チャチャク

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Čačak
Чачак
—    —
中心部の通り

紋章
セルビアにおけるチャチャクの位置
座標: 北緯43度53分 東経20度21分 / 北緯43.883度 東経20.350度 / 43.883; 20.350
セルビアの旗 セルビア
モラヴィツァ郡
地区 58
行政
 - 市長 Vojislav Ilić (NS)
面積[1]
 - 自治体 636km2 (245.6mi2)
人口 (2011 census)[2]
 - 市街 73,331人
 - 自治体 115,337人
等時帯 CET (UTC+1)
 - 夏時間 CEST (UTC+2)
郵便番号 32000
市外局番 +381 32
ナンバープレート ČA
ウェブサイト www.cacak.org.rs

チャチャクセルビア語: Čačak/Чачак)発音 [t͡ʃǎːt͡ʃak])はセルビア中西部にある都市の一つ。ドナウ川に次いでセルビアで2番目に長い西モラヴァ川英語版河畔にあり、シュマディヤ英語版ディナル・アルプス山脈の間のチャチャク=クラリェヴォ峡谷に位置する。チャチャクはモラヴィツァ郡の行政中心であり、北はゴルニ・ミラノヴァツ英語版、南西はルチャニに至る郡内の経済や文化、スポーツの中心となっている。チャチャクは南西部でズラティボル郡ポジェガ英語版、東部でシュマディヤ郡クニチ英語版、南東部でラシュカ郡クラリェヴォとそれぞれ境界を接している。海抜の最低地点はブレスニチュカ・レカ川(Bresnička reka)と西モラヴァ川が合流する地点で204mあり、最高地点はオヴチャル山英語版の985mである。自治体内には58地区あり市街自体の人口は73,331人、基礎自治体全体では115,337人である。チャチャクはセルビアの首都ベオグラードからは南に144km離れた場所に位置している。

チャチャクの周辺には特徴的な地形オヴチャル=カブラル峡谷英語版があり、そこには14世紀から建てられた300の僧院があったが、今日では12が残るのみである。この地域は「セルビアのアトス山」と呼ばれることもある。現在の呼称であるチャチャクは1408年からのものでそれ以前はグラダツ(Gradac)と呼ばれていた。グラダツの指導者であるストラツィミル・ザヴィドヴィチ英語版や兄弟のステファン・ネマニャはセルビアの重要な支配者であった。ザヴィドヴィチは今でもチャチャクの中心に建つ聖母教会を建てている。教会のファサードは震災での損害後、2010年から2011年にかけて再建されている。

1459年からオスマン帝国によってセルビアが独立を失っていた1718年までの期間と、1739年から1878年までの間、チュチャクはオスマン帝国の一部となっていた。1718年から1739年にかけての短期間、チャチャクはハプスブルク君主国の南部にあった。チャチャクは1815年の第二次セルビア蜂起英語版の時には激しい戦いの場であった。リュビチ丘の一番高い地点は蜂起の大きな戦いが起こった場所であり、現在は町を守るために戦死したタナスコ・ライィチ英語版の記念碑が建てられている。その後の1817年、セルビアはオスマン帝国から自治を与えられた。それから61年後、セルビアは独立国となった。1882年にチャチャクはセルビア王国になり、1918年から2003年までユーゴスラビアの一部であった。2003年から2006年にかけてはセルビア・モンテネグロ、2006年からはセルビア共和国に属している。第二次世界大戦中の1941年には、チャチャクはナチス・ドイツによって建国後早々に滅ぼされた短命国家ウジツェ共和国英語版の領域に含まれていて、その東部にあった。

地理[編集]

チャチャクの自治体はセルビア西中部にあり、首都ベオグラードの南144kmの場所に位置する。もっとも近い国境はボスニア・ヘルツェゴビナとの間のものである。モラヴィツァ郡の中で、この自治体は中心地としての特徴を全て備えている。大部分が西モラヴァ川英語版の西側に位置し、チャチャクは北のシュマディヤ英語版の丘陵地と南の内陸の高地とをつないでいる。これらの山々はチャチャク盆地や市街地、モラヴァ川に向かって緩やかに波打った形で傾いている。自治体の面積は636km²を占めそこには、海抜204~300mのチャチャク盆地、300~500mの丘陵地帯、西のオヴチャル山英語版(985m)とカブラル山英語版(889m)、南のイェリツァ山英語版(929m)、北東のヴヤン山英語版(857m)といった山々がある。

