セントクリストファー・ネイビス
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- セントクリストファー・ネイビス連邦
- Federation of Saint Christopher and Nevis
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(国旗) 国章 - 国の標語 : Country Above Self
(英語: 私利を超越する国) - 国歌 : Oh Land of Beauty!

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公用語 英語 首都 バセテール 最大の都市 バセテール 独立
- 日付イギリスより
1983年9月19日通貨 東カリブ・ドル(EC$)(XEC) 時間帯 UTC -4(DST: なし) ccTLD KN 国際電話番号 1-869
セントクリストファー・ネイビス、別称セントキッツ・ネイビスは、西インド諸島の小アンティル諸島内のリーワード諸島に位置するセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島の2つの島からなる英連邦王国の一国たる立憲君主制国家。島国であり、海を隔てて北西にイギリス領アンギラ、東にアンティグア・バーブーダ、南西にイギリス領モントセラトが存在する。首都はバセテール。
イギリス連邦加盟国。ミニ国家の一つである。面積と人口は共に南北中アメリカにおいて一番小さく、独立年も一番新しい。
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[編集] 国名
正式名称は、Federation of Saint Christopher and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・クリストファー・アンド・ニィヴィス)。しかし、現在では、Federation of Saint Kitts and Nevis(フェデレイション・オブ・セイント・キッツ・アンド・ニィヴィス)と称することが多くなっている。セントクリストファー・ネイビスの外務省は、どちらも正式名称であるとの立場をとっている。通称は、Saint Kitts and Nevisが一般的で、St.Kitts & Nevisと表記されることも多い。
日本語では、セントクリストファー・ネイビス(連邦)が最も一般的な表記である。日本の外務省表記は、セントクリストファー・ネーヴィスであるが、外務省が編集協力する『世界の国一覧表 2007年版』(世界の動き社)ではセントキッツ・ネービスと表記されている。文部科学省の教科書検定では、首都名は世界の動き社の『世界の国一覧表』に倣うことと指導されるため、検定教科書(社会科・地理歴史科)・地図帳ではセントキッツ・ネービスと表記される(ただし、『世界の国一覧表』が廃刊になったため今後の方針は不明、世界史の教科書ではそれほど検定基準が厳格に運用されてはいない)。ネイビスは、ネビス、ネービス、ネイヴィス、ネーヴィスとも表記される。
2つある島の大きい方がセントクリストファー島で、クリストファー・コロンブスは、自分自身の名前の由来でもある、「聖クリストファー」(聖クリストフォルス、St. Christopher)の名をこの島に付けた。クリストファーという人名の愛称がキッツなので、セントキッツ島とも呼ばれている。島民はキティシャンの愛称で親しまれている。
ネイビス島は、コロンブスらスペイン人が島を発見した時、島の最高峰であるネイビス山の頂上が真っ白な雲に覆われている様子を見て、山の頂上が雪が積もっていると勘違いした事からスペイン語で雪を意味するニエベ(Nieve)からネイビスとなり命名された。島民はニビジャンと呼ばれる。
[編集] 歴史
- 1493年11月12日 クリストファー・コロンブスらによってセントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島が「発見」された。
- 1623年 トーマス・ワーナー卿、セントクリストファー島に到着する。
- 1624年 ワーナー卿がイギリスの入植者一団を連れてセントクリストファー島へ初めて永続的入植をする。
- 1625年 フランスのピエール・ブランもフランスから入植者を引き連れて島に入植。
- 1626年 イギリスとフランスの入植者との間係が悪化。先住民のカリブ族(カリナゴ族)は、セントクリストファー島のブラディー・ポイントでイギリスとフランスの入植者によって大虐殺され、生き残った者は島から追われる。
- 1627年 イギリス人入植者とフランス入植者との条約によりセントクリストファー島の中部がイギリス、北部と南部がフランスと分割される。
- 1628年 セントクリストファー島のイギリス入植者たちがネイビス島へ入植。
- 1629年 スペインがセントクリストファー島へ侵攻するが、すぐに島から去っていった。
- 1664年 この年からイギリスとフランスとの間で島の争奪戦争が起こる。
- 1671年 セントキッツ島とネイビス島はイギリスの知事下でリーワード諸島連邦の一部になり、アンティグア島とモントセラトも加わる。
- 1713年 ユトレヒト条約によりフランス人入植者はイギリス人入植者の領土の主張を諦め、セントクリストファー島は完全にイギリス領となる。
