干し首

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ツァンツァから転送)
アマゾン川流域上流の部族により制作された干し首。オクスフォードピット・リヴァーズ博物館所蔵

干し首(ほしくび)とは、装飾用に加工された人間頭部のことである。

かつては首狩りを実践していた多数の部族の風習として干し首が作られていた。最も有名な例としては、現在のエクアドルペルーにあたる地域に住んでいたヒバロー族あるいはシュアール族の干し首が挙げられる。シュアール族の間では、干し首はツァンツァの名で呼ばれていた。ニュージーランドのマオリ族のモコモカイ英語版などがある。

作り方[編集]

干し首の制作過程は、基本として皮膚の乾燥に伴って行われる。まず、犠牲者の頭部から頭蓋骨が抜き取られる。この時、製作者は犠牲者の首の背面に切り込みを入れ、全ての皮膚と肉を頭蓋骨から剥ぎ取る。その次に、制作者は犠牲者の瞼を縫い閉じ、ピンで唇を固定する。頭部の肉からは脂肪がそぎ落とされる。頭部の肉はタンニンを含む様々な薬草入りの熱湯で茹でられ、制作者によって人間の外貌を留めるように形を整えられながら、熱した石と砂で乾燥させられる。唇は縫い合わされ、頭部はビーズ、鳥の羽毛、甲虫類鞘翅などで装飾される。

干し首の特徴は突出した下顎と歪んだ顔面、額の両側面の収縮である。これらは萎縮の過程による産物である。

頭部の収縮の過程は儀式と並行して行われた。この儀式は全共同体による祝宴であるラ・フィエスタ・デ・ラ・ヴィクトリア(スペイン語で「勝利の祝宴」の意味)によって頂点を迎えた。

目的[編集]

フロリダ州セントオーガスティンライトナー博物館展示の干し首

干し首の制作は本来は宗教的な意味を持っていた。干し首は敵の霊魂を束縛することにより、制作者への奉仕を強制するものであると信じられていたのである。ヨーロッパ人との交易用に非宗教的な干し首も作られたが、宗教的な干し首と非宗教的な干し首とは明確に区別されていた。

ヒバロー族は以下の三つの根本的な霊魂の存在を信じていた。

  • ワカニ - 死後も蒸気となって存続する、人間固有の霊
  • アルタム - 「幻影」あるいは「力」の意味。非業の死から人間を保護し、その生存を保障する霊
  • ムシアク - アルタムによって守られていた人間が殺害された時に現れる、復讐の霊

復讐の霊ムシアクがその力を振るうのを妨げるために、ヒバロー族は敵の頭部を切り落とし、干し首にすることにした。また、これは敵に対する威嚇としても役立った。

敵の干し首が何らかの理由で作れない時には、サルナマケモノの頭部で代用品を作ることもあった。

北米のミシシッピ文化サザン・カルトに関連する支配階層の副葬品、南米のナスカ文化モチェ文化ティワナク文化シカン文化にも宗教的な権威に関連する文脈で干し首を思わせる首級を描いた壁画、レリーフ、土器や織物の文様がみられる。

ロンドンサイエンス・ミュージアム展示の干し首

交易[編集]

1850年代以降から、ヒバロー族のツァンツァの風習は金を求めて南アメリカ大陸奥地に進出したヨーロッパ人の知るところとなり、観光客や好事家たちは競ってヒバロー族を相手に干し首の交易を始めた。これらの需要の結果として、ヒバロー族は交易を目的とした干し首の制作と他部族との戦争を行うようになった。1930年代には干し首一つは約25ドルで取り引きされていた。また、ヒバロー族は干し首を獲得するための戦争に銃器を使用するようになり、必要な銃と弾薬は干し首の交易により白人から入手された。ペルーおよびエクアドルの政府が干し首の交易を禁止する法律を制定するまで、これらの交易は続いた。この後も好事家のために、ヨーロッパやアフリカ、アジアなど南アメリカ以外の地域で、病院の医師を抱きこんだ引取り人のない死体による干し首の制作が行われた。

現在では、観光客向けの土産物として、干し首の模造品が作成されている。これらの模造品は本物の干し首に似せて刻まれたや獣皮から作られている。干し首の模造品はその刺激的な特徴により、ホットロッド・カルチャーの間でも好まれており、ホットロッドの愛好者はしばしば装飾品として、バックミラーからこの模造品をぶら下げていることがある。

鼻毛の有無が、ある干し首が本物であるか模造品であるかを見分ける手掛かりの一つである。本物の干し首の最大のコレクションは、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルにあるイェ・オールド骨董店に展示されており、そこには7体の干し首が飾られている。また、この店にはテニスボール大の大きさしかない世界最小の干し首も展示されている。

日本国外務省によると、2009年にエクアドルモロナ・サンティアゴ県及びパスタサ県において発見された数体の首無し死体について、切断された首はシュアル族の間に伝わる方法によって干し首にされ、インターネット販売されている可能性があるという。

第二次世界大戦中には、ドイツの強制収容所において囚人の頭部を使用した干し首が作られていたことが報告されている。最も有名な報告はブーヘンヴァルト強制収容所で行われたもので、そこでは他の囚人を威嚇するために収容所の中央に干し首が掲げられていた。

外部リンク[編集]