チェケル人

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チェケル人 (Tjeker) 、チェッケル人とも言う。

彼らはラメセス3世と「海の民」との戦いを描いたメディネト・ハブ葬祭殿の碑文において初めて歴史上に登場する。実際の戦闘場面においてその戦術や武具などが個別に示されているところはない。それでも、「捕虜になった長たち (Captive Chieftains) 」の部分のレリーフから彼らの視覚的な特徴をいくらか知ることができる。その人物の頭部は、最上部が前後に広がった不思議な輪郭をしている。髪形だと考えればモヒカン刈りのようであり、帽子だと考えればつばのない角帽のようでもある。また彼は、低い鼻と厚い唇をしている。

さらに紀元前1100年頃のエジプトの文学作品である『ウエンアメンの物語』の中に、カナン北部、カルメル山の南、タボル山の西にあるドルという町の住人としてチェケル人たちが登場している。聖書によればこのドルを含んだ地域は後にマナセ人によって征服されたが、チェケル人に関する記述は何も残っていない。

一説として、彼らはトロイア戦争に出てくるイリオスの王プリアモスの6代前の祖先テウケロス (en:Teucer, Τευκεροσ) と関係があるのではないかと言われている。そして、テウケロスという名前はトロアドにあるテウクリという都市のギリシア名でもある。そのため、彼らは遠くトロアドから恐らくキプロス島を経由してパレスチナにやってきた、そしてドルを含むパレスチナ北部の海岸地帯に定住したのだろうと考えられている。北方戦争でエジプトへの侵入を試みるより前からすでにそこに定住していたのか、それともラメセス3世に撃退されて初めてそこに定住したあるいは定住させられたのかは分からないが、『ウエンアメンの物語』からする限り遅くとも紀元前12世紀の半ばまでにはその土地にいたのだろう。しかし、その後彼らがどこへ行ったのか、今となっては全く分からない。