チェーザレ・シエピ

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チェーザレ・シエピ

チェーザレ・シエピ(Cesare Siepi, 1923年2月10日-2010年7月5日)は、20世紀イタリアオペラ界を代表するバス歌手。

人物[編集]

奥行きの深い声を響かせると共に、バス歌手としては稀有な軽やかで柔軟な歌唱を両立した美声と優れたテクニックで、あらゆる役柄において高い音楽性に裏打ちされた解釈を聞かせた。長身の舞台映えする外見も含めて、世紀のドン・ジョヴァンニとして今なお理想的な歌手と目する人も多い。

生涯[編集]

ミラノに生まれる。少年期から生地のマドリガル・グループに参加し、オルガン奏者としても高名なチェーザレ・キエーザに師事(同門にジュゼッペ・ディ・ステファノがいた)するなどし、1941年に18歳でフィレンツェでの声楽コンクールに優勝する。コンクールの直後に北イタリアのスキオで「リゴレット」のスパラフチーレ役でデビューする機会を得るが、ドイツ軍の占領によりスイスティチーノ州に亡命した。スイスでは合唱指揮者で作曲家でもあったアルナルド・フィリペッロの下で更なる研鑽を積み、来るべき戦後の活躍に備えた。

1946年1月のヴェネツィアフェニーチェ劇場でのヴェルディの「ナブッコ」のザッカリア役で大成功を収めると、同年2月にはトリエステヴェルディ劇場でのヴェルディの「アイーダ」のラムフィス役、同年3月にはミラノのスカラ座主催のコンサートのソリストとしてデビューした。その後スカラ座には立て続けに出演することとなり、同年8月にはヴェルディの「アイーダ」のラムフィス役、さらには12月の「ナブッコ」のザッカリア役ではシーズン開幕公演の主役級の役を務めるなど、瞬く間に第一級のバス歌手としての評価を固めた。翌1947年1月2日のピツェッティの「黄金」の世界初演に参加した他、1948年6月10日のスカラ座における作曲家のアッリーゴ・ボーイト没後30周年記念公演では、アルトゥーロ・トスカニーニの指揮の下、「メフィストーフェレ」の表題役、「ネローネ」のシモン・マーゴ役で出演しており、実況録音も残されている。1949年にはフルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの第9交響曲のソリストも務めている他、1950年9月のスカラ座のイギリス引っ越し公演には、デ・サバタ指揮の「ファルスタッフ」のピストラ役やヴェルディの「レクイエム」、カンテッリ指揮のモーツァルトの「レクイエム」のソリストとしても参加ししている。

1950年11月6日には、マッカーシズムの影響でボリス・クリストフアメリカ入国が困難になったことを受け、急遽ニューヨークメトロポリタン歌劇場にヴェルディの「ドン・カルロ」のフィリッポ2世役でデビューする。全米にTV中継もされた初日の公演は大評判を呼び、続けてロッシーニの「セヴィリアの理髪師」のドン・バジーリオ役、グノーの「ファウスト」のメフィストフェレ役でも成功を収め、以後同劇場には1973年まで18の役柄で488回の出演記録を残している。また、METデビュー直後の1951年1月27日には、カーネギー・ホールでのヴェルディ没後50周年記念のトスカニーニ指揮の「レクイエム」にソリストとして参加している。

1953年にはザルツブルク音楽祭にフルトヴェングラー指揮によるモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」公演の表題役として招かれた。翌年にも再演されるなど大評判を取り、パウル・ツィンナー監督による映画製作も行われた。同音楽祭ではフルトヴェングラー没後の1956年にもミトロプーロス指揮の下でも同役を歌うなど、ドン・ジョヴァンニ歌いとしての名声を確立した。1956年はモーツァルトの生誕200周年であったことから、ワルター指揮の「レクイエム」のソリストも務めている他、レオ・タウブマンのピアノ伴奏によるソロ・リサイタルを開いている(ORFEOレーベル等からライブ録音が発売されている)。

1962年1月にはコヴェントガーデン王立歌劇場に「ドン・カルロ」でデビューし、続けて2月には「ドン・ジョヴァンニ」にも出演したが、同年5月に突如ブロードウェイミュージカルに進出し、ミルトン・シェイファーによる「ブラヴォ・ジョヴァンニ」の主役を務めたが、上演回数は76回で終わった。

