ダフィット・テニールス (子)
| ダフィット・テニールス (子) David Teniers, the Younger |
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美術史美術館蔵の『レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊』より
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| 生誕 | 1610年12月15日 アントワープ |
| 死去 | 1690年4月25日(79歳) ブリュッセル |
ダフィット・テニールス (子)(David Teniers, the Younger, 1610年 - 1690年)は、フランドルの画家。農民の野外での祭りや祝賀の様子、酒屋や台所の風景など大衆的な題材で知られているが、他にも宗教画や寓意画、風刺画や肖像画など多くの作品を残している。
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生涯 [編集]
アントワープ生まれ。父親は同名の画家ダフィット・テニールス (父)。父親を通してアダム・エルスハイマーやルーベンスの影響を受ける。また、1630年代にはアドリアーン・ブラウエルの影響を受ける。1637年にヤン・ブリューゲル (父)の娘アンナと結婚している。
1632年に聖ルカ組合に登録となるが、それ以前から知られた存在であった。1944年、テニールスはアントワープの画家組合の組合長に選出される。
ネーデルラント総督であるオーストリア大公レオポルト・ヴィルヘルム・フォン・エスターライヒ(en)は美術愛好家で、テニールスを宮廷画家として召抱えるだけでなく、自身のコレクションの管理をするようにも任命したため、1651年頃テニールスはブリュッセルに住居を移した。[1]彼はこの地でヴィルへルム公のために多くの絵画を収集し、版画化したコレクション・カタログを出版してもいる。現在はウィーンの美術史美術館にあるイタリアの巨匠たちの作品などがそれである。ヴィルへルム公がウィーンに戻るまで公務は続いたが、その後の支配者であるフアン・ホセ・デ・アウストリアからも好意を得た。
テニールスは、1690年4月25日にブリュッセルで亡くなる。息子のダフィット・テニールス3世も画家となった。
作品 [編集]
ギャラリー [編集]
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『酒を飲む王様』(1634-1640年頃)プラド美術館
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『喫煙者たち』(1637年頃)ティッセン=ボルネミッサ美術館
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『村の祭り』(1646)エルミタージュ美術館
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『レオポルト・ ウィルヘルム大公の画廊』(1651年)美術史美術館