気候[編集]

チャチャクは湿潤大陸性気候で、年平均気温10.47℃・湿度74.1%。夏は温暖で、冬は寒冷。風向きは北や北東から吹き、山地の影響で西からの風は稀である。8月の平均気温は22℃。1月の平均気温は0.5℃。年間38日は雪で、54日は霧である。年間の平均風速は2.3 m/sで、時折サハラ砂漠からの砂塵により交通などで住民に問題を起こしている。年間平均降水量735㎜。[3]

チャチャク (2011)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 4.0
(39.2)
9.2
(48.6)
11.2
(52.2)
14.4
(57.9)
17.6
(63.7)
25.8
(78.4)
28.0
(82.4)
27.8
(82)
22.6
(72.7)
12.4
(54.3)
5.2
(41.4)
4.6
(40.3)
13.7
(56.7)
降水量 mm (inch) 64
(2.52)
61
(2.4)
63
(2.48)
65
(2.56)
86
(3.39)
63
(2.48)
41
(1.61)
31
(1.22)
51
(2.01)
81
(3.19)
61
(2.4)
68
(2.68)
735
(28.94)
平均降水日数 (≥ 0.1 mm) 17 18 13 15 17 11 5 5 11 17 20 16 165
 % 湿度 85 78 65 65 65 60 59 60 62 72 80 75 64
平均月間日照時間 57.2 76.7 138.2 172.1 237.2 255.9 285.8 269.0 199.3 158.1 92.0 53.5 1,956
出典: Republic Hydrometeorological Service of Serbia[4]

地区[編集]

チャチャク自治体は58の地区に分かれている。

  • Čačak
  • Atenica
  • Baluga, Ljubićska
  • Baluga, Trnavska
  • Banjica
  • Beljina
  • Bečanj
  • Brezovica
  • Bresnica
  • Vapa
  • Vidova
  • Viljuša
  • Vranići
  • Vrnčani
  • Vujetinci
  • Goričani
  • Gornja Gorevnica
  • Gornja Trepča
  • Donja Gorevnica
  • Donja Trepča
  • Žaočani
  • Zablaće
  • Jančići
  • Ježevica
  • Jezdina
  • Katrga
  • Kačulice
  • Konjevići
  • Kukići
  • Kulinovci
  • Lipnica
  • Loznica
  • Ljubić
  • Međuvršje
  • Milićevci
  • Miokovci
  • Mojsinje
  • Mrčajevci
  • Mršinci
  • Ovčar Banja
  • Ostra
  • Pakovraće
  • Parmenac
  • Petnica
  • Preljina
  • Premeća
  • Pridvorica
  • Prijevor
  • Prislonica
  • Rajac
  • Rakova
  • Riđage
  • Rošci
  • Slatina
  • Sokolići
  • Stančići
  • Trbušani
  • Trnava

歴史[編集]

先史時代[編集]

チャチャク周辺にはいくつかの古代遺跡があり、最古の物は紀元前15世紀に遡る[5]。 グレコ=イリリアン型(グラシナツ文化英語版)の立派な墓はアテニツァ英語版の2つの塚でイオニアガラス、ガラスペースト、白鳥をかたどったビーズ、屋根裏の野生イノシシの飾り板と共に発見された。これは紀元前6世紀に遡る[6] 。青銅の白鳥のフィッブラも自治体内のモイシニイェ英語版で発見されている[7][8]

先史時代の墳丘墓ムルチャヴィツィ英語版で発掘されている[9]トリバリ英語版スコルディスキなどのケルト系部族はローマ人が来るまでこの地域でも暮らしていた。

ローマ時代[編集]

