ソフィア (スペイン王妃)
| ソフィア Sofía |
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| スペイン王妃 | |
ソフィア王妃
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| 在位 | 1975年11月22日 - |
| 全名 | ソフィア・マルガリータ・ビクトリア・フェデリカ |
| 出生 | 1938年11月2日(74歳) |
| 配偶者 | フアン・カルロス1世 |
| 子女 | エレナ王女 クリスティナ王女 アストゥリアス公フェリペ王太子 |
| 王家 | グリクシンブルク家 |
| 父親 | パウロス1世 |
| 母親 | フリデリキ |
| スペイン王室 |
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フアン・カルロス1世 |
ソフィア・デ・グレシア(Sofía de Grecia,ギリシャ語:Σοφία Μαργαρίτα Βικτωρία Φρειδερίκη,1938年11月2日 - )は、スペイン国王フアン・カルロス1世の王妃。
ギリシャ国王パウロス1世の長女。弟はギリシャ元国王コンスタンティノス2世。妹にイリニ王女。スペインにおける正式名はソフィア・マルガリータ・ビクトリア・フェデリカ(Sofía Margarita Victoria Federica)。同じギリシャ王家出身のエジンバラ公フィリップと、彼女の父パウルスとはいとこの関係にある。父方の曽祖父はドイツ皇帝フリードリヒ3世、母方の曾祖父も同じくドイツ皇帝でフリードリヒ3世の息子であるヴィルヘルム2世。
目次 |
概要 [編集]
アテネ郊外プシヒコ(en)で生まれた。彼女の誕生した日は国民の休日となり、恩赦が行われた。1939年1月9日、彼女はアテネ王宮の大広間で行われた正式行事である洗礼式において、ギリシャ正教会の首座主教にしてアテネ大主教から洗礼を受けた。ゲオルギオス2世、ブラウンシュヴァイク公爵、両親であるパウロス王子と妃フリデリキ、パウロスの兄弟やおじたちら肉親、イギリスやイタリアの大使が出席した。
彼女は幼年時代にギリシャを離れねばならなかった。第二次世界大戦勃発後ドイツがギリシャへ侵攻したためである。彼女は王室が亡命したエジプトと南アフリカで初等教育を受け、1946年に帰国した。彼女は幼児教育、音楽、考古学を学んだ。彼女は母フリデリキ王妃が創設したミテラという産科医院で看護婦をしていた。ソフィアはドイツ南部にある全寮制学校で、国際バカロレア資格の取得できるシューレ・シュロス・ザレム校(en)で学んだ。
1961年6月8日、ヨークで行われたイギリスのケント公爵エドワード王子(王子の生母はギリシャ王女マリナ)の結婚式に出席した際、未来のスペイン王であるフアン・カルロス王子と出会った。
1962年5月14日、ギリシャで結婚。その際、カトリック教会での宗教婚、アテネ王宮での民事婚、正教会の儀式に則った宗教婚と、3度の挙式を挙げた。この結婚式には、新郎の父方の祖母がスペイン王妃ビクトリア・エウヘニアであることからヨーロッパの各王室から多くの代表が参列した。結婚に際してカトリックに改宗している。エレナ王女(1963年 - )、クリスティナ王女(1965年 - )、フェリペ王太子(1968年 - )の3子がある。
夫フアン・カルロス国王は、彼女の人物像を「彼女はプロフェッショナルさ。」と評した。今や欧州の各王室にも少なくなった、生まれながらの王女から王妃になったソフィアを、王族として幼い頃から教育を受けた故に、現在の王室の責務・行事と多岐にわたる役柄をこなす、その能力を高く買った発言と言える。
王妃の名前を冠した施設として、カナリア諸島のテネリフェ島にあるレイナ・ソフィア空港、マドリードのソフィア王妃芸術センターがある。
社会活動 [編集]
人物 [編集]
- 2012年に刊行された伝記によると、ソフィアは闘牛を嫌う菜食主義者であるという[1]。
- サッカーは観戦する。2010FIFAワールドカップではサッカースペイン代表の初優勝が懸った決勝戦を観戦した。また2012年EURO2012の決勝戦も観戦し、スペイン代表が優勝すると試合後に選手のロッカールームを訪問し、選手らが汗などで汚れていたり更衣中で半裸であるのも咎めずに、選手らに称賛の言葉をかけた。
脚注 [編集]
- ^ Queen Sofia of Spain: Europe's lonely royal consort http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/spain/9276931/Queen-Sofia-of-Spain-Europes-lonely-royal-consort.html