ディック・スナイダー

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ディック・スナイダー
Dick Snyder
名前
本名 Richard J. Snyder Jr.
ラテン文字 Dick Snyder
基本情報
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1944年2月1日(70歳)
出身地 オハイオ州ノースカントン
身長 196cm
体重 94kg
選手情報
ポジション シューティングガード
背番号 10
ドラフト 1966年 14位
経歴
1966-1968
1968-1969
1969-1974
1974-1978
1978-1979
セントルイス・ホークス
フェニックス・サンズ
シアトル・スーパーソニックス
クリーブランド・キャバリアーズ
シアトル・スーパーソニックス

ディック・スナイダーDick Snyder, 1944年2月1日 - )は1960年代後半から70年代の北米プロリーグNBAで活躍したアメリカ合衆国の元バスケットボール選手。オハイオ州ノースカントン出身、デイヴィッドソン大学卒業。ポジションはシューティングガード、身長196cm、体重94kg。1966年のNBAドラフトで全体14位指名を受けてNBA入り。13年に及ぶNBAキャリアの最後の1978-79シーズンシアトル・スーパーソニックスで優勝を果たして引退した。

経歴[編集]

デイヴィッドソン大学卒業後、1966年のNBAドラフトにて2巡目全体13位指名を受けてセントルイス・ホークスに入団。ホークス、誕生したばかりのフェニックス・サンズにおいて計3シーズン過ごした後、1968-69シーズン中にシアトル・スーパーソニックスに移籍した。

ソニックス移籍を機にスナイダーの才能が開花する。スナイダーはシューティングガードとしては非常に逞しい体つきをしており、当たりに強い肉体を武器にシュートを高確率で決めることができた。1970-71シーズンには19.3得点4.3アシストをあげ、ガードの選手としては異例と言えるFG成功率53.3%、FT成功率でも83.7%、いずれもリーグ5位に入る好記録を残し、プレイの質を大きく向上させた。スペンサー・ヘイウッドレニー・ウィルケンズ、そしてスナイダー擁するソニックスは1971-72シーズンには47勝35敗の好成績を残すが、フランチャイズ史上初のプレーオフ進出はならなかった。スナイダーはその後もソニックスの主要な得点源の一人として活躍するが、彼の在籍中にソニックスがプレーオフに進出することはなかった。1973-74シーズンも18.1得点4.1アシストの成績を残すが、ソニックスは30歳となるスナイダーよりもドラフト指名による若手選手獲得を優先するため、1974年のNBAドラフトの1巡目指名権と引き換えにクリーブランド・キャバリアーズにトレードに出された。なお、ソニックスは翌1974-75シーズンに念願のプレーオフ進出を果たすが、スナイダーと引き換えに獲得した長身センターのトム・バールソンは、結局NBAで大成することはなかった。

キャバリアーズ移籍以降は徐々に成績が下降し、1977-78シーズンには平均4.8得点まで後退した。この間古巣のソニックスは1977-78シーズンにNBAファイナルに進出するなど、着々と優勝への足場を築いていた。そして優勝への最後の決め手として、ベンチにベテラン選手を欲していた。そこでスナイダーを再招聘することを決め、1978年に2つの2巡目指名権と交換で、スナイダーをソニックスに呼び戻した。スナイダーは平均9.6分の出場で3.7得点と全盛期を遥かに下回る成績だったが、ソニックスはプレーオフを勝ち抜いてファイナルを制し、スナイダーにとってもチームにとっても初となる優勝を遂げた。スナイダーはシーズン終了後、有終の美をもって、引退することを決意した。

NBAでの成績は13シーズン964試合の出場で、通算11,755得点2,732リバウンド2,767アシスト、平均12.2得点2.8リバウンド2.9アシストだった。なおスナイダーは出場試合数、出場時間、FG成功率、FT成功率、FG成功数、アシスト数でスーパーソニックスの歴代トップ10内に入っている。

引退後はアリゾナ州パラダイスバレーに移住し、農場を経営している。

外部リンク[編集]