ゾフィー・ホーエンベルク

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ホーエンベルク侯爵夫人ゾフィー
ゾフィーと父フランツ・フェルディナント大公

ゾフィー・ホーエンベルクSophie Hohenberg, 1901年7月24日 コノピシュテ城ボヘミア - 1990年10月27日 タンハウゼン)は、オーストリア=ハンガリー(二重帝国)の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公の長女、最後のオーストリア皇帝カール1世の従妹。結婚後の姓名はゾフィー・ノスティッツ=リーネックSophie Nostitz-Rieneck)といった。1919年まではホーエンベルク侯爵夫人(Fürstin von Hohenberg[1]の称号を有した。

生涯[編集]

フランツ・フェルディナント大公とその妻のゾフィー・ホテク伯爵夫人(結婚によりホーエンベルク公爵夫人)の間の第1子、長女として生まれた。全名はゾフィー・マリー・フランツィスカ・アントニア・イグナティア・アルベルタ(Sophie Marie Franziska Antonia Ignatia Alberta Fürstin von Hohenberg)である。両親の貴賤結婚により、ゾフィーと2人の弟マックスエルンストは、二重帝国の帝位継承権はおろかハプスブルク家の正式な成員とすら認められなかった。

1914年に両親がセルビア訪問中に民族主義者のテロにより暗殺されると(サラエヴォ事件)、ゾフィーと弟たちは母方の親族に引き取られた。姉弟は母の末の妹ヘンリエッテとその夫のレオポルト・フォン・ノスティッツ=リーネック伯爵の屋敷で養育され、母の姉マリーの夫であるヤロスラフ・フォン・トゥーン・ウント・ホーエンシュタイン侯爵[2]が皇帝フランツ・ヨーゼフ1世によって姉弟の後見人に指名された。

1920年9月8日にジェチーンにおいて、義理の叔父レオポルトの甥であるフリードリヒ・ノスティッツ=リーネック伯爵(Friedrich Nostitz-Rieneck, 1891年 - 1973年)と結婚した。伯爵夫妻の間には長男エルヴァイン(1921年 - 1949年、ソ連捕虜収容所で死亡)、次男フランツ(1923年 - 1945年、東部戦線で戦死)、三男アロイス(1925年 - 2003年)、長女ゾフィー(1929年 - 、グーデヌス男爵夫人)の3男1女が生まれた。

結婚後も婚家ノスティッツ伯爵家の所領のあるチェコスロヴァキアに居住したが、1945年にはベネシュ布告により全財産を没収されたうえ国外に追放された。このため家族とともにオーストリアに移り、最初はアイゼンエルツで暮らし、1963年にザルツブルクに移った。1990年に死去し、ヴァイツにある、娘の嫁ぎ先グーデヌス男爵家の墓所に葬られた。

脚注[編集]

  1. ^ ホーエンベルク公爵家は当主のみがホーエンベルク公爵(Herzog von Hohenberg)と称し、その他の成員はホーエンベルク侯爵(Fürst/in von Hohenberg)と名乗る。ただしオーストリアでは1919年の貴族制廃止法(Adelsaufhebungsgesetz)により、全ての貴族称号は法的に廃止された。
  2. ^ ツィスライタニエン首相を務めた政治家フランツ・アントン・フォン・トゥーン・ウント・ホーエンシュタイン侯爵の弟で、自身も歴史家であった。

参考文献[編集]

  • Gordon Brook-Shepherd: Die Opfer von Sarajevo. Erzherzog Franz Ferdinand und Sophie von Chotek. Engelhorn-Verlag, Stuttgart 1988, ISBN 3-87203-037-X, (Engelhorns Lebensbilder).

外部リンク[編集]