イェリツァ=グラディナ村ではローマの要塞の組み合わせと一緒にマルティリウム英語版やネクロポリスや3つの教会が発見されている。そのうちの一つ526-537年にユスティニアヌス1世のために造られ、要塞は530年代に築かれたとされる。焼けた層の存在は暴力により集落が終焉を迎えたと断定され、同じ地域には6世紀に4つの要塞が築かれた[10]。2世紀から4世紀にかけてはローマ式の浴場テルマエが建てられた。現在でも経済専門学校の後ろに残されている。

中世[編集]

南スラブ人がこの地域にやって来たのはビザンティンヘラクレイオス(610-641)が統治していた時代であった。当時からの場所はカブラル山の麓のツリナに残っている。1168年から1189年にかけてストラツィミル・ザヴィドヴィチ英語版がチャチャク(当時はグラダツ)も含まれたザパドナ・モラヴァ地域Zapadna Moravaを統治していた。当時彼は聖母教会かモラヴィア・グラダツ教会を建てた。 現在の街の名称となっているチャチャクčačakの意味はトルコの言葉で泥を意味している。(現在のトルコ語で泥はÇamur)1459年にオスマン帝国がチャチャクにやって来ると教会はモスクに変えられた。

16世紀から現在まで[編集]

スレイマン1世キャーティプ・チェレビーエヴリヤ・チェレビが16世紀や17世紀、チャチャクはカーディーにとってチャチャクは主要な場所であると話している。1717年にチャチャクはオスマン帝国に勝利した後、ハプスブルク君主国の一部となるが、21年後チャチャクは再びオスマン帝国の一部となった。その後、チャチャクは人々がハプスブルクであった北に移住し街は空いた場所となった。これらの場所にはモンテネグロやボスニア・ヘルツェゴビナ、古くからのヴラフ人がやって来た。今日のチャチャクの住民の90%はこれらの後にやって来た人々を出自としている。

チャチャクの街の紋章には2つの年が記されている。最初の1408年はチャチャクが最初にドゥブロヴニクのある古文書に記録された年で、もう一方の1815年は第二次セルビア蜂起英語版が始まりリュビツの丘で戦いがあった年でである。この戦いはセルビアの反乱勢力が6万の軍勢の強力なオスマンの兵を破ったことで知られる。 1837年、セルビアでは最初に誕生したうちの一つであるグラマースクールが建てられた。1837年から1941年にかけてチャチャクは近代的な都市へと変わっていった。第二次世界大戦中、チャチャクは一時的にナチスにより分離され設立され短期間存在したウジツェ共和国英語版の一部であった。1944年にチャチャクはパルチザンにより解放された。

経済[編集]

チャチャクの主要な産業は農業、工業、商業、サービス産業で構成されている。チャチャクの主要な産品は紙の生産、家電製品、金属や非金属、木材加工用のブレードツール、化学製品、家庭用熱機器、医薬品、農産品などがある。民間企業は19世紀からの伝統があり、チャチャクの経済の特徴となっている。多くの民間企業は80人から270人の幅広い分野の中小企業である[11]

文化[編集]

チャチャクはありふれた土地から21世紀の現代的な都市に変わるまで長く困難な道を横切って来た。演劇のシーズンにはセルビア中から多くの劇団が文化センターで公演を行っている。中心部には劇の制作場やバレー学校、芸術品や彫刻などがある。展示や公演、文学の夜などの行事は"Nadežda Petrović"や"Risim"美術館、国立博物館、公文書館、市立図書館などで行われる。多くの文化や音楽、娯楽、観光客の出現は市街は周辺部にはあり、自治体内のプリスロニツァ英語版で開催されるDisovo springのようなオリジナルの民族音楽の行事やナデジュラ・ペトロヴィチ英語版の記念やフルートフェスティバルは他の行事とともに民族文化のファンを惹き付けている。チャチャクの南10kmのグチャGučaでは毎年、グチャトランペットフェスティバル英語版が開催されノヴィ・サドで開催される音楽祭エグジットフェスティバル英語版と共にバルカン半島でも有名な音楽祭の一つである。

現在の街の芸術作品は後援するグループや団体、私営の美術館や多くの愛好家を通じて追うことが出来る[12]

教育[編集]

