タバスコキャット
| タバスコキャット | |
|---|---|
| 英字表記 | Tabasco Cat |
| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 栗毛 |
| 生誕 | 1991年 |
| 死没 | 2004年3月6日 |
| 父 | Storm Cat |
| 母 | Barbicue Sauce |
| 母の父 | Sauce Boat |
| 生国 | |
| 生産 | Overbrook Farm & David P. Reynolds |
| 馬主 | Overbrook Farm |
| 調教師 | D. Wayne Lukas |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 18戦8勝 |
| 獲得賞金 | 2,347,671ドル |
タバスコキャット(Tabasco Cat、1991年 - 2004年)は、アメリカ合衆国のサラブレッドの競走馬、および種牡馬。1994年のアメリカクラシック二冠馬で、競走生活後は日本でも種牡馬として活動していた。
目次 |
経歴[編集]
幼駒時代[編集]
1991年にケンタッキー州レキシントン郊外のオーバーブルックファームで生産されたサラブレッドである。父ストームキャットは後の名種牡馬で、同馬はその初期の産駒である。タバスコキャットの生産者名義はオーバーブルックファーム代表のウィリアム・T・ヤングと、レイノルドメタルズ社取締役のデヴィッド・P・レイノルドの連名によるもので、後の競走馬登録の際にはオーバーブルックファームを馬主名義としている。
その後ウェイン・ルーカスに預けられ、1993年より競走生活を送り始めた。7月19日のベルモントパーク競馬場で迎えたデビュー戦は7着に終わったが、3戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。続く一般競走でも勝ち、初のステークス競走も勝って3連勝を決めた。同年の締めには大一番であるブリーダーズカップ・ジュヴェナイルに挑戦したが、ここでは勝ち馬ブロッコから6馬身以上離された3着に敗れた。
この年の12月、タバスコキャットはサンタアニタパーク競馬場で脱走騒ぎを起こした。この時タバスコキャットを止めようとジェフ・ルーカス(ウェイン・ルーカスの息子)が立ち塞がったが、結果的にジェフは止められず、タバスコキャットと激突した衝撃で頭蓋骨を割られる大怪我を負った。ジェフは命を取り留めたものの数週間の昏睡状態に陥り、最終的には職場へと復帰を果たしたものの、依然として後遺症が残った。
クラシック戦線[編集]
3歳となった1994年、タバスコキャットは西海岸から同年を始動し、1月に迎えた初戦のエルカミーノリアルダービーで重賞初勝利を飾った。以後もクラシックの王道路線へと向かい、翌戦3月のサンラファエルステークスでも勝って連勝を決め、その勢いで西海岸の頂点を決めるサンタアニタダービーに出走したが、ここでも前年敗れたブロッコに3/4馬身及ばぬ2着に敗れた。
サンタアニタダービー後はクラシック本番となるケンタッキーダービーへと出走し、フロリダダービー優勝馬ホーリーブル、前走でも敗れたブロッコに次いで、単勝3番人気に支持された。しかしスタートからすぐ内側にいたゴーフォージンが先行し、タバスコキャットは外枠のブロッコの側へと押しやられた。その後も先行集団につけたものの終始外側を回らされ、結局優勝したゴーフォージンから遠く離された6着で競走を終えた。ブロッコは4着、ホーリーブルは12着と惨敗し、同競走の三連単配当は1175.7倍の万馬券となった[1]。
ブロッコやホーリーブルがクラシック路線から離れる一方で、タバスコキャットは依然としてその戦線に残り、翌戦のプリークネスステークスにも参加、3番人気に支持された。タバスコキャットはスタートから前を行ったゴーフォージンらの後ろ4番手に控え、最内側を確保して向こう正面まで走り続けた。そして第3コーナーで先を行く馬2頭を追い越し、最後の直線では残るゴーフォージンとともに後続を大きく引き離す一騎討ちを繰り広げ、最終的に3/4馬身の差をつけて優勝を手にした。
三冠最終戦のベルモントステークスではケンタッキーダービー2着であったストロデスクリークが1番人気に支持され、次いでゴーフォージン、タバスコキャットの順に人気を集めた。前走と同じくスタートからゴーフォージンが先頭を行くなか、タバスコキャットは終始2番手に付けた。そして直線でゴーフォージンを追い抜き、2着に入ったゴーフォージンに2馬身の差をつけて優勝、同年の二冠を達成した。
その後[編集]
