ティグレ人民解放戦線

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ティグレ人民解放戦線(ティグレじんみんかいほうせんせん)は、エチオピアティグレ族を主体とした政党である。オロモ人民民主機構(OPDO)、アムハラ民族民主運動(ANDM)、南エチオピア人民民主戦線(SEPDF)の3党とともに、与党連合エチオピア人民革命民主戦線(EPRDF)を構成する。現在の議長(党首)はメレス・ゼナウィ

党名[編集]

  • 英語表記はTigrayan People's Liberation Frontで、TPLFと略す。
  • エチオピアではウォヤネ(Woyane)という通称がよく用いられる。

党史[編集]

エチオピアがまだ帝政であった1970年代初頭、ティグレ族の革命家により結成された反政府勢力ティグレ民族機構(TNO)が前身。TNOは地下活動を行い、アムハラ族中心の帝政に対し、プロパガンダなどを通じた反政府活動を実施した。1973年から1974年にかけて東部のオガデン地方のソマリ族の反政府闘争、および干ばつによる10万人餓死という惨状、オイルショックによる物価高騰が引き金となり、アディスアベバデモ騒乱が発生すると、TNOはティグレ族の反政府活動の中心的役割を果たすようになった。1974年9月には陸軍の反乱が起こり、皇帝ハイレ・セラシエ1世が廃位されたが、今度はメンギスツ・ハイレ・マリアム率いる軍事独裁政治が始まり、TNOは再び反政府活動を開始した。1975年2月、政治・軍事的に勢力を拡大したTNOは、ティグレ人民解放戦線(TPLF)へと改組し、より広範な反政府活動を行なうようになった。

TPLFはエリトリア人民解放戦線(EPLF、現在の民主正義人民戦線)などと共に、メンギスツ政権に対する反政府活動を続けた。エチオピア人民民主運動(EPDM)と共闘し、ウォロやゴンダルなどの地域を支配下に収めた。1983年には、アルバニア労働党に同調したより急進的なグループがTPLF内にティグレ・マルクス・レーニン主義連盟(MLLT)を結成し、TPLFの主導権を握った。これに伴い、ティグリニャ語での組織名にウォヤネを冠した。これは1943年のティグレ族によるウォヤネの反乱を意識して付けられたものである。

TPLF中央委員会と政治局の決定に従い、TPLFは4つの地域機構に分割された。うち3つはエチオピアのティグレ族地域、1つは在外ティグレ族の組織となり、それらの頂点にTPLF中央が存在するように改組された。在外ティグレ族の組織は更にスーダン中東欧州北米の4支部へと細分化された。

1989年にOPDO、ANDM、SEPDFの3組織と共にEPRDFを結成。1991年にメンギスツ率いるエチオピア労働者党の独裁政権を崩壊させ、政権の座に就いた。また、同年にアルバニアの労働党政権が崩壊したのに伴い、TPLFは党是からマルクス・レーニン主義を削除し、MLLTを廃止した。TPLFのメレス・ゼナウィ議長が同年から1995年まで暫定大統領、以降は新憲法のもとでの連邦政府の首相を務めている。また、メレスはEPRDF結成の際から一貫してその議長(党首)職にあり、現在に至るまでTPLFはEPRDF内の主導的立場にある。

1992年以来、TPLFはエチオピア北部のティグレ州の政権を一貫して担い続けている。2005年8月に実施されたティグレ州議会選挙では、定数152議席の全てをTPLFが獲得した。