ダヌービオFC

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ダヌービオFC
原語表記 Danubio Fútbol Club
愛称 La Franja(フランハ、縁),
La Curva(クルバ、曲線),
El Danu(ダヌ、ドナウ川),
La Universidad(ウニベルシダ、大学)
クラブカラー 黒と白
創設年 1932年
所属リーグ ウルグアイ・サッカーリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン モンテビデオ
ホームスタジアム ハルディネス・デル・イポドロモ
収容人数 18,000
代表者 ウルグアイの旗 オスカル・クルチェット
監督 ウルグアイの旗 レオナルド・ラモス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

ダヌービオ・フットボル・クルブスペイン語: Danubio Fútbol Club)は、ウルグアイの首都モンテビデオを本拠地とするサッカークラブである。2013-14シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属している。

歴史[編集]

1932年3月1日、ブルガリア出身のミゲル・ラサロフとフアン・ラサロフ兄弟が中心となり、モンテビデオのニカラグア共和国学校の学生とともにダヌービオFCを設立した。クラブの名称は、ヨーロッパ東部を流れる大河ドナウ川(ダニューブ川)に由来する[1]

イルド・マネイロ監督に率いられた1988年シーズンには18勝4分2敗で勝ち点40を獲得し、2位のCAペニャロールに勝ち点9の大差をつけて優勝した。1989年のコパ・リベルタドーレスでは、ペニャロール、クラブ・ボリバル(ボリビア)、ザ・ストロンゲスト(ボリビア)と同組となり、ペニャロールに次ぐ2位でグループリーグを突破した。決勝トーナメント1回戦ではナシオナル・モンテビデオとの同国対決に勝利し、準々決勝ではCDコブレロア(チリ)に勝利した。準決勝でアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)に敗れたが、ベスト4という好成績を残した。1980年代から1990年代前半には安定して順位表の上半分でシーズンを終えている。1997年のコパCONMEBOLでは、決勝トーナメント1回戦でデフェンソール・スポルティングとの同国対決を制したが、準々決勝でCAコロン(アルゼンチン)に敗れた。1999年シーズンと2000年シーズンにもアペルトゥーラとクラウスーラの通算成績で4位となり、コパ・リベルタドーレス出場権まであと一歩に迫った。ヘラルド・ペルーソ監督に率いられた2004年シーズンにはクラシフィカトリオ(順位決定リーグ)で1位となり、カンペナート・ウルグアージョ(クラシフィカトリオ上位8クラブによるリーグ)のクラウスーラでも1位となった。プレーオフではアペルトゥーラ優勝のナシオナル・モンテビデオに勝利し、2度目の優勝を飾った。2005年前半のコパ・リベルタドーレスでは、サントスFC(ブラジル)、LDUキト(エクアドル)、クラブ・ボリバルと同組となり、2勝1分3敗のグループ3位でグループリーグ敗退に終わった。

グスタボ・マトサス監督に率いられた2006-07シーズンには3度目の優勝を飾った。アペルトゥーラ2006では11勝1分3敗の勝ち点34で1位となり、クラウスーラでは勝ち点32でペニャロールと並んだが、プレーオフではペニャロールをPK戦の末に下して1位となった。アペルトゥーラ・クラウスーラそれぞれで1位となったため、自動的に2006-07シーズンの優勝が決定した。2007年後半に行なわれたコパ・スダメリカーナでは、1回戦でタクアリーFC(パラグアイ)に敗れた。2008年前半に行なわれたコパ・リベルタドーレスでは、エストゥディアンテス(アルゼンチン)、CAラヌース(アルゼンチン)、デポルティーボ・クエンカ(エクアドル)と同組となったが、1勝1分4敗の最下位でグループリーグ敗退となった。アペルトゥーラ2008では10勝2分3敗で勝ち点32を獲得したが、プレーオフで同勝ち点のナシオナルに敗れて2位となった。アペルトゥーラ2011では勝ち点31を獲得し、ナシオナルに次ぐ2位となった。2011-12シーズン通算の勝ち点でも5位となり、コパ・スダメリカーナ出場権を獲得した。2012年のコパ・スダメリカーナでは1回戦でオリンピア・アスンシオン(パラグアイ)と対戦し、2試合合計1-2で敗れた。

ユニフォーム[編集]

