ソニー・リストン

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ソニー・リストン
基本情報
本名 チャールズ・リストン
通称 ソニー
階級 ヘビー級
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
誕生日 1932年5月8日
出身地 アメリカ合衆国アーカンソー州
死没日 1970年12月30日(満38歳没)
死没地 アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガス
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 54
勝ち 50
KO勝ち 39
敗け 4
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チャールズ・"ソニー"・リストンCharles "Sonny" Liston、男性、1932年5月8日 - 1970年12月30日)は、アメリカ合衆国プロボクサーアーカンソー州出身。

刑務所でボクシングを覚え、カシアス・クレイ(モハメド・アリ)が現れるまでは、身長184cmながら、213cmというずば抜けたリーチ、周囲38cmという巨大な拳によって放たれる豪打により、世界ヘビー級王者となった。

来歴[編集]

リストンは幼い頃から犯罪で手を染めており、武装強盗や警官襲撃などで19回逮捕された記録が残されている。その間に刑務所でボクシングを覚えた[1]

1952年、2年間の刑務所生活から仮釈放で出所、セントルイスのマフィアのボス、ジョン・ビターレと関係するようになる[1]

1953年、プロデビュー。

1956年5月5日、路上でリストンを呼び止めた警官に暴行を働いた上に拳銃を奪い去ったとして感化院へ9ヶ月間送られる。その後、再び警官相手に暴力沙汰を起こして町を出て行くよう宣告を受け、セントルイスからフィラデルフィアへ拠点を移す[1]

この頃から数年に渡って、ボクシングプロモーターでフィラデルフィアマフィアの裏の顔を持つフランク・パレルモと、ニューヨークマフィアのルッケーゼ一家の一員でマーダー・インクの殺し屋でもあったフランキー・カルボに支配下で試合を行うようになる[1]

1962年9月25日フロイド・パターソンに1ラウンドKO勝ちし、世界ヘビー級タイトルを獲得。1度防衛。

1964年2月25日フロリダ州マイアミビーチコンベンションセンターにてカシアス・クレイ(モハメド・アリ)の挑戦を受け、6ラウンド終了後に試合を棄権(試合はRTD負け)して王座を陥落。

1965年5月25日メイン州ルイストンにてクレイにリターンマッチを挑むが、1ラウンド2分12秒でクレイに返り討ちのKO負けを喫した。

1971年1月5日、帰省から戻ってきた妻がラスベガスの自宅ベットの下でリストンが死んでいるのを発見、検査官によって既に6日前に死亡していた推定された。死因についてはキッチンでヘロインが見つかり、リストンの腕にも注射痕があったことからヘロインの過剰摂取とされているが、心臓麻痺やマフィアに殺害されたなど諸説ある[1][2]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e Liston was trouble in and out of ring”. ESPN.com. 2015年2月5日閲覧。
  2. ^ Those who knew him best still say Sonny Liston was done in”. Las Vegas Review-Journal (2011年1月5日). 2015年2月6日閲覧。

外部リンク[編集]

前王者
N/A
第24代WBA世界ヘビー級王者

1962年9月25日 - 1964年2月25日

次王者
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)
前王者
フロイド・パターソン
初代WBC世界ヘビー級王者

1963年2月14日(認定) - 1964年2月25日

次王者
カシアス・クレイ(モハメド・アリ)