1963年4月には、METと並ぶホームグラウンドとなるウィーン国立歌劇場に「ドン・カルロ」でデビューした。同劇場には1981年まで170回登場している。中にはワーグナーの「パルジファル」のグルネマンツのドイツ語での歌唱も含まれる。シエピの半世紀以上の長きに渡る歌手人生は、1994年11月13日のウィーンでのベッリーニの「ノルマ」のオロヴェーゾ役で幕を閉じた。

2010年7月5日アメリカ合衆国ジョージア州アトランタにて逝去。87歳没。

ディスコグラフィ[編集]

レコード録音はイタリア・オペラを中心にデッカ、チェトラ、RCACBS(SONY)などに残している。中にはコール・ポーターの曲集、自身を主役にしたミュージカルも含まれる。

モーツァルト: 「フィガロの結婚」 エーリヒ・クライバー指揮(デッカ)

モーツァルト: 「ドン・ジョヴァンニ」 ヨーゼフ・クリップス指揮(デッカ)、エーリヒ・ラインスドルフ指揮(RCA)

ベートーヴェン: 「ミサ・ソレムニス」 ユージン・オーマンディ指揮(CBS)

ロッシーニ: 「セビリアの理髪師」 アルベルト・エレーデ指揮(デッカ)

ドニゼッティ: 「ランメルモールのルチア」 ジョン・プリッチャード指揮(デッカ)

ベッリーニ: 「夢遊病の女」 フランコ・カプアーナ指揮(チェトラ)

ヴェルディ: 「リゴレット」 アルベルト・エレーデ指揮(デッカ)、ニーノ・サンツォーニョ指揮(デッカ)

ヴェルディ: 「運命の力」 フランチェスコ・モリナーリ=プラデッリ指揮(デッカ)

ヴェルディ: 「レクイエム」 トスカニーニ指揮(RCA)、デ・サバタ指揮(EMI)

グノー: 「ファウスト」 ファウスト・クレヴァ指揮(CBS)

ポンキエッリ: 「ラ・ジョコンダ」 ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮(デッカ)

ボーイト: 「メフィストーフェレ」 トゥリオ・セラフィン指揮(デッカ)

プッチーニ: 「ラ・ボエーム」 ガブリエーレ・サンティーニ指揮(チェトラ)、トゥリオ・セラフィン指揮(デッカ)

ラフマニノフ: 「けちな騎士(第2幕)」 トーマス・シャーマン指揮(CBS)

モンテメッツィ: 「三人の王の愛」 ネルロ・サンティ指揮(RCA)

ミルトン・シェイファー: 「ブラヴォ・ジョヴァンニ」 アントン・コッポラ指揮(CBS)

レパートリー[編集]

