テキサス・レンジャーズ
| テキサス・レンジャーズ Texas Rangers |
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| 創設: 1961年 | |
| 所属リーグ | |
| 歴代チーム名 | |
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| 歴代本拠地 | |
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| 収容人員: 49,115人 | |
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| 永久欠番 | |
| 26, 34, 42 | |
| 獲得タイトル(獲得年) | |
| ワールドシリーズ優勝 | なし |
| リーグ優勝 (2回) | 2010 • 2011 |
| 地区優勝 (5回) | 1996 • 1998 • 1999 • 2010 • 2011 |
| ワイルドカード | なし |
| 球団組織 | |
| オーナー: ノーラン・ライアン他 | |
| GM: ジョン・ダニエルズ | |
| 監督: ロン・ワシントン | |
テキサス・レンジャース(Texas Rangers、略称:TEX)は、アメリカMLB、アメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はテキサス州アーリントンにあるレンジャース・ボールパーク・イン・アーリントン。
目次 |
[編集] 概要
シーズン成績の詳細については年度別成績一覧を参照
1961年に2代目のワシントン・セネタースとして発足。1972年にテキサス州アーリントンに移転し、テキサス・レンジャースと改名した。現チーム名は地元テキサス州に今も存在し、北米最古の公安組織として知られるテキサス・レンジャーにちなんで命名された。発足当初から弱小球団としてその歩みを続け、初の地区優勝が創設から36年目(1996年)と、1990年代後半に3度の地区優勝を果たした時期を除いて、ポストシーズンには縁遠く下位に低迷することが多い。1989年から1993年までノーラン・ライアン、2001年から2003年までアレックス・ロドリゲスといったスター選手も在籍したがいずれも優勝には縁がなかった。
本拠地球場が本塁打が出やすいこともあるため、伝統的に長打力を前面に押し出した野球を志向する典型的な打高投低のチームである。しかし2007年よりロン・ワシントン監督のもと投手陣の再建をすすめ、2010年には球団創設50年目にして初のアメリカンリーグ優勝を飾った。
[編集] 球団の歴史
[編集] ワシントン・セネタース時代
1960年シーズン限りで、1901年のアメリカンリーグ発足から60年間に渡ってワシントンD.C.に本拠地を構えていたワシントン・セネタースがミネソタ州ミネアポリスに移転(現:ミネソタ・ツインズ)。翌1961年の球団拡張に伴い、新たなワシントン・セネタースとして創設された。初年度は以前のセネタースに引き続きグリフィス・スタジアムを使用し、翌年からはロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムを本拠地球場とした。しかし発足初年度から4年連続でシーズン100敗を記録、1968年まで8年連続負け越しと苦しいシーズンが続いた。
1969年に打撃の神様、テッド・ウィリアムズを監督に迎え、86勝76敗で初めてシーズンを勝ち越し。観客数も球団移転前では最高の918,106人[2]を動員した。この頃には後に太平洋クラブライオンズに在籍することとなるフランク・ハワードが主砲として活躍。1968年には44本塁打で本塁打王を獲得し、1970年にも44本塁打・132打点で二冠王に輝いた。しかしチームの躍進も1969年限りで、翌年からは再び負け越し、1971年には観客動員数も655,156人に落ち込み、球団はワシントンD.C.を離れることになった。セネタースとしての歴史は、1971年9月30日の試合(対ヤンキース)がファンの乱入などで没収試合となって、その幕を下ろした。
[編集] テキサス移転以降
1972年にテキサス州アーリントンへの移転が決定。チーム名もテキサス・レンジャースに改称した。本拠地球場はアーリントン・スタジアムを使用。移転後も低迷は続き、1972年、1973年と2年連続でシーズン100敗を記録した。1973年のシーズン途中からビリー・マーチンを監督に招き、翌1974年は84勝76敗で地区2位となった。この年にはマイク・ハーグローヴが打率.323で新人王、ファーガソン・ジェンキンスが25勝12敗、防御率2.82で最多勝とカムバック賞、ジェフ・バロウズが最優秀選手賞を獲得している。1977年は4人の監督が入れ替わり指揮をしたが、当時チームの最高勝数シーズン94勝(68敗)を挙げた[2]。しかし1980年代に入ると再び負け越しのシーズンが続いた。
1985年のシーズン途中からは後に日本プロ野球でも監督経験を持つボビー・バレンタインが監督に就任。1992年のシーズン途中まで球団史上最長となる1186試合にわたって指揮をとった。この間1989年4月からジョージ・W・ブッシュが共同オーナーを務め、同年にはノーラン・ライアンが移籍している。ライアンは既に40歳を超えていたが、300勝、5000奪三振、ノーヒットノーランを2回成し遂げた。1994年からは本拠地をザ・ボールパークインアーリントン(現:レンジャース・ボールパーク・イン・アーリントン)へ移転。
