テオフィロ・ステベンソン

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獲得メダル
キューバの旗 キューバ
男子 ボクシング
オリンピック
1972 ミュンヘン ヘビー級
1976 モントリオール ヘビー級
1980 モスクワ ヘビー級
世界ボクシング選手権
1974 ハバナ ヘビー級
1978 ベオグラード ヘビー級
1986 リノ スーパーヘビー級
パンアメリカン大会
1971 カリ ヘビー級
1975 メキシコシティ ヘビー級
1979 サンフアン ヘビー級

テオフィロ・ステベンソンTeófilo Stevenson、男性、1952年3月29日 - 2012年6月11日)は、キューバカマグエイ出身の元アマチュアボクシング選手。身長197cm、体重100kg。オリンピックのボクシングヘビー級ミュンヘンモントリオールモスクワと3大会連続で金メダルを獲得した。ニックネームは「Pirolo」。通算成績152勝147KO21敗という圧倒的な記録と、世界王者レベルの傑物が揃った世代で無敵を誇ったことから「史上最強のアマチュアボクサー」とも評されている。

2012年6月11日、心臓病のために死去[1]。60歳没。

経歴[編集]

8歳頃ボクシングを始め、1970年ナショナルチーム入り。やがて成人したステベンソンは既に世界トップクラスの実力を身につけており、あまりに強すぎて対戦中にギブアップしたボクサーすらいた[2]。彼の敗戦はデビューしばらくと引退間際に集中しており、オリンピック出場時に勝てる相手が存在しなかったことを示している。

ステベンソンが勝利したボクサーの中には、後に世界ヘビー王座を獲得した選手が3人いる(ジョン・テイトグレグ・ペイジゲリー・コーツィー)。また当時はモハメド・アリジョージ・フォアマンジョー・フレージャーといった傑物が揃い、ヘビー級全盛時代を迎えていた。当然、彼の元にはいつもプロモーターからの「アメリカへ亡命し、プロの舞台で試合をすれば、あなたの実力なら必ず成功する。一緒に大金を儲けないか」といった誘いが絶えなかった。しかしステベンソンは、「私は祖国も家族も愛している。国を捨ててプロになる必要は無い」と言って断り続けた。

当時のアマチュアボクシングは頭部の安全のためのヘッドギア装着を義務付けておらず、プロとの技術面においての差も少なかった。そのため現在でも、ステベンソンが亡命してプロに転向しようと思えばいつでも可能で、スター選手たちとのビッグマッチが組まれ大金が動いたと考えられている。

なお、キューバは1984年のロサンゼルスオリンピックを政治的な理由でボイコットしているため、オリンピックにおける史上初のボクシング同階級4連覇を果たすことはできなかった。

1988年引退。引退後は故郷でサトウキビ農家を営んでいた。

ファイトスタイル[編集]

基本に忠実なオーソドックススタイルであり、長身を生かした鋭いジャブ、左右のストレートで試合をコントロールする展開を好んだ。相手のパンチをパリングとスウェイでことごとく避けるディフェンス、一撃でダウンを奪うハードパンチを兼ね備えた高度にバランスが取れたボクサーである。2mに迫る巨躯でありながら軽快なコンビネーションやフットワークなどスピード面でも優れ、当時のアマチュアボクシング界を代表する選手であった。

若手時代は積極的にインファイトに持ち込み力任せにダウンを奪う強引な面がみられたが、年齢を重ねてからはスピードが乗ったワンツーと右クロスカウンターで的確に仕留めるスマートなスタイルへと変化していった。

パンチの手応えが抜群だった時、相手がダウンする前に背を向け、悠然とニュートラルコーナーへ歩き出す仕草がトレードマークだった。有名なところではジョン・テイトがカウンターを合わせられ、ステベンソンが背中を向けた瞬間に腰が砕けKO負けとなった試合がある。

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ Olympic boxer Teofilo Stevenson dies Yahoo! News 2012年6月12日閲覧
  2. ^ ただしポイントを重視するアマチュアボクシングにおいて、明らかに大差を付けられた選手がギブアップを要請することはさほど珍しいことではない。