ダマソ・エスピーノ

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ダマソ・エスピーノ
Damaso Espino
基本情報
国籍 パナマの旗 パナマ
出身地 ロス・サントス県
生年月日 (1983-05-08) 1983年5月8日(40歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1999年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム パナマの旗 パナマ代表
WBC 2006年2009年2013年

ダマソ・マティアス・エスピーノDámaso Matias Espino 1983年5月8日)はパナマ共和国ロス・サントス県出身のプロ野球選手(捕手)。右投両打。

WBCでバッテリーを組んだパオロ・エスピーノは、従弟である[1]

経歴[編集]

プロ入りとレッズ傘下時代[編集]

1999年に、内野手としてシンシナティ・レッズと契約を結んだ。

2000年は、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・レッズでプレーした。

2001年も、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・レッズでプレーした。

2002年も、傘下ルーキーリーグのガルフ・コーストリーグ・レッズでプレーし、ガルフ・コーストリーグのオールスターゲームに三塁手として選出された。

ロイヤルズ傘下時代[編集]

2003年3月6日に、カンザスシティ・ロイヤルズトレードされた。傘下Aのバーリントン・ビーズへ異動され、この年はここでプレーした。

2004年は、傘下アドバンスAのウィルミントン・ブルーロックスでプレーした。

2005年は、傘下Aのバーリントン・ビーズでプレーし、ここで捕手コンバートした。

2006年開幕前の3月に第1回WBCパナマ代表に選出された[2]

シーズンでは、傘下AAのウィチタ・ラングラーズでプレーした。

2007年も、傘下AAのウィチタ・ラングラーズでプレーした。

2008年は、傘下AAAのオマハ・ストームチェイサーズで開幕を迎えた。

インディアンス傘下時代[編集]

2008年6月12日に、クリーブランド・インディアンスへトレードされた。

2009年開幕前の3月に、第2回WBCのパナマ代表に選出され[3]、2大会連続2度目の選出を果たした。

ドジャース傘下時代[編集]

2011年は、ロサンゼルス・ドジャースと契約を結び、メジャーのスプリングトレーニングに出場した。この年は、傘下AAAのアルバカーキ・アイソトープスでプレーした。

ホワイトソックス傘下時代[編集]

2012年は、シカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結んだ、傘下AAのバーミングハム・バロンズで66試合に出場し、傘下AAAのシャーロット・ナイツで3試合に出場した。また11月には、母国パナマで行われた第3回WBC予選のパナマ代表に選出され[4]、3大会連続3度目の選出を果たした。

2013年は、傘下AAAのシャーロット・ナイツで開幕を迎え1試合に出場した後、解雇された。

ドジャース復帰[編集]

2013年7月13日に、古巣のロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。傘下AAAのアルバカーキ・アイソトープスでプレーした。

独立リーグ時代[編集]

2014年は、アトランティックリーグサマセット・ペイトリオッツでプレーした。

選手としての特徴[編集]

  • 入団当初は内野手だったが俊敏な動きを生かせる捕手に転向した。打者としてはスピードを生かした
  • シュアなバッティングが持ち味。

詳細情報[編集]

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Baseball is in Espino cousins' blood
  2. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]
  3. ^ 2009 Tournament Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]
  4. ^ 2012 Qualifier Roster[リンク切れ] The official site of World Baseball Classic (英語) 2016年3月2日閲覧 [リンク切れ]

外部リンク[編集]