テアトル・オプティーク

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1892年のテアトル・オプティーク初上映。動画はスクリーンの裏側から映写された。(ルイ・ポイエ画)

テアトル・オプティークThéâtre Optique)とは、フランスの理科教師シャルル・エミール・レイノーにより1892年に発明された、動画をスクリーン上に投影する装置である。テアトル・オプティークは動く画像を多数の観衆に公開できる最初の装置であり、リュミエール兄弟による最初の映画上映に3年先行していた。

発明家であったレイノーは、1876年にゾートロープを改良したプラキシノスコープを発明した。プラキシノスコープはゾートロープの細い覗き窓を、絵と同じ枚数の12枚の環状に配置された鏡に置き換えることで、より鮮明かつ歪みの少ない動画を実現していた。複数の観衆が同時に動画を鑑賞する事もできた。レイノーが1877年にプラキシノスコープの特許を取ると、この装置は多数のパリの大手百貨店で売り上げを博した。

1878年にレイノーはプラキシノスコープ・テアトルを発明した。これはプラキシノスコープの改良版であり、交換可能な背景の上に動画を重ねて映し出せるガラスの覗き窓が含まれていた。レイノーは設計の改良を続け、1880年に最初の上映装置を作り上げた。この上映式プラシキノスコープは光源を用いてプラキシノスコープの動画を小型スクリーンに映写する装置であり、多数の観衆がその動画を同時に鑑賞する事ができた。しかし動画枚数は依然として12枚に限られたままであった。

レイノーによる最初のテアトル・オプティーク上映を広告するポスター

1888年にレイノーは大型の上映装置を完成させた。この装置は数年後に発明される映画の映写装置とよく似た構造をしていた。この装置では、レイノー自身により動画が手描きされたゼラチンフィルムが革製のベルトにはめ込まれており、それぞれのベルトは小孔が穿たれた金属片により繋がれていた。この小孔を回転するドラムに立てられたピンに通し、画像が光源の前に送り込まれた。この連続する画像が描かれたベルトを現代の映写リールとよく似た一対の車輪の間に掛け渡す事によって、レイノーは以前のような12枚に制限された動画ではなく、連続した動画を作成する事が可能になった。

『哀れなピエロ』Pauvre Pierrot (1892年)

1892年10月28日に、レイノーはパリグレヴァン蝋人形館で最初の動画公演を行った。『光のパントマイム』(Pantomimes Lumineuses)と題されたこの公演では、『哀れなピエロ』(原題:Pauvre Pierrot)、『一杯のビール』(原題:Un bon bock)、『道化師と犬』(原題:Le clown et ses chiens)と題された3本の漫画が上映された。それぞれの作品が500から600枚の彩色された動画を含み、上演時間は約15分間であった。レイノーは自ら映写技師を務め、公演にはピアノによる伴奏が付けられていた。1895年のリュミエール兄弟による映画公開によりその人気に翳りが差したものの、この公演はグレヴァン蝋人形館で1900年まで続けられ、50万人以上の観客がこの公演を目にした。

参考資料[編集]