ティム・メイヨット

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ティム・メイヨット Tennis pictogram.svg
基本情報
ラテン文字名 Tim Mayotte
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・マサチューセッツ州
スプリングフィールド
生年月日 1960年8月3日(53歳)
身長 190cm
体重 84kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1979年
引退年 1992年
ツアー通算 13勝
シングルス 12勝
ダブルス 1勝
生涯通算成績 378勝260敗
シングルス 340勝203敗
ダブルス 38勝57敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(1983)
全仏 2回戦(1988・89)
全英 ベスト4(1982)
全米 ベスト8(1989)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1980・82)
全仏 3回戦(1982)
全英 1回戦(1982)
全米 3回戦(1981)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 7位
ダブルス 66位
獲得メダル
男子 テニス
オリンピック
1988 ソウル シングルス

ティム・メイヨットTim Mayotte, 1960年8月3日 - )は、アメリカマサチューセッツ州スプリングフィールド出身の元男子プロテニス選手。1988年ソウル五輪で男子シングルスの銀メダルを獲得した選手で、1980年代にアメリカを代表する選手の1人として活動した。4大大会ではウィンブルドン選手権を最も得意にした。シングルス自己最高ランキングは7位。ATPツアーでシングルス12勝、ダブルス1勝を挙げた。身長190cm、体重84kg、右利き。

1979年にプロ入り。1981年ウィンブルドン全豪オープンでベスト8に進出し、1982年ウィンブルドンで初の準決勝進出を果たす。メイヨットは準々決勝で1980年全豪オープン優勝者ブライアン・ティーチャーに競り勝ったが、初めての準決勝ではジョン・マッケンローに 3-6, 1-6, 2-6 で完敗した。1983年ウィンブルドンで3年連続のベスト8に入った後、当時は11月の年末開催だった全豪オープンでも初めてベスト4に進んだが、この準決勝ではイワン・レンドルに 1-6, 6-7, 3-6 のストレートで敗れた。メイヨットの4大大会成績は、1982年ウィンブルドン1983年全豪オープンの2度の準決勝進出が最高であるが、その後も安定した好成績を維持した。しかしメイヨットのツアー初優勝は比較的遅く、1985年2月にアメリカフロリダ州デルレイビーチ大会の決勝でスコット・デービス(同じくアメリカ)を 4-6, 4-6, 6-3, 6-2, 6-4 の逆転で破った勝利が彼の初栄冠だった。1987年にメイヨットは男子ツアーで5つのシングルス・タイトルを獲得したが、4大大会ではいくらか低迷気味だった。

オリンピックにおけるテニス競技は、1928年アムステルダム五輪以後、プロ選手の登場により除外されていた。しかし1988年ソウル五輪でプロテニス選手の出場が認められ、64年ぶりにオリンピック競技としてのテニスが復活する。オリンピックはアマチュアの祭典である、という基本理念を覆す決定がなされたため、当時は大きな波紋を呼んだ出来事だった。その記念すべき大会で、メイヨットは準決勝で同じアメリカ代表のブラッド・ギルバートを破ったが、決勝戦ではチェコスロバキア代表のミロスラフ・メチージュに 6-3, 2-6, 4-6, 2-6 で敗れ、復活金メダルの第1号を逃した。オリンピック銀メダルの年、メイヨットは4つのツアー大会で優勝し、この年に世界ランキングの自己最高位「7位」をマークした。

オリンピック銀メダルの翌年、1989年にメイヨットはウィンブルドン全米オープンの2大会連続でベスト8に進出する。ウィンブルドンのベスト8は通算6度目であったが、全米オープンでは29歳にしてようやく自己最高成績を出した。この大会では4回戦で当年度の全仏オープン優勝者マイケル・チャンに快勝したが、初めての準々決勝では第1シードのイワン・レンドルに 4-6, 0-6, 1-6 で一方的な完敗に終わった。しかし1990年に入ると、メイヨットのテニス成績は下降線をたどり始める。1991年全米オープン1回戦敗退が、彼の最後の4大大会出場になった。ソウル五輪の銀メダルで印象を残したティム・メイヨットは、1992年2月にアメリカペンシルベニア州フィラデルフィア大会の1回戦敗退を最後に31歳で現役を引退した。

外部リンク[編集]