ティル・リンデマン

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ティル・リンデマン
Till Lindemann
ドイツ・フランクフルト Bookフェアにて (2017年10月)
基本情報
生誕 (1963-01-04) 1963年1月4日(61歳)
出身地 東ドイツの旗 東ドイツ
ザクセン州ライプツィヒ
ジャンル ノイエ・ドイチェ・ヘァテ
インダストリアル・メタル
ニュー・メタル
職業 音楽家、花火師、詩人
担当楽器 ボーカル、ドラム、ギター、バス、キーボード、ハーモニカ
活動期間 1981年 - 現在
レーベル ワーナー・ミュージック・グループ
共同作業者 Feeling B
First Arsch
ラムシュタイン
ほか

ティル・リンデマン(Till Lindemann、1963年1月4日- ) 

ラムシュタイン」のボーカル。パイロテクニクスの資格を持っており、ライブパフォーマンスに取り入れられている。詩人、俳優としても活躍している。

概要・略歴[編集]

東ドイツのライプツィヒ出身。母は公共放送局配属のジャーナリスト、父親のヴェルナーリンデマンは詩人, 童話作家、教育者、画家であった。1975年に両親の離婚により、1977年から1980年まで寄宿学校に通い、競泳選手として活動し、1978年に欧州ジュニア水泳選手権出場。1980年モスクワ五輪出場を目指していたが、イタリアフィレンツェで合宿中、宿舎を抜け出すという規則違反で出場権を剥奪された。1988年ソウル五輪では控え選手となった。その後、負傷により競技生活を断念。その後は職を転々としながらミュージシャンの道へ本格的に進む。

1986年 シュヴェリンにてパンクバンド「First Arsch」でドラマーを務める。

1992年 「First Arsch」のメンバーとしてアルバムデビュー。

1994年ラムシュタイン」を結成。

2015年 個人プロジェクト「LINDEMANN」を興し、『Skills In Pills』でソロ・デビュー[1]

ラムシュタインに於いてはインタビュー等での発言やメディア対応を一切行わない主義を貫いているが、自身のプロジェクトである「LINDEMANN」ではインタビューやメディア出演などを積極的に行っている。

最初の妻との間に娘が二人、次の妻との間に娘が一人いる。最初の妻の二人目の娘は実子でなく、彼女の父親はラムシュタインのリヒャルトである。

2020年3月15日、LINDEMANNのモスクワでのライブの後に帰国後、高熱のため入院。集中治療室で治療を受け[2][3]、当初は新型コロナウイルスへの感染が疑われたが検査の結果、陰性だった[4][5]

ディスコグラフィ[編集]

ソロ作品

  • Skills In Pills(2015)

First Arsch

  • Saddle Up(1992)

ラムシュタイン

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ラムシュタインのティル・リンデマンが新プロジェクト始動”. MTV (2015年4月30日). 2018年2月1日閲覧。
  2. ^ Warum sehe ich Bild.de nicht” (ドイツ語). bild.de(2020年3月27日). 2020年3月27日閲覧。
  3. ^ Ricoverato Lindemann, frontman dei Rammstein - Ultima Ora” (イタリア語). Agenzia ANSA (2020年3月27日). 2020年3月27日閲覧。
  4. ^ „Das Virus, das mich erobern will, ist noch nicht erschaffen“”. Der Tagesspiegel (2020年3月28日). 2020年3月29日閲覧。
  5. ^ Rammstein Says Hospitalized Singer Has Tested Negative for Coronavirus (Update)”. Variety (2020年3月27日). 2020年3月29日閲覧。