ダウンタウン (お笑いコンビ)

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ダウンタウン
メンバー: 浜田雅功松本人志
結成年: 1982年
事務所: よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社
活動時期: 1982年-現在
出身: NSC大阪1期生
影響: 島田紳助・松本竜介
出会い: 尼崎市立潮小学校
旧コンビ名: 青空てるお・はるお
ライト兄弟
現在の活動状況: テレビ(全国区)中心
芸種: 漫才コント
ネタ作成者: 松本人志
現在の代表番組: ガキの使いやあらへんで!!
リンカーン
ダウンタウンDX
過去の代表番組: 発明将軍ダウンタウン
ダウンタウンのごっつええ感じ
4時ですよーだ
同期: トミーズ ハイヒール
公式サイト: 公式HPトップ
受賞歴
1984年 ABCお笑い新人グランプリ 最優秀新人賞
1984年 NHK上方漫才コンテスト 優秀賞
1986年 第21回上方漫才大賞 新人奨励賞
1987年 日本放送演芸大賞発表 最優秀ホープ賞
1987年 第22回上方漫才大賞 奨励賞
1988年 第23回上方漫才大賞 奨励賞
1989年 第24回 上方漫才大賞 大賞

ダウンタウンDOWNTOWN)は、松本人志浜田雅功から成る日本お笑いコンビよしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属。

目次

[編集] メンバー

※戸籍上表記である「濵」は「浜」の旧字体の異字体。 ※出身地は二人とも兵庫県尼崎市

[編集] 概要

日本を代表するお笑いコンビの一組。ウッチャンナンチャンとんねるずなどと共にお笑い第三世代の一員として、後の芸人に多大なる影響を与えたと言われている。1990年代から現在も第一線で活躍中。

[編集] 略歴

1982年4月、浜田が小学校からの友人であった松本を誘って吉本の芸人養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」に入学。大阪NSC一期生(漫才コース選択)となる。同期にはトミーズハイヒール内場勝則浜根隆前田政二などがいる。同期の中で一番テレビデビューが遅かったと浜田は語っている。

1982年7月、第3回今宮子供えびすマンザイ新人コンクールに「松本・浜田」として出場し、福笑い大賞を受賞する。同年8月、フジテレビ系列、笑ってる場合ですよ!お笑い!君こそスターだ!に「ひとし・まさし」の名で出場し、グランドチャンピオンとなる。またこの頃、新人としては異例の早さでなんば花月の舞台に立つ。

1983年5月、コンビ名を「ダウンタウン」とする。

1987年4月、毎日放送が関西ローカルで制作した初の看板番組『4時ですよーだ』でブレイク。大阪を中心に火がつき、「夕方の大阪の街は4時ですよーだを観るため人が居なくなる」と言われる程の番組となり、関西でアイドル的人気を得るようになる。1988年10月、関東ローカルでウッチャンナンチャンら同世代の芸人と共演した深夜のコント番組『夢で逢えたら』が始まると、同時期に『笑っていいとも!』のレギュラーとなり、本格的に東京に進出することとなった。『夢で逢えたら』が全国放送となった同年10月には、現在も続く『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が関東ローカルで始まり、そして1991年に始まったゴールデンでのコント番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』によって国民的な人気を得る。その後、1993年に『ダウンタウンDX』、1994年に『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』がスタートし、どちらも今日、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』に次ぐ長寿番組となっている。また、本業のかたわら、CM、ドラマ、映画、文筆、音楽、といった幅広い分野でも評価され、現在に至るまでマルチな活躍を続けている。

[編集] 評価・影響

上岡龍太郎は「昔はボケもツッコミも観客から見下されていた。それがコント55号ではツッコミ(萩本欽一)が客よりも高い位置に行った。ツービートはボケ(ビートたけし)が客よりも高くなった。ダウンタウンは2人とも客よりも高い位置で芸をやっている。これからの漫才(≒コンビ芸)はどうなるんやろ」と評した。