チャチャクには3つの学部が所在し、そのうち2つはクラグイェヴァツ大学英語版の学部である。

  • クラグイェヴァツ大学栽培学部
  • クラグイェヴァツ大学理学部
  • 高等工業専門学校

高校は6校ある。

  • チャチャクグラマースクール
  • 経済高校
  • 技術高校
  • 医療高校
  • 工業高校
  • F&Cスクール

観光[編集]

チャチャクの周辺には多くの教会や修道院があり、これらは文化的にも歴史的に重要な記念物である。20を超える教会や修道院がチャチャクにはあり、セルビアでも最も多く残っている街の一つである。もっとも重要なチャチャクの教会や修道院は昇天教会やリュビチの丘のラザル教会などである。オヴチャル=カブラル峡谷英語版で特別な価値があるとされる修道院は中世に遡り、何世紀も前の当時の文化や芸術の特徴を示している。12の修道院や教会は以下の通り。

  • Uspenje
  • Vavedenje
  • Jovanje
  • Nikolje
  • Blagoveštenje
  • Vaznesenje
  • Preobraženje
  • Sretenje
  • Sveta Trojica
  • Ilinje
  • Savinje
  • Kadjenica

薬効のある温泉や鉱泉はヘルスケアや治療、レクレーションなどの観光開発の基礎となっている。自治体内にはゴルニャ・トレプチャ英語版オヴチャル・バニャ英語版、スラティンスカ・バニャSlatinska Banjaの3つのスパがある。丘陵沿いにはピクニックの場所にもなっている。

スポーツ[編集]

チャチャクにはセルビアでは全国的に有名なスポーツクラブも多くあり、主要なスポーツにはバスケットボールやサッカー、ハンドボールがある。KKボラツ・チャチャク英語版FKボラツ・チャチャク英語版はセルビアの1部リーグに参戦しており多くの年で連続して成功を収めている。女子ハンドボールクラブチームも2チームが上手く行っている。

ギャラリー[編集]

人口動態[編集]

2011年に行われた公式の国勢調査によればチャチャク自治体の人口は 115,337人でチャチャク市街の人口は73,331人であった。住民の平均年齢は38.8歳でうち男性は37.9歳、女性は39.7歳である。一世帯当たりの平均人数は2.98人である。チャチャクの大部分を占める民族はセルビア人で95.3%を占めている。過去3回の調査に比べて人口は増加している。民族構成は以下の通り。

民族構成 人口
セルビア人 110,886
ロマ 530
モンテネグロ人 328
クロアチア人 105
ユーゴスラビア人 117
マケドニア人 112
ロシア人 34
その他 3,225
合計 115,337

著名人[編集]

国際関係[編集]

姉妹都市[編集]

チャチャクは以下の都市と姉妹都市の協定を結んでいる。

脚注[編集]

  1. ^ "Municipalities of Serbia, 2006". Statistical Office of Serbia. Retrieved 2010-11-28.
  2. ^ "2011 Census of Population, Households and Dwellings in the Republic of Serbia: Comparative Overview of the Number of Population in 1948, 1953, 1961, 1971, 1981, 1991, 2002 and 2011, Data by settlements". Statistical Office of Republic Of Serbia, Belgrade. 2014. ISBN 978-86-6161-109-4. Retrieved 2014-06-27.
  3. ^ Čačak – geographical position
  4. ^ Monthly and annual means, maximum and minimum values of meteorological elements for the period 1981-2010, Belgrade” (Serbian). Republic Hydrometeorological Service of Serbia. 2012年9月8日閲覧。
  5. ^ http://www.to-cacak.com/?at_id=66
  6. ^ Trebenishte: the fortunes of an unusual excavation – M. Stibbe,Rastko Vasić
  7. ^ http://sehumed.uv.es/revista/numero16/SEHUMED_colecc131.PDF
  8. ^ hrcak.srce.hr/file/71455
  9. ^ http://www.balkantravellers.com/en/read/article/1871
  10. ^ http://books.google.se/books?id=mnSq1VNloGsC
  11. ^ Economy of the Čačak city
  12. ^ Culture and Art

外部リンク[編集]