1994年には52勝62敗と負け越していながら地区1位を維持していたが、ストライキによってシーズンが中断され、球団史上初の地区優勝とはならなかった。この年の7月28日にはケニー・ロジャースがMLB史上12人目となる完全試合を達成している。1995年からジョニー・オーツが監督に就任、オーツは2001年のシーズン途中まで監督を務めた。この頃にはイバン・ロドリゲスやホワン・ゴンザレスらが台頭。1996年に90勝72敗で初の地区優勝を果たした。1998年・1999年(球団記録の最高勝数シーズン95勝(68敗)を記録し[2])も2年連続で地区優勝したが、プレーオフではいずれもニューヨーク・ヤンキースにディビジョンシリーズで敗れた。
[編集] 新世紀
2001年にアレックス・ロドリゲスをシアトル・マリナーズから10年総額2億5200万ドルの契約金で獲得。同年から3年連続で本塁打王となり、2002年には球団記録の57本塁打を打った。しかしその間チームは最下位に沈み、その契約金は却ってチーム再建への大きな障害となっていた。アレックスも優勝争いが出来るチームでのプレーを希望していたため、ニューヨーク・ヤンキースにトレードで移籍することとなる。これにより「数年後には勝てるチームになる」と評され、再建への期待が見込まれた[3]。
2004年シーズンは3位に終わったものの、優勝したアナハイム・エンゼルスとは3ゲーム差の89勝をあげ、エンゼルスやオークランド・アスレチックスとの三つ巴を最後まで演じた。翌2005年シーズンは7人もの打者が20本以上の本塁打を記録し、チーム合計でもMLB年間最多記録にあと4本に迫る260本塁打を放ったが、負け越した。2006年シーズンも勝率は5割近かったが、最下位のマリナーズとはわずか2ゲーム差の3位と振るわず、2003年から指揮を執っていたバック・ショーウォルターは退任した。
2007年にはロン・ワシントンが監督に就任。同年にはエリック・ガニエやサミー・ソーサを獲得する。8月22日にはボルチモア・オリオールズとのダブルヘッダー第1戦において、30対3のスコアで勝利した。1試合30得点はMLBでは1897年6月29日、シカゴ・コルツがルイビル・カーネルズにMLB記録の36対7で勝利して以来110年ぶりだった。しかしシーズンでは投打共に主力選手の不調が響き、75勝87敗と大きく負け越してしまい最下位に沈んだ。
2008年には前年に麻薬中毒から立ち直ったジョシュ・ハミルトンをエディンソン・ボルケス、ダニー・ヘレーラとの1対2のトレードで獲得。ハミルトンは打率.304、32本塁打、130打点を記録、打点王に輝くなど、期待にたがわぬ活躍を見せた。しかしチームは2位ながらも負け越し、首位エンゼルスとは21ゲーム差と大きく離される結果となった。
2010年1月23日、オーナーのトム・ヒックスは球団社長であるノーラン・ライアンらが共同経営する投資グループへと5億ドル以上の価格で球団を売却することに合意。5月24日、連邦倒産法第11章の適用を申請した。その2010年は11年ぶりに地区優勝を成し遂げる。ポストシーズンでは、地区シリーズでレイズに3勝2敗で競り勝ち、更にリーグ優勝決定シリーズではヤンキースを4勝2敗で破ってワールドシリーズ進出を果たした。ワールドシリーズには勿論、リーグ優勝決定シリーズへの進出も球団にとっては創設50年目で初めてであった。しかし、ワールドシリーズではサンフランシスコ・ジャイアンツに1勝(4敗)しか挙げられずに終わった。
翌2011年、主力選手のFA流出や前半戦に故障者が相次ぐといった事態にもかかわらず、開幕から地区首位を走り続け、そのまま2年連続の地区優勝を飾る。地区シリーズではレイズを3勝1敗、優勝決定シリーズではデトロイトタイガースを4勝2敗で破り、2年連続のワールドシリーズ進出を決めた。しかし3勝2敗で迎えた第6戦、シリーズ制覇まであとストライク1球という場面を2度も作りながら、最後は逆転負けを喫するなど、惜しくもセントルイス・カージナルスに3勝4敗で敗れ、悲願のチーム史上初のチャンピオンの座を惜しくも逃した。 同オフには北海道日本ハムファイターズからポスティングシステムでメジャー移籍を目指すダルビッシュ有との交渉権を獲得し、6年契約で合意に至った。[4]
[編集] 主な選手
[編集] 現役選手
[編集] 殿堂入り選手
- ファーガソン・ジェンキンス (Ferguson Jenkins) - 投手
- ゲイロード・ペリー (Gaylord Perry) - 投手
- ノーラン・ライアン (Nolan Ryan) - 投手
- テッド・ウィリアムズ (Ted Williams) - レンジャースでは監督として在籍
[編集] 永久欠番
- 26 ジョニー・オーツ (Johnny Oates) - 監督として球団を初めてプレーオフに進出させた。
- 34 ノーラン・ライアン (Nolan Ryan) - 投手として数多くの記録を樹立。
- 42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson) - MLB全球団共通の永久欠番。
[編集] 傘下マイナーチーム
[編集] 脚注
- ^ 1901年-1960年に同じ名前の初代のチームがあるが、これは現ミネソタ・ツインズの前身である。現在「セネタース」の商標権はレンジャースが保有している。
- ^ a b c texas.rangers history year by year2007年12月24日閲覧
- ^ 日本スポーツ企画出版社刊行雑誌『スラッガー』2004年4月号
- ^ “ダルビッシュ、レンジャースと交渉へ リーグ連覇の強豪”. 朝日新聞 (2011年12月20日). 2011年12月20日閲覧。
[編集] 関連項目
- スポーツのマスコットキャラクター一覧 - レンジャース・キャプテン(馬。警備隊長という設定で背番号は72)
[編集] 外部リンク
- テキサス・レンジャース公式ウェブサイト(英語)
- チームの通算成績と情報 MLB, or ESPN, or Baseball-Reference , or The Baseball Cube
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