落語家の立川談志は、『ガキの使いやあらへんで!!』を観賞した後で、「二人のトークは正に漫才の間、大したもんだ」と認め高く評価している。

島田紳助は、ダウンタウンの漫才に衝撃を受け、同時に自己の限界を悟った。これが漫才を引退するきっかけとなり、[1]紳助・竜介を解散した紳助は、記者会見の席上で解散の理由について、「うめだ花月で巨人・阪神とか、サブロー・シローとか、ダウンタウンを見てると(自分達は)明らかに負けている。それが悔しくて辛い」と述懐した。

ダウンタウンの漫才は、前述の島田紳助を始め一部の芸人からは高い評価を受けていたが、その内容の斬新さに、当時のいわゆる大御所漫才師や演芸評論家の中には、酷評する者も少なくなかった。実際、NHK上方漫才コンテストでは大爆笑をとったにも関わらず、最優秀新人賞を逸し(トミーズが受賞)、ABCお笑い新人グランプリでは最優秀新人賞をとったが、一部の審査委員から「理解出来ない」「(観客には)受けていたようだが、どこが面白いのか分からなかった」と酷評されている。

お笑い芸人(特に大阪)を劇的に増やしたのは、この2人の芸風が簡単に見えて、誰でも出来そうに思われた事が影響したと言われている。島田紳助はダウンタウンとの対談でそのことに言及し、「ダウンタウンはしっかりとした漫才ができているうえでの芸風だが、はじめからダウンタウンと同じような芸風でやろうとしている芸人が多い」と過去に指摘していた。ダウンタウンと同期であるトミーズ雅も「みんな松本のダラダラしたしゃべりの表面だけ真似してるけど、それだけじゃ駄目。松本は本当は150km/hの球を投げることができるのに、それをわざと100km/hで投げている。他の奴らは110km/hしか投げられないのに100km/hで手を抜いている」と評している。アメトーーク!で、山崎弘也(アンタッチャブル)は、「松本さんの様に、ボケをクールにやらないと売れないのかと思っていた。」と言い、出演者は当時の芸人たちの芸風を「ダウンタウン病」と評した。

[編集] 漫才師として

1982年12月12日、『ザ・テレビ演芸』内のコーナー、新人勝ち抜きオーディション「とび出せ笑いのニュースター・ホップステップジャンプ」にライト兄弟の名で出場した際、家庭内暴力についてのネタを披露したところ、司会の横山やすしは、二人の漫才を「チンピラの立ち話」と酷評し、「テレビでやるものではない」と叱責した。当然ながら、演芸界の重鎮である横山やすしの怒りに、若手に過ぎないダウンタウンはその場で固まるしかなかった。後に、この一件について松本は「チンピラの立ち話で結構。チンピラが立ち話をしていて聞いてみたら面白かった、それの何が悪い」「テンポ・間合いばかりを重視してしまうと面白いものが生まれなくなってしまう」と、自身の著書『遺書』において批判した。

ダウンタウンとしての本格的な漫才は、ビデオ『ダウンタウンの流』を最後に披露していないが、その後も自身を「漫才師」と称している。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』でのフリートークと漫才どう違うのだと言われるとちょっと・・・もしかしたら調子の良い時のトークに漫才が負けてしまうかもしれないと語っていた。また、ダウンタウンの最後は大阪のなんばグランド花月で漫才をするつもりだと二人で決めているという。

ダウンタウンの漫才の大半は、2009年現在、ビデオ・DVD化されておらず、見ることが難しい状況になっている。ナインティナイン岡村隆史は「ダウンタウンの漫才ビデオはテープが擦り切れるほど何回も全部観た」とめちゃ×2イケてるッ! に出演した浜田に話した。

