チャールズ・バーナード (弁務長官)

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Sir Charles Edward Bernard

英領ビルマ弁務長官
任期
1886年9月25日 – 1887年3月12日

英領ビルマ弁務長官
任期
1880年7月2日 – 1883年3月2日

出生 1837年12月21日
イングランドの旗 イングランドブリストル
死亡 フランスの旗 フランスシャモニー=モン=ブラン 
国籍 グレートブリテン及びアイルランド連合王国
配偶者 スーザン・カペル・トーニー
母校 Haileybury and Imperial Service College

サー・チャールズ・エドワード・バーナード(Sir Charles Edward Bernard KCSI, 1837年12月21日 - 1901年9月19日)は、イギリス英領ビルマ弁務長官。

生涯[編集]

イングランドブリストル内科医ジェームズ・フォゴ・バーナードとマリアンヌ・アメリア・ローレンス夫妻の息子として生まれた。ラグビー校、Haileybury and Imperial Service Collegeで教育を受けた。1857年にインド高等文官に合格し、パンジャーブ配属となった。1874年から1877年までCentral Provinces弁務長官を務めた。3年後の1880年7月2日から1883年3月2日まで下ビルマ弁務長官、1886年9月25日から1887年3月12日までビルマ弁務長官を務めた。1887年からロンドンに戻り、歳入・統計・貿易省(Department of Revenue, Statistics and Commerce)、インド省英語版で秘書官を務めた。

1862年にスーザン・カペル・トーニーと結婚し、8人の子供がいた。

1901年9月19日にフランスシャモニー=モン=ブランで病死した。[1]

参考文献[編集]

  1. ^ "Deaths" The Times. Tuesday, 24 September 1901. Issue 36568, p. 1.
  • "The Career of Sir Charles Edward Bernard in Myanmar" in U Hla Thein, Selected Writings (Yangon: Myanmar Historical Commission, 2004) 134-166
  • John Riddick, Who Was Who in British India

外部リンク[編集]

先代:
チャールズ・エイチソン
英領ビルマ弁務長官
1880年 - 1883年
次代:
チャールズ・ホークス・トッド
先代:
チャールズ・ホークス・トッド
英領ビルマ弁務長官
1886年 - 1887年
次代:
チャールズ・ホークス・トッド