チャチャイ・チオノイ

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チャチャイ・チオノイ
基本情報
本名 Naris Chionoi
通称 Chartchai Laemfapha
階級 フライ級
身長 165cm
リーチ 166cm
国籍 タイ王国の旗 タイ
誕生日 (1942-10-10) 1942年10月10日
出身地 バンコク
死没日 (2018-01-21) 2018年1月21日(75歳没)
死没地 バンコク
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 84
勝ち 62
KO勝ち 37
敗け 19
引き分け 3
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チャチャイ・チオノイChartchai Chionoi1942年10月10日 - 2018年1月21日)は、タイ王国の元プロボクサー。元WBC世界フライ級王者。元WBA世界フライ級王者。

ニックネームは「稲妻小僧」。自身が通ったボクシングジム移転にともないチャチャイ・ラエムファバーとなった時期がある。

来歴[編集]

1957年、14歳でプロデビュー。2ラウンドノックアウト勝ち。賞金は50バーツ(当時レートで約850円)

1961年1月4日、日本の関光徳に判定で敗れる。関とは1962年4月24日にタイで再戦し、10回判定勝ちを収めた。

1962年9月22日、フィリピンのプリモ・ファミロに12回判定勝ちでOBF東洋フライ級王座を獲得。

1962年12月31日、後の世界王者海老原博幸と京都市の弥栄会館で対戦し、判定負け。

1963年7月7日、中村剛に判定負けでOBF王座陥落。東洋王座陥落後もフィリピン・イタリア、日本、フランスなど様々な選手との対戦をハイペースで重ねていった。地元タイでの試合もあったが、フィリピンや日本など、敵地での試合にも多く出場した。

1966年12月30日、55戦目でEBUBBBofCリングマガジン認定世界フライ級王者ウォルター・マグゴーワンに挑戦し、9回KO勝ちで王座を獲得した。

1968年1月28日、アラクラン・トーレスと対戦し、13回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。

1968年11月10日、バーナベ・ビラカンポと対戦し、15回判定勝ちで4度目の防衛に成功するとともに、空位のWBC世界フライ級王座を獲得した[1][2][3]

1969年2月23日、5度目の防衛戦でアラクラン・トーレスと再戦し、8回TKO負けで王座陥落。しかし、1970年3月20日に行われたラバーマッチで対戦し、判定勝ちで王座奪回を果たした。

1970年12月7日、初防衛戦でエルビト・サラバリアと対戦し、2回TKO負けで王座から陥落した。

1973年1月2日、WBA世界フライ級王者大場政夫に挑戦。12回KO負けで王座獲得ならず[4]

1973年5月17日、大場の事故死によって空位となったWBA王座をフリッツ・シェルベットと争い、5回TKO勝ち。3回目の世界王座獲得となった。

1974年10月18日、3度目の防衛戦で花形進と対戦予定であったが、当日計量で体重超過となり王座を剥奪された。試合も6回TKO負けとなり、花形が新王者となった。

1975年8月16日の試合を最後に引退した。

晩年はパーキンソン病を患い、闘病生活を送っていたが[5]、2018年1月21日、肺炎によりバンコクで死去した[5][6]。75歳没。

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b プロレス&ボクシング、1968年12月号、ベースボール・マガジン社、122頁、「またも訪れた世界への道《日本フライ級の復活は可能か》」、上から2段目、右から11行目から『とにかく、不在の支配者の座はなるべく早く埋めなければならない。WBCは十一月九日、バンコクで行われるEBU公認世界フライ級選手権、チャチャイ・チオノイ(タイ)対バーナベ・ビラカンポ(比)の十五回戦の勝者を、新王者と認定することに決めた。(※後略)』
  2. ^ a b ゴング、1969年1月号、日本スポーツ出版社、126頁、GONG GOSSIP、上から3段目、「ひょっこり フライシャー氏来日」『十一月の十二日にリング誌の主筆であるナット・フライシャー氏がひょっこり来日した。十一月の初めバンコクでのWBC(世界ボクシング評議会)フライ級王座決定戦チャチイ・チオノイ(タイ)-バーナベ・ビラカンポ(比国)戦を観戦しての帰途立ち寄ったもの。(※後略)』
  3. ^ a b ボクシング、平沢雪村主宰、1968年11月号、拳闘社、19頁、上から4段目、海外ニュース、「世界フライ級王座決定戦はチャチャイ対ビラカンポで行う」、『WBCモンタノ会長は十月十日、世界フライ級チャンピオン、オラシオ・アカバロの引退にともない、十一月一日バンコクで行われるWBC同級一位チャチャイ・チオノイとWBC同級三位バーナベ・ビラカンポの試合を、条件付きで世界タイトルマッチと承認すると発表した。この試合の勝者は九十日以内に、同級二位メキシコのアラクラン・トーレスと対戦する。』
  4. ^ ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年
  5. ^ a b “大場政夫に挑んだチャチャイ氏のリング史を飾る死闘”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2018年1月30日). https://www.nikkansports.com/battle/column/ring/news/201801300000421.html 2018年1月30日閲覧。 
  6. ^ "THE GREAT CHARTCHAI CHIONOI HAS PASSED" (HTML) (Press release) (英語). 世界ボクシング評議会. 22 January 2018. 2018年1月23日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
オラシオ・アカバリョ
WBC世界フライ級王者

1968年11月10日 - 1969年2月23日

次王者
アラクラン・トーレス
前王者
アラクラン・トーレス
WBC世界フライ級王者

1970年3月20日 - 1970年12月7日

次王者
エルビト・サラバリア
空位
前タイトル保持者
大場政夫
WBA世界フライ級王者

1973年5月17日 - 1974年10月18日(剥奪)

空位
次タイトル獲得者
花形進