[編集] ウッチャンナンチャン

同世代の吉本芸人(ハイヒール、ジミー大西など)以外の芸人との共演がほとんどないダウンタウンだが、東京進出後に出演した『夢で逢えたら』で共演したウッチャンナンチャンとは非常に仲が良い。1990年代前期まではダウンタウンとウッチャンナンチャンが一緒に仕事をしたり、また互いの番組に出演したりということもあった。レギュラー出演していた『笑っていいとも!』では出演する曜日こそ違っていたものの、年末の特大号で共演するときは楽屋が一緒だったとのことである。芸歴も年齢もダウンタウンの方が上であるにもかかわらず、ウッチャンナンチャンがダウンタウンと話すときは基本的に敬語を使わず、浜田・松本のことは「浜ちゃん」「松っちゃん」と呼んでいる。また浜田・松本もウッチャンナンチャンの2人を呼び捨てにせず「ウッチャン」「ナンチャン」と呼んでいる。また、南原の結婚式(1993年)に出席したり、また南原に子供が生まれた際や内村の結婚に際し祝福のメールを送ったとされるなどプライベートでも交流がある。松本は「ウッチャンとはたまーに、一年に1回くらいどちらからとも無く連絡を取って一緒に食事をする」とテレビで語ったことがある。

一方でコンビ同士としての共演は1998年放送の『いろもん・豪華特別版』(ゴールデンタイムのスペシャル版にダウンタウンがゲスト出演)を最後に10年以上実現していない。ただし、個人それぞれの出演では実現している。2003年に開催された第3回M1グランプリでは松本と南原お笑い第三世代代表として決勝戦の審査員を務め、しかも、隣同士の席順であったために、貴重なツーショットとして、当時からのファンを喜ばせた。その後2006年度第6回M1グランプリ決勝戦でも、南原と隣の席で審査員を務めた。また、ミュージシャンとして内村ポケットビスケッツNO PLAN、南原はブラックビスケッツの一員として『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』に度々出演している。2009年1月3日放送の『史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ』では、内村と松本が「即興コンビ」を組み、『夢で逢えたら』以来のコントを披露し、見事優勝にあたる「ベストカップル賞」を受賞した。このように深く縁のある両コンビだが滅多に共演がないため、ダウンタウンとウッチャンナンチャンが共演した際には、後輩芸人やオールドファンから大変歓迎されている。

松本はウッチャンナンチャンの二人を「戦友。二人が売れすぎるのは芸人として嫌やけど、売れてないのは嫌」と評している。また、自身の著書で「ウンナンがおれへんかったら、ダウンタウンは(売れるのが)もう少し時間がかかったんちゃうかなあって思いますよ」と語っている。

[編集] エピソード

  • 浜田は三重県にある全寮制の高校に入学したため、松本とは以前のようにいつも一緒にいるような関係ではなくなったが、厳しい環境であったため、浜田は山間にある寮から何度も脱走を繰り返し、その手段として時には無賃乗車もした為、松本に電話をして電車賃を払ってもらっていた。
  • NSCでネタ見せの発表会を行うに当たり、当時、人気絶頂であった紳助・竜介の漫才が吹き込まれているテープを、全く同じ事が出来るようになるくらいまで繰り返し聴いた。当時、NSCには一線で活躍している吉本興業の先輩芸人が講師として赴くことがあり、島田紳助明石家さんまオール巨人も講師として赴いていた。その三人がある時、たまたま集まった席で「NSCにめぼしいのはおるか?」という話になり、「二人すごい奴がおる」「一組だけ(ダウンタウン)やな」と、三人ともダウンタウン(松本・浜田)で意見は一致していた[2]
  • コンビ名は、「松本・浜田」「まさとし・ひとし」「青空てるお・はるお」「ライト兄弟」と変わりつづけたが、1983年に喫茶店で何気なく開いた雑誌に偶然記載されていた「ダウンタウン」という文字から(さんまのまんまより)決め、ようやく定着した。
  • 楽屋などで二人きりになる事を極度に恐れ、打ち合わせ等では担当マネージャーがトイレに行ってしまわない様に延々としゃべり続けてしまうという。
  • 浜田が体調不良などで仕事を休んだ際、松本は強い口調ながらも浜田のことを人一倍心配する。ある番組の収録で、浜田が体調を崩し来られなかった日も、松本は一人そわそわと落ち着きのない態度を取り、収録後みんなで集まっていた際も、一人部屋の隅で寂しそうにしていたこともあった(ウンナン・南原やココリコ・田中の証言より)。
  • スナックでアルバイトをしていた頃、スナックから自宅まで帰る電車賃がなくてミナミから尼崎まで、途中、1本のコーヒー牛乳を分け合い飲みながら歩いて帰った事がある。
  • 花月で漫才をしていた時、客席から「真面目にやれ!金返せ!」と罵声を浴びせられた浜田は、「おう!返したらぁ!いくらじゃボケェ!」と、ポケットの中の小銭をその客に向かって投げつけた。
  • うめだ花月、なんば花月、京都花月の三館回りをしていた頃の二人の現場までの交通手段は、浜田が初めてローンを組んで買ったマークⅡであった。
  • 大阪・2丁目時代、あまりの人気ぶりに「ダウンタウンが道頓堀を歩くと自衛隊が出る」と言われていた。
  • ダウンタウンのごっつええ感じ』の「青春プレイバック」と題した企画で尼崎の商店街を訪れた松本は、「浜田に吉本入りを勧誘されてなかったら、自分は今と違って太ったオッサンになって、嫁にコキ使われて生きていただろうな。」と、しみじみと語った。
  • 両者とも下戸である。その為二人の酒に関するエピソードは少ない。ただし二人とも全く飲めない訳ではなく、レギュラー番組で酒を交わしながらトークする様子も見られる。また、両者共に高所恐怖症であり、絶叫マシンが苦手である。その為か、番組内で絶叫マシンに乗る事は少ない。
  • 松本は浜田と出会う前に、ゲイではないかと疑われるぐらいに仲の良い友人がおり、漫才などをして青春を送っていた。中学で浜田と出会い、三人で遊ぶ事も多くなったある日、浜田とその友人が喧嘩を始め、友人を倒した浜田が「もうええわ、まっつん行こうや!」と言い、松本はよく分からんけどふわーっとついていったという。これが無ければダウンタウンは誕生していなかった等とよく松本が話している。その後、友人とはよそよそしくなって、あまり遊ぶ事はなくなったという。(この友人は、元相方としてTVに出演したり、ラジオの公開録音に出席したりしている)

