリー電子版」のサービスを開始した。神戸本社版の最終版全紙面がパソコンで発行当日に見られるサービスで、デイリースポーツが発行されていない地域でも発行当日の紙面を見ることができる。毎朝6時に更新され、公営競技とテレビ・ラジオ欄は関西地区の物を掲載している。但し広告の一部と肖像権の理由でジャニーズ事務所関連の写真記事は省略されている。2月中はお試し期間として無料となっていたが、2010年3月1日からは月ぎめ1,890円となった。
[編集] 地方紙とのかかわり
元々は発行元が神戸新聞社という地方紙系の新聞社であることから、中四国地方向けには地方新聞社へ印刷を委託(先述)しているほか、東北地方・中四国地方、及び奈良県・滋賀県・京都府ではその府県の地方新聞社、関東地方と大阪府では全国紙(主に日本経済新聞・朝日新聞・毎日新聞[9])のそれぞれの販売店へ販売委託を行っているなど、地方紙との結びつきが強い。そのため販売・印刷受託される地方新聞社の販売店を中心に各地に「デイリー会」なる販売店の交流団体がある。
[編集] 宅配取り扱い新聞販売店
[編集] 東京本部
- 河北新報(河北仙販を通じて発売)
[編集] 本社・中四国デイリースポーツ社
[編集] 主な評論家
[編集] 東京本部(主に関東地区)
[編集] 神戸本部
[編集] 中四国支社(主に広島版)
[編集] 脚注
- ^ なお、日経新聞のスポーツ面にもデイリースポーツ新聞社提供写真が掲載されている場合がある
- ^ 神戸新聞、デイリースポーツを吸収合併へ - YOMIURI ONLINE(読売新聞)、2009年10月26日
- ^ 神戸新聞社東京支社の住所は東京都中央区銀座一丁目7番17号(神戸新聞東京ビル)。
- ^ プロレス専門のタブロイド紙である週刊ファイトや、スポーツ専門紙とは主旨が異なる東京都の夕刊専売地方紙・リアルスポーツを除く(前者は2006年9月に、後者は2009年11月に、それぞれ休刊)。ただし、1950年代から1960年代にかけて、日本プロレスの大会を後援していたスポーツニッポンを始め、朝刊スポーツ紙(一般スポーツ紙)においてもプロレスの記事に紙面を割いていた時期もある。
- ^ 「東京スポーツ」は夕刊発行のため、発売が夕方。地域によって(北海道・東北・四国のほぼ全部と、中国のうち大阪スポーツを扱う地域のごく一部)は、そのまた翌朝に発売となるため、どうしても情報の遅れが避けられない。
- ^ 大毅 弱かった…亀田家初黒星 - デイリースポーツonline・亀田兄弟記事バックナンバー、2007年10月12日(元記事)
- ^ サンケイスポーツも中京地区において、大阪本社版の早版を販売しているが、同様に主要駅の一部売店での販売が中心であり、コンビニでの販売は殆どない(産経新聞を扱う店舗は除く)。
- ^ ヴィッセル神戸とはスポンサー契約を結んでいる。カテゴリーはメディアパートナーで、サンテレビ、ラジオ関西、兵庫エフエム放送の兵庫県域局と同列である
- ^ 特に日経の場合には、大都市では単独の販売店こそあるが殆どが朝日・毎日などの販売店との抱き合わせ(併売)というケースが多い。また日経も神戸新聞と相互提携しており、日経の紙面にデイリースポーツ提供写真を掲載したり、デイリー側が関東版を日経の印刷工場に、その逆で日経側が神戸新聞工場で委託印刷をする、テレビ東京のスポーツニュース番組にデイリーの記者が出演する(過去)などの関係がある
[編集] 参考文献
- 「デイリースポーツ40年史」『神戸新聞社90年史』神戸新聞社、1988年。
[編集] 関連新聞
[編集] 関連項目
- デイリー杯2歳ステークス
- クイーンカップ
- アクセラ (企業) - 一時同社の競馬新聞「ぐりぐり◎(にじゅうまる)」に編集協力を行っていた。
- 原良馬(スポーツライター・競馬評論家)
- デイリースポーツの楽しい催し - 1990年代まで、サンテレビジョンの放送終了直前に流していたミニ番組。BGMとともにブルーバックと白抜き文字のテロップのみで、当社主催のスポーツイベントの案内を流していた。
- デイリースポーツ尼崎・住之江BOAT RACE FRASH - 同じくサンテレビジョンで平日深夜に5分間放送しているミニ番組である。以前は「デイリースポーツレースアワー」として地方競馬・競輪の結果も伝えていたが、現在は住之江競艇場・尼崎競艇場本場開催の結果と次回のレース予告、及び両場で行われるSG競走場外発売のレース結果を字幕で伝えている。
- サンテレビジョン - 同系列の地上波テレビ専業局(独立U局)。兵庫・大阪(※山間部など一部を除く)をサービスエリアとする。
- ダイエー - 中内体制下により80年代から90年代後半にかけて、同社に資本参加。創業家であった中内家の撤退を受け、同グループ保有株式を神戸新聞本体側に売却。
- リダイレクトページ「中四国デイリースポーツ社」に関するカテゴリ。
[編集] 外部リンク
|
|||||||||||||||||