テカムセ

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テカムセの想像図

テカムセ、またはテカムシ(Tecumseh / Tecumtha / Tekamthi, 1768年? - 1813年10月5日)は、アメリカインディアンショーニー族の戦士、または酋長で、白人への植民地抵抗運動のシンボル的人物。

人物[編集]

名前のアメリカでの発音表記は「/tɛˈkʌmsə/」(テカムセ)で、これはショーニー族の言葉で「流れ星」、または「天空を横切る豹」、「待ち伏せしている豹」を意味する。

1768年頃にオハイオ州中部のマッド川沿いの、オールドピカの町で生まれた。弟のテンスクワタワTenskwatawa)と共に、西部のインディアン部族の連合に尽力し、白人と戦った。テカムセの参加した戦いは合衆国から「テカムセの戦争」と呼ばれている。

テカムセは「酋長」(Chief)と呼ばれているが、白人は現在でも「尊敬を集める大戦士」と「酋長」(調停者)を取り違えているので、テカムセ自身がインディアンの社会で言うところの「酋長」だったのかどうかわからない。戦いの先陣に立った姿は「大戦士」のものだからである。「大戦士」であっても「酋長」であっても、どちらにしろ「部族の指導者」ではないことに変わりはない。

合議制を基本とするインディアン社会には、「首長」や「司令官」のような絶対権力者は存在しない。インディアンの戦士たちはすべて自由参加形式の戦士団である。誰か「戦闘司令官」がいて、上意下達の命令系統の下に全戦士が統率されるような「軍団」ではない。インディアンの社会は横並びの社会であって、「命令する」という文化は無い。

「テカムセがインディアンの大軍団を率いた」というのは白人の思い込み、勘違いである。

インディアン戦争[編集]

テカムセの生まれた時代、拡大する一方の白人入植者は、ショーニー族の領土であった東部地方にも押し寄せ、合衆国はインディアンの領土を力づくで購入し始めた。白人たちは布や銃など「物品」と引き換えに、インディアンたちの土地を「買い」、「自分たちの所有物にした」つもりだった。

対するインディアンの社会のルールでは、土地は誰のものでもなかった。「大いなる神秘」の下すべてが平等であり、和平の誓いを立てれば恵みをもたらす大地は異部族間でも共有することが出来た。土地を巡る戦いはインディアン間でもあったが、「聖なるパイプ」を回し飲みして和平を誓えばどんな諍いも治めることが出来た。

インディアンの考えからすれば、白人が贈り物を持ってきて、「ここに住まわせてくれ」と言ってきたのであれば、互いに「聖なるパイプ」を回し飲みして「大いなる神秘」にこれを了承してもらい、インディアンも白人も助け合ってその土地で暮らせばよいのである。実際にインディアンたちはそのつもりだった。土地は誰のものでもないし、それはこの世の中すべての者に当てはまる基本条件だった。

ところが、白人たちはしばらくすると、インディアンたちに彼らの土地から出て行けと命令し始めた。すべては「大いなる神秘」のもとに平等であると考えるインディアンたちにとって、「命令される」ということは考えられなかった。人間も動物も自然もすべてが共有文化のもとにあり、誰かの所有物ではないからである。

白人たちは土地を「正当に購入した」つもりなので、インディアンたちが異議を唱え始めると、武力で以てこれを排除し始めた。白人の要求はただ「土地の恒久的占有」だった。「すべてを共有する」という文化に立脚するインディアンたちにとって、これはどうしても理解できず、納得できないものだった。

「土地が白人の物になった」ということを理解できないインディアンたちに対し、入植者たちは「白人のもの」となった土地にいつまでも残っている彼らを殺し始めた。さらに合衆国は入植地拡張のために、陸軍を送って虐殺を援助した。

「聖なるパイプ」に誓った和平を破られたインディアンの戦士たちは、侵略者たちに戦いを挑んだ。オハイオ周辺のインディアン部族は、ショーニー族と連合するなどして戦ったが、合衆国軍の圧倒的な火力の前に次々に破れ去り、弱体化して領土を奪われていった(→インディアン戦争)。

テカムセの戦い[編集]

1811年、テカムセはショーニー族の若き戦士として、合衆国に戦いを挑んだ。白人たちはテカムセをショーニー族の「戦闘司令官」(そんなものは存在しない)だと勘違いしたので、テカムセの関わった一連の植民地戦争に「テカムセの戦い」という名をつけたのである。

テカムセ達が最初に合衆国に挑んだ戦いは、「ティピカヌーの戦い」と呼ばれている。このショーニー族の抵抗戦はウィリアム・ハリソン率いる合衆国政府軍に敗れ、テカムセたちは当時イギリス植民地だったカナダに逃れた。

ショーニー族連合は、カナダでイギリス軍と同盟した。このことが合衆国軍を刺激し、1812年には英米はインディアンの領土を奪い合う代理戦争「米英戦争」を始めた。テカムセたちはイギリス軍と共にデトロイトを攻略するなど戦果を上げた。しかし、オリヴァー・ハザード・ペリー率いる合衆国軍がエリー湖の戦いで勝利すると、イギリス側は補給線を絶たれ、苦戦を余儀なくされた。さらに、イギリス軍の司令官が戦死し、テカムセたちに協力的でないヘンリー・プロクターHenry Procter)が後任となったため、テカムセ達はイギリスの後ろ盾を失い、苦しい戦いを余儀なくされた。

ワシントン連邦議事堂内にある帯状装飾のひとつ、「テカムセの死」

1813年、ショーニー族と連合部族、イギリス軍は「テムズの戦い」で合衆国軍に敗れた。その後まもなく、テカムセはリチャード・メンター・ジョンソン(後の副大統領)に殺され、その死によって「テカムセの戦争」と白人が呼ぶインディアン戦争は終わった。

テカムセの演説[編集]

文字を持たず、口承文化を重んじるインディアンとして、テカムセもまた優れた弁舌者だった。テカムセは部族を超えてインディアン同胞に語りかけ、彼の言葉はインディアンたちを蜂起させたのである。

1806年、テカムセはショーニー族の土地への白人入植者の侵入に抗議して、以下のように宣言した。

白人たち(the white man)による侵略というこの悪を阻止する、唯一無二の方法は、インディアンが一致団結して、土地に対する共通の、しかも平等な権利を主張することしかない。土地というものは、かつて分割されたことなどなかったのだ。それは我々インディアンたち全員のものだ。

いかなるインディアン部族も、それがたとえ同じ部族同士であっても、土地を売り渡す権利など誰も持っていない。ましてや、よそから入り込んで来た白人などに売る権利などは断じてないのだ。

1811年には、彼は「ティピカヌーの戦い」を前に、同胞たちに以下のように呼びかけた。

今、ピクォート族はどこにいるのか? ナラガンセット族も、モヒカン族も、ポカノケット族も、他にも大勢いた我らが同胞の強力な部族は、どこへいってしまったのか? 彼らは白人の強欲と圧迫の前に、あたかも夏の日差しの前の雪のように消え失せてしまった。

我々は、それが自分達の番になった今、戦うこともせずに滅びていくべきなのか。大精霊が我々にお与えくださった家、土地、先祖の眠る墓、そしてすべての我々にとって愛しくも神聖なもの、すべてをあきらめてしまうべきなのか? 私はあなた方が私にこう叫ぶだろうことを知っている。「いいや、決してそんなことはない!」と!

関連項目[編集]