[編集] 作品

[編集] シングル

以上がダウンタウン関連のシングル。

2004年11月「浜田雅功と槇原敬之」という音楽ユニットのクリスマスソング『チキンライス』の作詞は松本が担当したりと、共同作業もある。

[編集] アルバム

  • GOBU-GOBU(1988年10月21日)
    • CBSソニーより発売されたミニアルバム。歌手デビュー作でもある。所ジョージが詞曲を提供している。
  • 万力の国(1991年3月21日)
    • シングル「生きろ・ベンジャミン」(松本バージョンと浜田バージョンの2種類発売)の発売後にリリースされた。松本、浜田のソロ歌唱曲も収録し、宇崎竜童所ジョージ奥田民生島田紳助などが詞曲を提供している。
  • 夢で逢えたら メモリアルアルバム(1992年9月18日)
    • 同番組のサントラ盤
  • GEISHA "Remix" GIRLS(1994年8月19日)
  • GEISHA GIRLS SHOW 炎のおっさんアワー(1995年5月19日)
  • GEISHA GIRLS "Remix" SHOW 続・炎のおっさんアワー(1995年6月21日)
    • 坂本龍一プロデュースにより、ニューヨークでCDデビューした際には、"THE GEISHA GIRLS"というユニット名がつけられた。
    • 日本においては、下町にも住宅地があり、山の手にも繁華街があることが多いため、ダウンタウンを単に「下町」と訳すと意味が違ってくるためこの名になった。
    • ただ、この命名の理由についてはあくまで便宜的なものであり、実際の命名のきっかけとなった出来事がある。これは、『ガキの使い』のトーク収録に坂本龍一が観覧に訪れており、後日のトーク収録にてこのことについて触れられた。そこから「坂本プロデュースでCDデビューしよう」と及び、「ユニット名は?」との浜田のフリに対し、松本が思わず発した「坂本龍一プロデュース、ゲイシャガールズ!」と発したことが直接のきっかけ。
    • この収録のあと、乗り気になった番組スタッフがニューヨークにある坂本の事務所にプロデュース依頼のオファーを出し、坂本が「ダウンタウンの2人が(レコーディングで)N.Y.に来られるのなら」という条件付きでこれを快諾、ダウンタウンと坂本龍一らによる『THE GEISHA GIRLS』が結成されることになった。アメリカの人気DJオービー・トライスも参加している。
  • ダウンタウンのごっつえぇ感じ 音楽全集(1997年12月15日)
    • 番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』のサントラ盤
  • look up to the sky ~明日があるさ~(2002年3月27日) ※Re:Japan名義

