チャールズ・L・ケーディス

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チャールズ・ルイス・ケーディス(Charles Louis Kades、1906年3月12日 - 1996年6月18日)はアメリカ軍人弁護士GHQ民政局課長次長を歴任。日本国憲法制定に当たっては、GHQ草案作成の中心的役割を担い、戦後日本の方向性に大きな影響を与えた。

略歴[編集]

ユダヤ人としてアメリカ合衆国ニューヨーク州ニューバーグに生まれる。ハーバード大学法科大学院を卒業後、弁護士となり、やがてアメリカ合衆国財務省に入省してニューディール政策推進に尽力した。

第2次世界大戦が始まるとアメリカ陸軍に属し、将校としてフランス戦線に従軍。最終的には大佐まで昇進した。

1945年、第2次世界大戦終戦の直後に進駐軍の一員として来日。はじめGHQ民政局課長、やがて次長となり、局長コートニー・ホイットニーの下で日本の民主化を推し進めた。

1946年、GHQ総司令官マッカーサーの命を受け、日本国憲法のGHQ草案作成の実質的な指揮を執り、ほぼ全ての内容を日本政府に受け入れさせた。

1948年、マッカーサーの命を受けてアメリカへ帰国。当時、アメリカ大統領トルーマンとGHQ最高司令官マッカーサーとの間では、対日政策を巡る主導権争いが激化していた(後述する民政局とGHQ参謀第2部(G2)との対立も、要は主導権争いであった)。マッカーサーには、彼を用いてアメリカ政府上層部における自らの支持層を拡大しようという意図があったと考えられるが、失敗に終わる(その後1951年マッカーサーはトルーマンの命により更迭され、アメリカへ帰国)。

1949年5月3日、GHQ民政局次長を辞任。彼は、日本国憲法施行からちょうど2年に当たるこの日を自ら選んだと言われる。その後、再び弁護士としてニューヨーク州で活躍した。1996年、90歳にて死去。

エピソード[編集]

鳥尾鶴代不倫関係にあったというエピソードが有名。斎藤昇国警本部長官ら旧内務官僚らが、内務省解体をもたらしたケーディスの追い落としを図ってG2に加担したが、鳥尾鶴代を通じてこれがケーディスに知られるところとなり、これらに加わった旧内務官僚の警視庁幹部らは左遷されることとなった。さらにケーディスは自身に火の粉が降りかかるのを阻止するために、日本の政財官界における汚職問題に矮小化ないし歪曲化した形で、東京地検隠退蔵事件捜査部に事件化(「昭和電工事件」)させたとの見方もある[1]

ニューディーラーとして日本の民主化に尽力した一方で、総選挙の結果に反して第一党では無い政党党首首相に据えるよう工作したり、司法の判断を黙殺して平野力三公職追放に追い込むなど、いわば独裁に走ったような一面もあったと言われている。こうした行動の背景には、チャールズ・ウィロビーG2部長や吉田茂白洲次郎らとの対立が激化していたことがあったと考えられる。

ケーディスが民政局を辞任した際、日本進駐の経験のあるロバート・アイケルバーガー(当時、陸軍中将)は以下のようにコメントしている。

「彼は日本人に自ら手本を示した。空虚な理想主義者は奢りと腐敗に溺れ、自滅する、と。」

脚注[編集]

  1. ^ 『政官攻防史』(金子仁洋,文春新書,1999年)