ティムガッド
|
|||
|---|---|---|---|
ティムガッド
|
|||
| 英名 | Timgad | ||
| 仏名 | |||
| 登録区分 | 文化遺産 | ||
| 登録基準 | 文化遺産(2), (3), (4) | ||
| 登録年 | 1982年 | ||
| 公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
| 使用方法・表示 | |||
ティムガッド (تيمقاد ; Thamugadi) は、西暦100年頃にトラヤヌス帝によって建設された古代ローマの植民都市。古代ローマ時代はタムガス (Thamugas) と呼ばれた。ティムガッドの遺跡は、古代ローマの都市計画に碁盤目状の区画が導入された例を伝える現存する最良の遺跡の一つである。長い間砂に埋もれていたことから保存状態がよく、「アフリカのポンペイ」の異名をとる。
遺跡は、現アルジェリアのバトナ (Batna) から35kmのところにある。この町は元々、オーレス山地近隣における対ベルベル人の要塞とすることを主目的に、何もないところに建市された軍事コロニーであった。そこには、古代ローマ軍に所属するパルティア人のベテランが主に入居し、数年の軍役と引き換えに土地が給付されていた。
6つの道の交差点に位置したこの町には壁が張り巡らされていたが、城塞都市といえるものではなかった。本来は収容人員15000人を想定して設計された都市であったが、すぐに予定人員をオーバーし、碁盤目状の区画の外側に、より柔軟な区画設計で拡大していった。
本来のローマの碁盤目状の区画は、部分的に復元されたコリント式の円柱が並んでいるデクマヌス (decumanus maximus) とカルド (cardo) によって線引きされている直行的デザインのうちに、大々的に見出すことが出来る。カルドは町を完全に貫くものではなく、デクマヌスとの交差点にあたるフォルムで止まっている。
デクマヌスの西端には、高さ12mの凱旋門「トラヤヌスの門」がそびえている。この門は、1900年に部分的に修復されている。門は主に砂岩で出来ており、3つのアーチを持つコリント様式に属している。この凱旋門は「ティムガッドの門」としても知られている。トラヤヌス帝は多くの「トラヤヌス門」を作ったので、この「ティムガッドの門」はそれらのひとつに過ぎない。
3500人収容の劇場は保存状態が良く、現代の上演などにも使われている。他の主要建造物には、4つの公衆浴場や図書館、バシリカなどがある。
また、ローマのパンテオンに匹敵する規模の、ユピテルに捧げられた神殿も存在し、そのそばには7世紀に遡る円い後陣を持つ四角い教会がある。より後の時代にはなるが、都市の南東部には、東ローマ帝国によって建造されたシタデル(城塞)も存在する。
都市は建造された後の数百年間は平和を謳歌し、3世紀に始まったキリスト教活動の中心の一つとなった。4世紀には異端派のDonatistの拠点となった。
5世紀には、ヴァンダルの侵略を受け、都市は没落した。535年には東ローマの将軍ソロモンが占拠し、改めて都市を建造した。この結果、主要なキリスト教都市として再び人々が住まうようになったが、7世紀にはベルベル人の侵攻を受け、打ち棄てられた。以降、1881年に発掘されるまで、ティムガッドは歴史の舞台から姿を消した。
発見されたとき、都市遺跡の周辺は海抜1000mの肥沃な農業地帯となっていたが、ティムガッドの遺跡地帯はサハラに侵食されていた。しかし、この侵食によって人が寄り付かなくなっており、結果として、砂に埋もれた遺跡群は新たな都市化の波を被ることがなく、良好な保存状態を保つこととなったのである。
[編集] 世界遺産
ティムガッドは、アルジェリアの他の古代ローマ都市ジェミラ、ティパサなどとともに、1982年にユネスコの世界遺産に登録された。
[編集] 登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
| 文化遺産 | |
|---|---|
| ベニ・ハンマードの城塞 | ムザブの谷 | ジェミラ | ティパサ | ティムガッド | アルジェのカスバ | |
| 複合遺産 | |
| タッシリ・ナジェール | |
| 世界遺産 | アフリカの世界遺産 | アルジェリアの世界遺産 | 五十音順 | | |