ダヤン・ハーン
| ダヤン・ハーン ᠳᠠᠶᠠᠨ ᠬᠠᠭᠠᠨ |
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| モンゴル帝国第33代皇帝(大ハーン) | |
| 在位 | 1487年 - 1524年 |
| 全名 | バト・モンケ |
| 出生 | 1464年[1] |
| 死去 | 1524年 |
| 配偶者 | マンドフイ・ハトン |
| 子女 | トロ・ボラト、バルス・ボラト、アルス・ボラト、アルチュ・ボラト、ワチル・ボラト、アル・ボラト |
| 王家 | ボルジギン氏 |
| 父親 | バヤン・モンケ |
| 母親 | シキル・ハトン |
ダヤン・ハーン(Dayan Qaγan)は、モンゴルの第33代(北元としては第19代)大ハーン。長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一し、ハーンの権威を回復させた。本名はバト・モンケ(Batu Möngke)。漢字表記は達延汗。
目次 |
生い立ち[編集]
チンギス・カンの末裔として、15世紀当時のモンゴル高原においてハーンになる資格を唯一有する家系と見なされたボルジギン氏に生まれた。しかし、バト・モンケ以前の時代には、後述する政治的混乱のためにチンギス・カン一族の記録や伝承が混乱しており、チンギスからバト・モンケに至る系譜は確実ではない。ただ、傍証やのちの時代の系譜書から、歴史家はバト・モンケが元の世祖クビライの後裔にあたると考えている。
17世紀半ばにサガン・セチェンが著した『蒙古源流』によると、バト・モンケは、トクトア・ブハ・タイスン・ハーンの次男であったアクバルジ晋王の嫡子ハルグチャクの息子バヤン・モンケ・ボルフ晋王(ジノン)と、ウルウト部出身のシキル太后(ハトン)の息子と伝えられる。
チンギス・カン以来、モンゴルではボルジギン氏、特にチンギス・カンの末裔を君主に立てるチンギス統原理に基づき、代々チンギスの末裔がハーン位についていた。しかし、16世紀に砂北で勢力を強めていたオイラト部のエセン・タイシがチンギス裔の多くを皆殺しにしてハーン位につくなど、一時期チンギス統原理は崩れた。
1452年にエセンが義兄であるトクトア・ブハを殺害してモンゴルの王族を皆殺しにしたとき、バヤン・モンケは母がエセンの娘であったために殺害を免れた。バト・モンケはその息子であり、チンギス・カンの血を引くほとんど唯一の男子となった。しかし、幼くして里子に出されたともいわれ、そのため王族ではあったが政治的には全く注目されていなかったとされる。
ダヤン・ハーンの即位[編集]
1479年、エセンの死後に大ハーンとなっていたマンドールン・ハーンが崩御したとき、後継ぎがいなかったためハーンが空位となった。このとき、ホルチン部の君主ウネバラトは自らがチンギス・カンの弟ジョチ・カサルの子孫であることから、マンドールンの未亡人と結婚すればハーン位を得られると考え、オングト部出身の皇后マンドフイ・ハトンに求婚したが、マンドフイはチンギス・カンの子孫の生き残りであるバト・モンケが民間で暮らしていることを持ち出して断り、1480年に16歳となっていたバト・モンケと結婚した。
1487年、南部のオルドス地方に拠ってハーンを称していたボルフ・ジノンが死去し、モンゴル唯一のハーンとなったバト・モンケは、ダヤン・ハーンを称した。ハーン号の「ダヤン」は、クビライ王家の国号である「大元」がモンゴル語に取り入れられたものと言われ、バト・モンケの元朝再興を目指す意志を表すと解されている。
モンゴルの再統一[編集]
全てのモンゴル諸部を支配下においたダヤン・ハーンは、1488年には早くも大軍を率いて中国北辺を侵したのを始め、たびたび明を脅かした。1510年にはモンゴル高原西部で勢力を持っていたオイラトのイブラヒム・タイシを破り、オイラトを屈服させた。
この間、ダヤン・ハーンは26歳年長[2]のマンドフイ・ハトンとの間にもうけた7人を始め、何人かの皇妃との間に合わせて11人の男子をもうけ、それぞれをモンゴル高原の各地に遊牧するモンゴル諸部の部族長のもとに婿入りさせた。ダヤン・ハーンの下で、ハーンの諸子を君主として戴くようになったモンゴルの諸部は6個のトゥメン(万戸)に再編され、ハーンを頂点として統合された。ダヤン・ハーンの11人の息子のうち9人が子孫を残すが、それぞれは婿入りした諸部の従来の部族長の上に君臨する領主となり、20世紀に至るまでモンゴル貴族の家系として全モンゴルで繁栄することになる。モンゴルにおいて現存するチンギス・カンの後裔は、すべてダヤン・ハーンの子孫である。
ダヤン・ハーンの時代にはモンゴルでも長子相続の原則が確立され、ハーンの生前から長男のトロ・ボラトが後継者に指名されていた。しかし、トロ・ボラトはダヤン・ハーンに先立って死去したので、1524年にダヤン・ハーンが死去すると、後継者の地位を巡って王族の間に混乱が起こり、早くもモンゴルの統一は揺らぐことになる。
脚注[編集]
関連項目[編集]
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