ダッジ・オムニ
オムニ (Omni) はクライスラー社の一部門である「ダッジ」にて販売していた自動車である。
目次 |
概要 [編集]
| ダッジ・オムニ | |
|---|---|
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後期型
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| 製造国 | |
| 販売期間 | 1977年–1990年 |
| 乗車定員 | 5名 |
| ボディタイプ | 5ドアハッチバック |
| エンジン | 1.6L 直4 SOHC(シムカ/プジョー製) 1.7L 直4 SOHC(VW製) |
| 最高出力 | 75ps/5,600rpm |
| 最大トルク | 12.4kg-m/4,000rpm |
| 変速機 | 3AT/4MT/5MT |
| 駆動方式 | FF |
| サスペンション | 前:ストラット 後:トレーリングアーム |
| 全長 | 4,145mm |
| 全幅 | 1,681mm |
| 全高 | 1,356mm |
| ホイールベース | 2,519mm |
| 車両重量 | 1,072kg |
| プラットフォーム | クライスラー・Lプラットフォーム |
| -自動車のスペック表- | |
1972年に発生したオイルショックは、それまでのアメリカ自動車産業を一変させるほど多大な影響を与えた。2度の危機を経て、1970年代の終わりにはアメリカでもサブコンパクトカーの需要が高まっていった。しかし競合各社が次々と小型車を発表してシェアを高めていく中、従来型自動車の販売に依存していたクライスラーは大きく出遅れた格好となっていた。
そのような背景のもと、オムニ開発は始まった。米国クライスラーとしては小型車開発のノウハウが薄かったため、オムニは当時のグループ会社であった欧州のシムカなどと協業して開発がスタートした。
完成したオムニはダッジ/プリムス初の前輪駆動車であり、同時に北米自動車メーカー初の横置き型エンジンの前輪駆動車であった。ボディは当時世界的に売れていたフォルクスワーゲン・ゴルフの影響を強く受けたボックススタイルとなっており、またエンジンは当時クライスラー側に小排気量エンジンのノウハウが低く、シムカやフォルクスワーゲン製のOEM供給を受けていたため、北米モデルではあったものの、全体的な乗り味は欧州車のものに近かった(但しフォルクスワーゲン製エンジンは北米生産のゴルフ向けであり、味付けはドイツとは大きく異なっていた)。
オムニの販売は一定の成功を収め、当時破綻危機に陥っていたクライスラーへの政府の融資の判断材料として好材料となり、結果として同社の建て直しに貢献することとなった。
なお、平行して開発していたモデルに「クライスラー・ホライズン」、「プリムス・ホライズン」がある。 プリムス・ホライズンとはバッジが異なる程度の姉妹車であるが、クライスラー・ホライズンはシムカ主導で開発されたため、一見して同じように見える車体も内容が大きく異なっており、さほど互換性は高くない(足回りひとつとってもシムカ仕様ではダブルウィッシュボーンとトーションビームの組み合わせで全く互換性が無かった)。
デビュー当初は5ドアハッチバックのみであったが、1979年には派生モデルとして3ドアハッチバッククーペの「オムニ・024(オーツーフォー)」が追加された。
その後オムニは開発元のシムカがクライスラーグループから売却されていたことや、当時のグループ企業であった三菱自動車工業から三菱・ミラージュなどのサブコンパクトカーを「コルト」としてOEM供給を受けていたこともあり、後継車種へモデルチェンジすることも無く1990年までの長期にわたって販売されていた。
同車の役割はその後1994年に登場したダッジ・ネオンへと引き継がれた。
オムニ024 [編集]
| ダッジ・オムニ024 | |
|---|---|
| 製造国 | |
| 販売期間 | 1979年–1982年 |
| 乗車定員 | 5名 |
| ボディタイプ | 3ドアハッチバック |
| エンジン | 1.7L 直4 SOHC(VW製) |
| 最高出力 | 75ps/5,600rpm |
| 最大トルク | 12.4kg-m/4,000rpm |
| 変速機 | 3AT/4MT |
| 駆動方式 | FF |
| サスペンション | 前:ストラット 後:トレーリングアーム |
| 全長 | 4,419mm |
| 全幅 | 1,694mm |
| 全高 | 1,290mm |
| ホイールベース | 2,453mm |
| 車両重量 | 1157kg |
| プラットフォーム | クライスラー・Lプラットフォーム |
| -自動車のスペック表- | |
オムニ発売から約1年が経過した1979年、スペシャルティバージョンとしてハッチバッククーペの「オムニ024(オツーフォー)」が追加された。
エンジンやサスペンションなどのドライブトレーンは基本的にオムニと同一であったが、オムニの上級版という位置付けで販売され、フロントフェイスは全く異なる新規デザインのものが与えられた。ボディはデザイン先行のファストバック形状のため、オムニと比べると後席の実用性は劣った。通常版のオムニと同じく、024はプリムス向けに「ホライズン・TC3」として販売された。
このようにして誕生したオムニ024であったが、「オムニ・チャージャー」への改名を経て、1982年に外装をマイナーチェンジによりフェイスリフトした際、「2代目ダッジ・チャージャー」として独立した車種となった。
また、オムニ024のデザインは販売終了後の1982年以降、ピックアップモデルの「ダッジ・ランページ」に流用された。
なお、オムニ024は三菱自動車工業を通じて日本でも販売が行われた。1970年代に三菱はクライスラーと資本提携し、1972年には三菱・クライスラー318と三菱・クライスラー・チャージャー770を発売、1976年にはプリムス・ボラーレ(en:Dodge_Aspen#1976)の販売も行っていた。その流れの一環として、オムニ024は日本市場にも「三菱・クライスラー・オムニ024」として三菱の手で投入されることになった。一説には当時日米間で問題となっていた貿易摩擦の緩和策であったとも言われている。
オムニ024は日本で輸入販売されたアメリカ車では初の5ナンバー車でもあり、当時の輸入カタログには「アメリカの解答、初めての5ナンバー、OMNI O24。いま、自由なシティ感覚をのせて、クライスラーから発信」と銘打たれていた。日本では1980年までの2年間に、1491台が販売されるに留まった。
詳細は「:en:Dodge Omni 024」を参照
オムニGLH [編集]
キャロル・シェルビーがオムニをベースにさらにチューンを施したホットモデル。1984年から販売された。チューン内容は「シェルビー・チャージャー」に準じた物であったが、2.2L直列4気筒ターボモデルが追加された。1tあまりの車重にあいまって、軽快なホットハッチの性格であった。
シェルビーはその後、本モデルの最終生産分500台を買取り、ベースからさらにチューンドを施した「シェルビー・GLHS」を開発している。