ティモシー・コプラ

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ティモシー・レナート・コプラ
Timothy Lennart Kopra
NASA所属宇宙飛行士
現況 現役
生誕 (1963-04-09) 1963年4月9日(61歳)
テキサス州オースティン
他の職業 操縦士
階級 アメリカ陸軍大佐
宇宙滞在期間 58日2時間50分
選抜試験 2000年
ミッション STS-127, 第20次長期滞在, STS-128
記章

ティモシー・コプラ(Timothy Lennart Kopra、1963年4月9日-)は、テキサス州オースティン出身のアメリカ陸軍大佐アメリカ航空宇宙局宇宙飛行士である。コプラは、第3機甲師団英語版の一員として「砂漠の嵐」作戦に参加した。第20次長期滞在でフライトエンジニアとして国際宇宙ステーションに滞在し、2009年9月11日にSTS-128で地球に帰還した。

個人[編集]

コプラはアメリカのボーイスカウトに所属していた[1]ケンタッキー州ルイスバーク出身のドーン・ケイ・レーマンと結婚し、2人の子供がいる。母のマーサ・コプラはテキサス州オースティンに住んでいる。父のレナート・コプラは既に死去している。父はフィンランドの家系で、祖母のアンティはフィンランドのカレリア出身で、1910年にアメリカ合衆国に移住してきた。ティモシーの父はフィンランド語を話すが、彼自身は話さない[2][3]

教育[編集]

NASAでのキャリア[編集]

コプラは、走行車の試験技術者として1998年9月にNASAのジョンソン宇宙センターで勤め始めた。この地位で、彼は主にスペースシャトルの発射手順の連携と国際宇宙ステーションのハードウェアの試験を担当した。彼は、宇宙遊泳の装置や国際宇宙ステーションのトラスの建築試験を熱心に行った。

2000年7月にNASAによりミッションスペシャリストとして選ばれ、コプラは翌月に候補者の訓練を行った。その後2年間、スペースシャトルとISSの訓練やT-38の飛行訓練を行った。

コプラは第19次長期滞在、第20次長期滞在で、フライトエンジニアとして60日弱ISSに滞在した[4]

スペースシャトルの予定された最後の飛行となるSTS-133に搭乗することが発表されていたが、2011年1月15日、自宅近くで自転車事故を起こし腰を骨折、同ミッションをスティーブ・ボウエン飛行士に交代させられた。

出典[編集]

  1. ^ Astronauts and the BSA”. Fact sheet. Boy Scouts of America. 2006年3月20日閲覧。
  2. ^ [1]
  3. ^ [2]
  4. ^ NASA (2008年). “NASA Assigns Crews for STS-127 and Expedition 19 Missions”. NASA. 2008年2月11日閲覧。

外部リンク[編集]