テッド・クルーズ

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テッド・クルーズ
Ted Cruz
生年月日 (1970-12-22) 1970年12月22日(53歳)
出生地 カナダの旗 カナダ
アルバータ州カルガリー
出身校 プリンストン大学
ハーバード・ロー・スクール
所属政党 共和党
称号 文学士
法務博士
配偶者 ハイディ・クルーズ英語版
子女 2人
サイン

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
上院議員
選挙区 テキサス州第1区
当選回数 1回
在任期間 2013年1月3日 - 現職
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ラファエル・エドワード・クルーズRafael Edward Cruz1970年12月22日 - )は、アメリカ合衆国政治家法律家短縮形名はテッド・クルーズTed Cruz[注 1]テキサス州選出連邦上院議員。所属政党は共和党。アメリカ国籍の他にカナダ国籍も持っていたが2014年に放棄している。キューバ系アメリカ人。

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1970年12月22日にキューバ移民でアメリカのキリスト教福音主義の牧師及び伝道師でもある父のラファエル・ビエンベニード・クルーズと、デラウェア州出身の母のエレノア・エリザベス・ダラー・(ウィルソン)クルーズの間に、カナダアルバータ州カルガリーフットヒル・プロヴィンシャル総合病院で出生する。両親はルイジアナ州ニューオーリンズにある石油関係の会社に勤めていたが、仕事の都合上でカナダに移住して市民権を得た。1974年に父親の転勤に伴い一家でアメリカ合衆国テキサス州に移住。以降はテキサスで育ち、福音主義の牧師であった父親の影響で、熱心なクリスチャンとして育った。

高校時代から保守系団体でフリードマンハイエクミーゼズバスティアらの著作に親しみ、1992年プリンストン大学ウィルソンスクールを卒業。大学時代はディベートで活躍し、全米チャンピオンになった経験もある。卒業論文はアメリカ合衆国憲法の起草者で第4代大統領ジェームズ・マディソンと権力分立に関するものだった。卒業後はハーバード・ロー・スクールに進学し、1995年、上位10%に与えられるmagna cum laudeを得て修了[2]。在学中はハーバード・ロー・レビューの編集者を務めた。

法曹[編集]

卒業後は連邦控訴裁判所の調査官(ロークラーク)を経て、1996年に連邦最高裁判所長官ウィリアム・レンキストの調査官となったが、これはヒスパニック系では初めてのことであった。その後はワシントンD.C.の法律事務所に勤務し、ジョン・ベイナー下院議員(後の下院院内総務下院議長)の私的顧問を務めている。1999年からは当時大統領を目指していたジョージ・W・ブッシュの政策アドバイザーを務め、2001年に成立したブッシュ政権では司法副次官に任命された。2003年から2008年まではテキサス州の訟務長官(Solicitor General)を務め、多くの重要事件を手がけて知られるようになった。

退官後は再び法律事務所に勤務した。また、この間2004年から2009年にかけて、テキサス大学ロースクールで連邦最高裁の訴訟について講じた。

上院議員[編集]

2012年ティーパーティー運動の支持を受け、共和党候補としてテキサス州から連邦上院議員選挙に出馬し、初当選を果たす。

2013年9月24日午後、オバマケアに反対する立場から、予算の成立を阻むため、21時間以上にわたる演説(フィリバスター)を行った。これは1900年以降では最長の演説の一つになっている[3]

2016年大統領選挙[編集]

2015年3月23日、2016年大統領選挙への出馬を表明[4]

2016年3月1日、予備選が始まる前に共和党指名争いに名乗りを上げていた上院議員リンゼー・グラムは、伸長する実業家ドナルド・トランプに対抗するために、対抗馬をクルーズへ一本化することをテレビ番組上で訴えた[5]

3月9日、指名争いから撤退した元ヒューレット・パッカードCEOカーリー・フィオリーナから支持を表明される[6]。その後の4月27日、クルーズは自身が共和党大統領候補に選出された場合、フィオリーナを副大統領候補とすることを表明した[7]

