テオドール・ヴィッシュ
テオドール・ヴィッシュ(Theodor Wisch、1907年12月13日‐1995年1月11日)は、ナチス・ドイツの武装親衛隊の将軍。 階級は親衛隊少将及び武装親衛隊少将(SS-Brigadeführer und Generalmajor der Waffen-SS)。
[編集] 略歴
ヴェッセルブレナーコーク(Wesselburenerkoog)の農家の出身。1930年に親衛隊(SS)に入隊(隊員番号4,759)。ポーランド侵攻の際には親衛隊大尉となり、親衛隊特務部隊の歩兵連隊「LSSAH」に属していた。1940年1月30日に親衛隊少佐となり、LSSAHに属する大隊の指揮官となり、西方戦やバルカン半島の戦いを戦った。その後、LSSAHとともに1941年6月から始まった独ソ戦に転じ、1941年9月に騎士鉄十字章を受章。1942年秋に「LSSAH」師団の第2装甲擲弾兵連隊の指揮官となる。1943年1月30日に親衛隊大佐に昇進した。第三次ハリコフ攻防戦における勇戦が認められ、1943年2月25日にドイツ十字章金章を受章した。1943年4月7日に「LSSAH」師団長に就任し、7月1日には親衛隊上級大佐に昇進した。LSSAH師団は激しい損害を被りながらも多数の作戦に従事した。特にチェルカースィポケットに閉じ込められたドイツ軍5万人の救出に大きな功績を残した。1944年2月12日に親衛隊少将及び武装親衛隊少将に昇進するとともに騎士鉄十字章柏葉章を受章。1944年6月からノルマンディー上陸作戦で乗り込んできたアメリカ軍とイギリス軍と戦った。しかし手痛い打撃を受け、ヴィッシュも両足を失う激しい負傷を負った。そのため1944年8月からヴィルヘルム・モーンケ将軍が師団長に代えられた。ヴィッシュは8月末に騎士鉄十字章剣章を受けた。その後ドイツの敗戦まで病院にあった。イギリス軍の捕虜となり、1948年に釈放された。1990年には自叙伝「Zwölf Jahre 1. Kompanie Leibstandarte SS Adolf Hitler. Ein Buch der Kameradschaft Oldendorf」を著した。
[編集] 受章
- 1938年3月13日記念メダル
- 1938年10月1日記念メダル „プラハ城”略章付き
- SS勤続章(de:SS-Dienstauszeichnung)
- 国家スポーツ勲章銅賞(Reichssportabzeichen)
- 親衛隊全国指導者名誉長剣
- 親衛隊名誉リング
- 一級鉄十字章及び二級鉄十字章 (1939)
- 東部戦線従軍メダル(de:Medaille Winterschlacht im Osten 1941/42)
- 戦傷章金章 (1939)
- 騎士鉄十字章柏葉・剣章[1]
- 騎士鉄十字章 1941年9月15日
- 柏葉章 1944年2月12日
- 剣章 1944年8月30日
- ドイツ十字章金章 1943年2月25日[1]
- ルーマニア王冠勲章(Ordinul Coroana României)
- 歩兵突撃章
[編集] 出典
- ^ a b Veit Scherzer: Die Ritterkreuzträger 1939-1945, Scherzers Militaer-Verlag, Ranis/Jena 2007, ISBN 978-3-938845-17-2, S.790
| 軍職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ヨーゼフ・ディートリッヒ |
1943年4月7日 - 1944年8月20日 |
次代: ヴィルヘルム・モーンケ |