[編集] ビデオ

  • ダウンタウン物語(1988年)
  • OH! MY ハレルヤ(1988年)
  • ダウンタウンホラー・大魔神怒る(1989年)
    • ウッチャンナンチャンがゲスト参加したコメディ。
  • ダウンタウンの流(1991年)
    • 漫才、ショートコントを収録。
  • ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1-10(1995年 - 1998年)
    • 同テレビ番組から傑作コントを厳選。
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! Vol.1~7(1995年 - 1998年)
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 10周年記念傑作トークベストセレクションVol.1~4(1999年)
  • 明日があるさ(2001年)

[編集] DVD

  • The Very Best Of ダウンタウンのごっつええ感じ Vol.1~5(2003年)
  • Vol.1「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 浜田チーム体育館で24時間鬼ごっこ! +名作&傑作トーク集」(2004年8月25日、よしもとR and C
  • Vol.2「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本一人ぼっちの廃旅館1泊2日の旅! +名作&傑作トーク集」(2004年9月29日)
  • Vol.3「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 松本チーム絶対に笑ってはいけない温泉旅館の旅!+名作&傑作トーク集」(2004年10月27日)
  • Vol.4「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 抱腹絶倒列伝! 新作トーク集 +15年間の罰ゲームの系譜他」(2004年11月25日)
  • Vol.5「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない温泉宿1泊2日の旅 in 湯河原+名作 & 傑作トーク集」(2005年6月29日)
  • Vol.6「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 負 山崎vsモリマン 男と女の真剣勝負! 笑の神が降りた奇跡の名場面集」(2005年7月27日)
  • Vol.7「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 笑魂投入伝! 傑作トーク集!!」(2005年9月21日)
  • Vol.8「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 放送800回突破記念永久保存版 松本・山崎・ココリコ絶対に笑ってはいけない高校」(2006年11月29日)
  • Vol.9「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 放送800回突破記念永久保存版 笑神降臨伝!傑作トーク集!!」(2007年1月31日)
  • Vol.10「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 浜田・山崎・遠藤絶対に笑ってはいけない警察24時」(2007年12月19日)
  • Vol.11「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 話 ダウンタウン結成25年記念永久保存版 唯我独笑伝!傑作トーク集!!」(2008年1月30日)
  • Vol.12「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 罰 絶対笑ってはいけない病院24時」(2008年12月26日)

[編集] 出演

ダウンタウンとしての出演番組を記載。ピンでの出演作品は浜田雅功松本人志出演の項目を参照。

[編集] 現在放送中のレギュラー番組

[編集] 過去に出演したテレビ/ラジオ番組/CM

[編集] 受賞歴

[編集] 書籍

[編集] 関連書籍

  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(1991年、扶桑社)ISBN 4594008542
  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(1992年、扶桑社)ISBN 4594009255
  • ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 1~6(1995年 - 2003年、ワニブックス)
  • 発明将軍ダウンタウン(1996年、日本テレビ放送網)ISBN 4820396064
  • ダウンタウンの理由(1997年、集英社ISBN 4087802388
  • ダウンタウンのごっつええ感じ完全大図鑑(1998年、扶桑社)ISBN 4594024688
  • ダウンタウンDXのお願い! 名前を呼んで!(1998年、ワニブックス)ISBN 4847012992
  • ダウンタウンDXのスーパー国民投票結果発表(1999年、ワニブックス)ISBN 4847013085

[編集] 写真集

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

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  1. ^ ダウンタウンDXゲスト:島田紳助から
  2. ^ 2006年10月9日放送『メントレスーパーG秋の2時間大放出スペシャル』より
  3. ^ チンパンジーのアフレコ、声のみの出演。関東のみの放送で、パターンは13通りあったという。

[編集] 外部リンク

先代:
北野武
FNSの日総合司会
第11回(1997年
次代:
中居正広
他の言語