3月18日、2012年大統領選挙の共和党指名候補である元マサチューセッツ州知事ミット・ロムニーユタ州党員集会でクルーズに投票することを宣言した[8]。かつての上司でもあった元下院議長ジョン・ベイナーは、クルーズを「人の姿をした悪魔」と異例の表現で酷評し、断固支持しない考えを示した[9]

その後、共和党指名争いはトランプが1位を走ることとなり、トランプの指名獲得を阻止するため、4月下旬にジョン・ケーシックと「2位・3位連合」を組み協力することを決定する。オレゴン州ニューメキシコ州ではケーシック、インディアナ州ではクルーズに票を集めるという作戦だったが[10]、5月3日にインディアナ州で行われた予備選挙でトランプに大敗し、同日中に大統領選からの撤退を表明した[11]

同年9月23日に、クルーズがトランプ支持を表明したと報じられた[12]

2018年中間選挙[編集]

2018年3月、中間選挙に向けた予備選挙で共和党候補の座を確保し、民主党ベト・オルーク下院議員との対決が確実になった[13]。選挙本番では民主党の追い上げが伝えられる中、2016年の大統領選挙で対立したドナルド・トランプ大統領の応援演説を受けるなど積極的な選挙戦を展開し、2018年11月、苦戦を強いられるも上院議員として再選を果たした[14][15]

政策[編集]

政策はキリスト教右派の影響を強く受けており、保守強硬派とされる。政府・官僚機構の肥大化に批判的なティーパーティー運動の代表的政治家でもある。

外交[編集]

  • 2020年、香港に導入された国家安全法について批判。同年8月にアメリカが香港政府関係者らに査証発給制限とアメリカ国内の資産凍結を発表すると、中国側はクルーズらに対して同様の対抗措置を講じた[16]

思想[編集]

所属しているキリスト教会教派)は南部バプテスト連盟である[17]。主な支持母体は、ティーパーティー運動キリスト教福音派キリスト教右派

家族[編集]

妻と娘[編集]

ゴールドマン・サックスの投資マネージャーでもある妻のハイディ・クルーズとの間に、キャサリンとキャロラインという2人の娘がいる。

[編集]

父親のラファエル・ビエンベニード・クルーズはキューバ生まれで、スペイン領カナリア諸島の出身だった。14歳の時、キューバの独裁者フルヘンシオ・バティスタ政権に苦しめられて収容所に投獄されていたことから、バティスタ独裁政権に抗議するため、キューバ革命の革命軍として参加していた。その時、まだ少年だった父親は革命の指導者であるフィデル・カストロが共産主義者だということは知らなかったという。

18歳だった1957年テキサス州オースティンテキサス大学へ入学するため、政治亡命の意味も込めてキューバを出国し、法的な方法でアメリカに移住した。革命の指導者であるカストロが共産主義者だと知ると、反カストロに転じ、カストロの革命軍として参加していたことを今日まで後悔し始めるようになる。

1961年、テキサス大学卒業後に学生ビザが切れると、政治亡命が認められてアメリカに戻る。20代の時、仕事を求めてルイジアナ州ニューオーリンズに引っ越し、石油会社に勤めていたところ、エレノア・エリザベス・ダラー・ウィルソンと出会い結婚した。その後、石油関係の仕事の都合で妻と共にカナダに移住し、1973年にカナダの市民権を獲得する。後にカナダの市民権を放棄し、1974年に妻と幼い息子と共にアメリカのテキサス州に移住すると、2005年にアメリカの市民権を得た。当初はカトリック教徒だったが、1975年プロテスタントに改教し、テキサス州で福音主義の牧師となった。

2016年大統領選挙期間中は、息子の応援のためテキサス州で息子の代わりに選挙運動を展開し、聖書の教えに基づく説教で息子の支持を訴える活動を始めた。

ラファエル・ビエンベニード・クルーズには、1959年に結婚した最初の妻ジュリア・アン・ガルザとの間にミリアム・セフェリナ・クルーズとロクサネ・ルルド・クルーズという、テッド・クルーズとは歳が離れた2人の義理の姉妹がいた。クルーズの義姉ミリアムは2011年に亡くなっている。