三冠路線後はジムダンディステークス、トラヴァーズステークスと3歳秋路線の王道を進んだが、ジムダンディステークスでは2着、トラヴァーズステークスでも3着と敗れている。特にトラヴァーズステークスでは別路線で連勝中のホーリーブルと、かつてプリークネスステークスで3着だったコンサーンとが最後の直線で激しく争っていたなか、タバスコキャットは3番手ながらもその後方から追いつくことができず、クビ差で決着した両馬から17馬身も離された惨敗であった。
その翌戦ケンタッキーカップクラシックハンデキャップでは古馬と初の対決を行い、古豪ベストパルを破って優勝する活躍を見せたが、これがタバスコキャットの最後の勝利であった。
ジョッキークラブゴールドカップ4着から挑んだ年末の大一番ブリーダーズカップ・クラシックでは、ホーリーブルが出走しなかったことも幸いして人気を集め、1番人気に支持された。スタートから先行集団につけて進み、最終コーナーでまくり上げて最後の直線入口では2番手に立ち、先を行く馬を抜いて一時は先頭に立った。しかしその後ろから迫ってきたコンサーンに追い抜かれ、2着に敗れた。
その年の12月に出走したハリウッドダービーで8着と大敗したのを最後に引退、種牡馬となった。
引退後[編集]
引退後はオーバーブルックファームで種牡馬入りした。種牡馬成績は期待に添えない低調さであったが、その中からエイコーンステークス優勝馬アイランドサンド(Island Sand 2001年生・牝馬)、ハリウッドスターレットステークスなどに勝ったハビブティ(Habibti 1999年生・牝馬)、サンカルロスステークス優勝馬のスノーリッジ(Snow Ridge 1998年生・牡馬)などを出している。
2000年の秋に日本へと輸出され、日本軽種馬協会の静内種馬場に繋養された。ここで種牡馬として供用されていたが、日本ではこれといった名のある産駒は現在まで出ていない。
2004年3月6日、種付け中に心臓麻痺を起こして急死した[2]。13歳であった。
後の2009年のクラシックシーズン中に、ルーカスがタバスコキャットなどベルモントステークス優勝馬の名を挙げてその距離短縮論[3]を唱えたが、この中で「タバスコキャットが今どこにいるのかすら知らない。台湾にでもいるのか。」と発言したことが物議をかもした。
評価[編集]
主な勝鞍[編集]
- 1993年(2歳) 6戦3勝
- フォートスプリングステークス
- 1994年(3歳) 12戦5勝
- エルカミーノリアルダービー (G3)、サンラファエルステークス (G2)、プリークネスステークス (G1)、ベルモントステークス (G1)、ケンタッキーカップクラシックハンデキャップ
- 2着 - サンタアニタダービー (G1)、ジムダンディステークス (G2)、ブリーダーズカップ・クラシック (G1)
血統表[編集]
| タバスコキャットの血統 (ストームキャット系 / Princequillo 5x5=6.25%) | |||
|
父
Storm Cat 1983 青鹿毛 アメリカ |
Storm Bird 1978 鹿毛 カナダ |
Northern Dancer | Nearctic |
| Natalma | |||
| South Ocean | New Providence | ||
| Shining Sun | |||
| Terlingua 1976 栗毛 アメリカ |
Secretariat | Bold Ruler | |
| Somethingroyal | |||
| Crimson Saint | Crimson Satan | ||
| Bolero Rose | |||
|
母
Barbicue Sauce 1983 鹿毛 アメリカ |
Sauce Boat 1975 栗毛 アメリカ |
Key to the Mint | Graustark |
| Key Bridge | |||
| Missy Baba | My Babu | ||
| Uvira | |||
| Lady Barbizon 1970 鹿毛 アメリカ |
Barbizon | Polynesian | |
| Good Blood | |||
| Cancelada | Nigromante | ||
| Caninha F-No.12-d | |||
備考[編集]
- ^ 120th Kentucky Derby - kentuckyderby.com(英語・2009年版)
- ^ 米2冠馬タバスコキャットが死亡 - netkeiba.com
- ^ 世界的な競馬の競走距離短縮傾向に伴い、12ハロン(約2414メートル)で施行されるベルモントステークスは価値が下落しているとされ、しばしば距離短縮が議論の的となる。
外部リンク[編集]
- 126th Running - belmontstakes.com(pdfファイル) (英語)
- 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ、Racing Post
- タバスコキャット(USA) - 競走馬のふるさと案内所