初役年は確認できた出演記録の中で最も古い年

作曲家 曲名 初役年 上演場所 備考
ヴェルディ リゴレット スパラフチレ 1941 スキオ
ヴェルディ ナブッコ ザッカリア 1946 フェニーチェ劇場
ヴェルディ エルナーニ シルヴァ 1946 フェニーチェ劇場
ヴェルディ アイーダ ラムフィス 1946 トリエステ・ヴェルディ劇場
ヴェルディ 運命の力 グァルディアーノ神父 1946 スカラ座
ポンキエッリ ラ・ジョコンダ アルヴィーゼ 1946 トリエステ・ヴェルディ劇場
ドニゼッティ アンナ・ボレーナ エンリーコ8世 1947 リセウ大劇場 近代蘇演
ピツェッティ 黄金 Nonno Innocenzo 1947 スカラ座 世界初演
ワーグナー ニュルンベルクのマイスタージンガー ポーグナー 1947 スカラ座 イタリア語上演
ベッリーニ 清教徒 ジョルジョ 1947 サン・カルロ劇場
ヴェルディ ドン・カルロ 宗教裁判長 1947 スカラ座
サン=サーンス サムソンとデリラ 老ヘブライ人 1947 スカラ座 イタリア語上演
ドニゼッティ ランメルモールのルチア ライモンド 1947 スカラ座
ドニゼッティ ラ・ファヴォリータ バルダッサーレ 1947 サン・カルロ劇場
プッチーニ ラ・ボエーム コッリーネ 1947 スカラ座
マスネ マノン デ・グリュー伯爵 1947 スカラ座 イタリア語上演
グノー ファウスト メフィストフェレ 1948 トリエステ・ヴェルディ劇場 イタリア語上演
ベッリーニ ノルマ オロヴェーゾ 1948 フィレンツェ市立劇場
ボーイト メフィストーフェレ メフィストーフェレ 1948 スカラ座 全曲は1950年ブレーシャ
ボーイト ネローネ シモン・マーゴ 1948 スカラ座 抜粋
トマ ミニョン ロタリオ 1948 フェニーチェ劇場 イタリア語上演
ワーグナー パルジファル グルネマンツ 1949 ローマ歌劇場 イタリア語上演
ヴェルディ シモン・ボッカネグラ フィエスコ 1949 ローマ歌劇場
ウェーバー 魔弾の射手 カスパー 1949 ボローニャ市立劇場 イタリア語上演
ロッシーニ セビリアの理髪師 ドン・バジリオ 1949 ベジャス・アルテス宮殿
ヘンデル エジプトのジュリアス・シーザー ジュリオ・チェーザレ 1950 ポンペイ野外劇場
ヴェルディ ファルスタッフ ピストラ 1950 スカラ座
ヴェルディ ドン・カルロ フィリッポ2世 1950 メトロポリタン歌劇場
モーツァルト フィガロの結婚 フィガロ 1951 メトロポリタン歌劇場
モーツァルト ドン・ジョヴァンニ ドン・ジョヴァンニ 1952 メトロポリタン歌劇場
ラフマニノフ けちな騎士 男爵 1952 CBS 2幕のみ、英語版
ベッリーニ 夢遊病の女 ロドルフォ 1953 RAIトリノ 舞台では1955年のアメリカ・オペラ協会
ムソルグスキー ボリス・ゴドゥノフ ボリス・ゴドゥノフ 1953 メトロポリタン歌劇場 英語上演
ベートーヴェン フィデリオ ドン・フェルナンド 1960 メトロポリタン歌劇場
ミルトン・シェイファー ブラヴォ・ジョヴァンニ ジョヴァンニ・ヴェントーリ 1962 ブロードハースト劇場 ミュージカル
リチャード・ロジャース 南太平洋 ジョセフ・ケーブル中尉 1963 サンダーバード劇場 ミュージカル
モーツァルト 魔笛 ザラストロ 1963 メトロポリタン歌劇場 英語上演
ムソルグスキー ホヴァーンシチナ ドシフェイ 1973 RAIローマ イタリア語上演
ロッシーニ モゼ モゼ 1974 フェニーチェ劇場
モンテヴェルディ ポッペーアの戴冠 セネカ 1977 RAIナポリ
モンテメッツィ 三人の王の愛 アルキバルド 1977 RCA
ドニゼッティ マリン・ファリエロ マリン・ファリエロ 1977 RAIミラノ
バートン・レイン カルメリーナ ジョヴァンニ・ヴェントーリ 1979 セント・ジェームズ劇場 ミュージカル
アレヴィ ユダヤの女 ブロニ枢機卿 1981 ウィーン国立歌劇場
ヴェルディ イェルサレム ロジェ 1985 パルマ王立劇場
フランク 至福 - 1946 RAIトリノ
ベートーヴェン 交響曲第9番 - 1949 スカラ座
ヴィヴァルディ 3声のセレナータ「祝されたセーナ」RV.693 1949 シエーナキジアーナ音楽院 近代蘇演
ヴェルディ レクイエム - 1950 スカラ座
モーツァルト レクイエム - 1950 スカラ座
ストラデッラ 聖ジョヴァンニ・バッティスタ - 1950 ペルージャ・聖ピエトロ教会
バッハ マタイ受難曲 - 1950 スカラ座
ベートーヴェン ミサ・ソレムニス - 1967 CBS
ロッシーニ 小荘厳ミサ - 1977 スカラ座

脚注[編集]

チェーザレ・シエピ氏=伊オペラ歌手 読売新聞 2010年7月7日閲覧。87歳没。

脚註[編集]