[編集]

母親のエレノア・エリザベス・ダラー・(ウィルソン)・クルーズはデラウェア州ウィルミントン出身で、イタリア系とアイルランド系の血が入っている。ニューオーリンズで石油会社のコンピュータプログラマとして働いていた時、ラファエル・ビエンベニード・クルーズと出会い結婚した。しかし、1997年に夫のラファエルと離婚した。

関連項目[編集]

参考[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ Edwardの愛称はTedである[1]

出典[編集]

  1. ^ ウィズダム英和辞典
  2. ^ Harvard Law School grading system
  3. ^ “米上院議員が21時間以上の演説、暫定予算案に反対”. (2013年9月26日). https://www.afpbb.com/articles/-/3000171 2013年11月16日閲覧。 
  4. ^ “米共和党クルーズ上院議員、2016年大統領選の出馬表明”. CNN.co.jp (CNN). (2015年3月23日). http://www.cnn.co.jp/usa/35062147.html 2015年4月5日閲覧。 
  5. ^ “共和クルーズ氏に期待の声=反トランプ票結集で−米大統領選”. 時事通信. (2016年3月3日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201603/2016030300515 2016年3月16日閲覧。 
  6. ^ “共和党指名争い 撤退のフィオリーナ氏、クルーズ氏を支持”. 東京新聞. (2016年3月10日). http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201603/CK2016031002000228.html 2016年3月13日閲覧。 
  7. ^ “共和党クルーズ氏、副大統領候補にフィオリーナ氏を指名”. CNN.co.jp (CNN). (2016年4月28日). http://www.cnn.co.jp/usa/35081936.html 2016年4月29日閲覧。 
  8. ^ “「クルーズ氏に投票」と表明 反トランプ氏でロムニー氏”. 共同通信. (2016年3月19日). http://this.kiji.is/83751704332648451 2016年3月19日閲覧。 
  9. ^ “クルーズ氏は人の姿をした悪魔…党内から酷評”. 読売新聞. (2016年4月29日). https://web.archive.org/web/20160430144909/http://www.yomiuri.co.jp/world/20160429-OYT1T50057.html 2016年4月29日閲覧。 
  10. ^ “突如飛び出した共和党「反トランプ連合」の成算は?”. ニューズウィーク. (2016年4月28日). http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/04/post-5011.php 2016年5月4日閲覧。 
  11. ^ “クルーズ撤退、ヒラリー敗北の衝撃”. ニューズウィーク. (2016年5月4日). http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/05/post-5030.php 2016年5月4日閲覧。 
  12. ^ 共和党のクルーズ氏、一転してトランプ氏支持を表明bloomberg)2016年9月24日閲覧。
  13. ^ 米中間選挙が幕開け、テキサス州で予備選 トランプ政権運営に影響も”. 日本経済新聞 (2018年3月7日). 2018年11月11日閲覧。
  14. ^ トランプ氏が宿敵応援 苦戦の共和クルーズ氏要請”. 毎日新聞. 2018年11月11日閲覧。
  15. ^ “共和党が上院過半数確実、テッド・クルーズ氏再選” (日本語). THE WALL STREET JOURNAL. (2018年11月7日). https://jp.wsj.com/articles/SB11133722394047733426904584579193847599608 2018年11月11日閲覧。 
  16. ^ 中国、米上院議員ら11人に制裁 香港めぐる米国の措置に報復”. AFP (2020年8月10日). 2020年8月10日閲覧。
  17. ^ “Editorial: Texan of the Year finalist Ted Cruz”. The Dallas Morning News (Dallas, Texas: A. H. Belo). (2012年12月20日). http://www.dallasnews.com/opinion/editorials/20121220-editorial-texan-of-the-year-finalist-ted-cruz.ece 2014年4月15日閲覧。 

外部リンク[編集]