アマチュアリーグ最後(1931年)の王者モンテビデオ・ワンデレルスFCに敬意を表し、1932年にワンダレルスのユニフォームカラー(黒色と白色)がダヌービオに導入された。左肩から右腰まで斜めに入る一本線のデザインは、アルゼンチンのCAリーベル・プレートのユニフォームにインスパイアされたものであるが、リーベルのように白地に赤線ではなく、白地に黒線を使用している。たいていパンツは黒色であり、ソックスは白色である。2005-06シーズンにはCSミラマール・ミシオネスやモンテビデオ・ワンデレルスなどが同色(黒色と白色)のユニフォームを使用していたため、ダヌービオはサードユニフォームとして、通常とは異なる緑地に白斜線のシャツを採用した。2007年にはデポルティーボ・サプリサ(コスタリカ)戦で緑色のユニフォームが復活したが、ワンデレルスやミラマールに対して敗れることが多く、緑色は呪われているとされたため、同年後半には緑色のユニフォームの着用が取りやめられた。現在はサードユニフォームに赤色が使用されている。

1932
1940-現在
2005, 2007サード
2008サード

タイトル[編集]

1988, 2004, 2006-2007
1945, 1960, 1970
  • テルセーラ・ディビシオン : 1回
1943

成績[編集]

南米カップ戦での成績[編集]

1978 - ファーストラウンド敗退
1984 - ファーストラウンド敗退
1989 - ベスト4
2005 - ファーストラウンド敗退
2007 - 予選敗退
2008 - ファーストラウンド敗退
2002 - ファーストラウンド敗退
2003 - 予選敗退
2004 - 予選敗退
2005 - ファーストラウンド敗退
2007 - ファーストラウンド敗退
2012 - ファーストラウンド敗退
1992 - ファーストラウンド敗退
1993 - ファーストラウンド敗退
1994 - ファーストラウンド敗退
1997 - ベスト8

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

ダヌービオの下部組織は優れた選手を多く輩出している。アルバロ・レコバは1994年にトップチームデビューし、ナシオナル・モンテビデオを経由して1997年にインテル(イタリア)に移籍した。ウルグアイ代表としては69試合に出場し、2010年にダヌービオに復帰した。ファビアン・カリーニは1996年にデビューし、2000年にユヴェントスFC(イタリア)に引き抜かれた。ウルグアイ代表としては70試合以上に出場している。ディエゴ・フォルランは1991年から1994年までダヌービオの下部組織に在籍したが、1994年にCAインデペンディエンテ(アルゼンチン)の下部組織に移り、インデペンディエンテからデビューした。その後は2001年にマンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)に移籍し、ビジャレアルCF(スペイン)やインテル(イタリア)でもプレーした。ウルグアイ代表としては100試合以上に出場し、2010 FIFAワールドカップではゴールデンボール(最優秀選手)に輝いた。エディンソン・カバーニは10代前半からダヌービオの下部組織に所属し、南米ユース選手権での活躍でUSチッタ・ディ・パレルモ(イタリア)に引き抜かれた。SSCナポリ(イタリア)ではセリエA得点王に輝き、2013年にパリ・サンジェルマンFCに移籍した。このほかにも、ルベン・ソサマルセロ・サラジェタルベン・オリベーラアドリアン・デアンルベン・ダ・シルバ(ポリジータ)、ハビエル・チェバントンリチャルド・ヌニェスワルテル・ガルガノカルロス・グロスミュラーイグナシオ・マリア・ゴンサーレスクリスティアン・ストゥアニネリー・カスティージョリカルド・ゲーロ・ロドリゲスなどがダヌービオの下部組織出身であり、後にウルグアイ国外のクラブに羽ばたいていった。

クラブ最多出場記録保持者はカルロス・ロメーロであり、1947年から1962年までに411試合に出場した。クラブ最多得点記録保持者はディエゴ・ペローネであり、1996年から2003年、2004年、2009年、2010年から2012年の4期間の通算で72得点を挙げた。ペローネに続くのがルベン・ダ・シルバ(ポリジータ)であり、1986年から1989年、2001年から2004年の2期間の通算で71得点を挙げた。ダ・シルバに続くのがイグナシオ・リッソであり、1999年から2002年、2004年から2005年の2期間の通算で69得点を挙げた。

GK
DF
MF
FW

脚注[編集]

  1. ^ Danubio's river of talent”. FIFA.com (2008年7月23日). 2009年1月13日閲覧。

外部リンク[編集]