ソレイマヌ・ムバイエ

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ソレイマヌ・ムバイエ
基本情報
本名 ソレイマヌ・ムバイエ
通称 The Sensation
階級 スーパーライト級-ウェルター級
国籍 フランスの旗 フランス
誕生日 1975年3月21日(39歳)
出身地 オー=ド=セーヌ県,クリシー
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 46
勝ち 40
KO勝ち 22
敗け 5
引き分け 1
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ソレイマヌ・ムバイエSouleymane M'baye1975年3月21日 - )は、フランスプロボクサーパリ出身。
第46代WBA世界スーパーライト級王者。元WBA世界ウェルター級暫定王者The Sensation の異名を持つ。セネガル人の両親の元に生まれセネガル語はもちろんの事、フランス語、スペイン語、イタリア語、など四ヵ国語を話す事が出来る。

来歴[編集]

1998年11月17日、プロデビュー。主戦場は主にヨーロッパに限られていたが、19連勝と勢いに乗ったままキャリアを進行させた。

2001年4月24日、20戦目で国内タイトル戦をノルディン・ムーチと行い、2-1の判定勝ちで全仏スーパーライト級王座を獲得した。

2002年1月22日、ポーランドグディニャにて12戦無敗のヨルゲン・ハエク(ベルギーの旗 ベルギー)とEBUヨーロッパ連合スーパーライト級王座決定戦を行い、2回TKOで下しタイトル獲得に成功、敗れたハエクは13戦目にして初黒星となった。

2002年5月23日、フランス・オー=ド=セーヌ県ルヴァロワ=ペレにあるパレ・デ・スポールにて元WBA世界スーパーライト級王者のカル・ライリーが持つWBAインターコンチネンタルスーパーライト級王座に挑戦し、3-0の判定勝ちでタイトル獲得に成功し、ライリーはこの試合を最後に引退したため結果的に引導を渡したという事となった。

2003年7月12日、アメリカデビュー。米国・ネバダ州ラスベガスジ・オーリンズホテル&カジノにてビビアン・ハリスガイアナの旗 ガイアナ)の持つWBA世界スーパーライト級王座に挑戦するが、プロ初黒星となる0-3(110-117、111-116、111-116)の判定負けを喫し王座獲得に失敗、世界初挑戦でのタイトル奪還とはならなかった。

2004年10月21日、自身の地元でアンドレアス・コテルニクウクライナの旗 ウクライナ)とWBA世界スーパーライト級王座挑戦者決定戦を行い、2-1の僅差判定で勝ちを拾い挑戦権を獲得した。

その後はノンタイトル戦を数戦挟み、2006年9月2日、イギリスランカシャーボルトンボルトンアリーナにて、元WBA世界ライト級王者ラウル・バルビアルゼンチンの旗 アルゼンチン)とWBA世界スーパーライト級王座決定戦を行い、元世界王者相手に実力差を見せつけ4回TKO勝ちで制し悲願の世界王座を獲得した[1]

2007年3月10日、イギリス・マージーサイドリヴァプールオリンピアにてアンドレアス・コテルニクと再戦、試合は挑戦者が前に出てそれを王者がアウトボクシングで捌いていく展開、序盤は足を使い相手の攻撃を空転させていくも中盤からはコテルニクのパンチに手を焼き徐々に相手のパンチを交わしきれなくなり終盤はポイントを取ったり取られたりの中で最終12回のゴングが鳴り終わり判定決着へ、採点は引き分けでムバイエが苦闘の初防衛に成功するがコテルニクが勝っていたという声も少なくはなかった[2]

2007年7月21日、敵地に乗り込んでの2度目の防衛戦、ウェールズカーディフカーディフ・インターナショナル・アリーナゲビン・リースウェールズの旗 ウェールズ)と対戦、前回のドローとなった試合からおよそ4ヶ月今度こそは明白な勝利で王座を守りたかったが相手のボクシングに翻弄され0-3(112-117、113-117、110-118)の判定で敗れ王座から陥落した[3]

2007年11月10日、自身のホームタウンでアメス・ディアス(パナマの旗 パナマ)とWBC世界スーパーライト級王座への挑戦者決定戦を行い、4回TKO勝ちで挑戦権を獲得した。

2008年6月6日、カナダケベック州モントリオールにてハーマン・ヌゴウジョ(ガーナの旗 ガーナ)とIBF世界スーパーライト級王座挑戦者決定戦に出場、ジャブで軽いパンチながらも先制攻撃を仕掛け、相手にペースが渡るのを防いでいたがヌゴウジョは強引に接近戦へと持ち込み力強いコンビーネーションのパンチを打ち込むもムバイエの巧みなディフェンスによってクリーンヒットとはならず、その後も両者互いの攻防が続き終盤には相手がガス欠をおこし、実力が拮抗したまま試合終了のゴングを聞いた、結局守りに徹していた事もあり手数が少なくなったムバイエよりもヌゴウジョのダメージパンチはなくとも手数を出していた事が判定の分岐点となり0-3の小差判定負けで敗れ挑戦権獲得に失敗した。

2009年7月3日、コリン・ラインス(イギリスの旗 イギリス)とEBU欧州スーパーライト級王座決定戦を行い、2-1の僅差の判定で勝利し同王座を獲得した。

2010年5月28日、パリ近郊で階級を一つ上げWBA世界ウェルター級暫定王座決定戦で23戦無敗のアントナン・ドカリカナダの旗 カナダ)と対戦し、3-0の判定勝利で王座を獲得した[4][5]

2011年7月14日、モロッコマラケシュジャマ・エル・フナ広場にてフランス在住のモロッコ人のイスマエル・エル・マスウーディフランスの旗 フランス)と初防衛戦を行い、相手の豊富なスタミナからくる動きやパンチに手こずりながらも序盤はペースを抑えていき、中盤もリードジャブが冴えわたりこのまま王者ペースで試合が終わるかと思われた矢先10回に相手のアッパーを貰い一瞬動きが止まると、12回にはラフながらも果敢に攻める挑戦者のパンチを貰いダウン結局右ヒザも痛めた事もあり、立てずにカウントアップ最終回2分19秒TKO負けを喫し初防衛に失敗、王座からも陥落した[6]

その後2013年3月21日に一試合調整試合を挟み復帰し結果は2回TKO勝利を収め、さらに同年7月13日に2年振りとなるタイトルマッチのチャンスが訪れ、モナコモンテカルロにあるラ・サル・デゼトワールでカビブ・アーラフベルディエフロシアの旗 ロシア)の持つWBA世界スーパーライト級王座とIBO世界スーパーライト級王座に挑戦し、11回2分27秒TKO負けを喫しWBA王座への返り咲きに失敗、IBO王座の獲得にも失敗した[7]

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]

空位
前タイトル保持者
リッキー・ハットン
第46代WBA世界スーパーライト級王者

2006年9月2日 - 2007年7月21日

次王者
ゲビン・リース
暫定王座決定戦 対戦者
アントナン・ドカリ
WBA世界ウェルター級暫定王者

2010年5月28日 - 2011年7月14日

次暫定王者
イスマエル・エル・マスウーディ