- 1782年 フランスが再び島を襲うが、1783年ヴェルサイユ条約によりイギリスへ島を返還。
- 1861年 セントキッツ島、ネイビス島、アンギラ島と、さらにイギリス領ヴァージン諸島は一つの植民地として1871年まで管理される。
- 1882年 セントキッツ・ネイビス・アンギラはリーワード諸島連邦内で「大統領」として確立される。
- 1932年 セントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党(SKNLP)、独立のためのキャンペーンを行う。
- 1958年 イギリス領西インド連邦に加盟。
- 1956年 セントキッツ島とネイビス島とアンギラ島はセントキッツ・ネイビス・アンギラとなり、別々のイギリスの植民地となる。商業と生産を担当していたセントキッツ・ネイビス・アンギラの大臣ロバート・ブラットショーが西インド諸島同盟の会議に当選して、同盟の大蔵大臣になる。
- 1967年 セントキッツ・ネイビス・アンギラとしてイギリス自治領となり、労働党政府のロバート・ブラットショーが初代首相に就任。5月30日、アンギラ政府がこの決め付けに不満を抱きアンギラにいる17人のセントキッツ警察を島から放り出し、7月12日にアンギラが単独で独立を宣言。
- 1969年 アンギラ島政府がアンギラ共和国の成立を宣言。6月19日、イギリスが2台の護衛艦を使いアンギラに軍を派兵。イギリスの植民地統治下に復帰。
- 1971年8月6日 島の管理をイギリスに返したアンギラ法がイギリス議会で可決する。
- 1978年 ブラットショー死亡。同僚のC・ポール・サウスウェルが首相になる。
- 1979年5月 サウスウェル死亡。
- 1980年 アンギラが正式にセントキッツ・ネイビスから分離。
- 1983年 セントクリストファー・ネイビスとしてイギリスから独立。人民行動運動(PAM)のケネディ・シモンズが独立最初の首相に就任。
- 1989年 大型ハリケーン「ヒューゴ」に襲われ、国の主産業であるサトウキビや電力供給に深刻な被害が出る。
- 1993年11月 選挙でシモンズ首相が再任。
- 1995年 SKNLPのデンジル・ダグラスがシモンズを破り首相に就任。
- 1998年 ネイビス島の分離独立を伺う住民投票で、賛成票が61.83%と、分離に必要な2/3にわずかにとどかずネイビス島の分離独立は出来ず。
- 2000年3月 与党のSKNLPが1議席伸し、ダグラス首相が再任
[編集] 政治
立憲君主・議院内閣制。
ネイビス島には独自の政党がある。
[編集] 地方行政区分
詳細は「セントクリストファー・ネイビスの行政区画」を参照
セントクリストファー・ネイビスは14の行政教区(parish)に分かれている。
セントクリストファー島(セントキッツ島)は9行政教区であり、ネイビス島は5行政教区である。
- クライストチャーチ・ニコラタウン(Christ Church Nichola Town)
- セントアン・サンディポイント(Saint Anne Sandy Point)
- セントジョージ・バセテール(Saint George Basseterre)
- セントジョージ・ジンジャーランド( Saint George Gingerland)
- セントジェームズ・ウィンドワード(Saint James Windward)
- セントジョン・カピステール(Saint John Capesterre)
- セントジョン・フィッグトリー(Saint John Figtree)
- セントメリー・ケーヨン(Saint Mary Cayon)
- セントポール・カピステール(Saint Paul Capesterre)
- セントポール・チャールズタウン(Saint Paul Charlestown)
- セントピーター・バセテール(Saint Peter Basseterre)
- セントトーマス・ロウランド(Saint Thomas Lowland)
- セントトーマス・ミドルアイランド(Saint Thomas Middle Island)
- トリニティパルメット・ポイント(Trinity Palmett Point)
[編集] 地理
北リーワード諸島に位置している。面積168km²のセントクリストファー島と面積94km²のネイビス島からなり、幅3kmのナローズ海峡が両島を分断している。両島の間にはブービー島と言う直径100mたらずの小さな岩の島がある。セントクリストファー島は火山島で、標高1156mの休火山リアムイガ山(ミゼリー山)がある。島の最南端にグレート・ソルト湖と言う湖がある。山がちな島だが、島の南部はとりわけ平地で人口も集中している。半島には白浜の海岸も多い。山がちな島の北部は火山性の黒浜の海岸が多い。姉妹島のネイビス島も火山島で標高985mの休火山・ネイビス山があり、島の周囲は珊瑚礁が多い。両島ともほとんど、サトウキビ畑に開墾されているが、うっそうと繁った鮮かで緑豊かな熱帯雨林など豊かな自然も残っている。
[編集] 交通
道路は約300kmで、セントクリストファー島の道路はほとんどが海岸線に沿って走っている。鉄道も走っており、58kmの線路が島にある。サトウキビを運ぶ為に建設されたが、現在は観光用の列車が利用している。フェリーの定期便がセントクリストファー島とネイビス島、2島を結んでいる。
空港はセントクリストファー島に国際線とネイビス島に国内線がある。
- ロバード・L・ブラッドショー国際空港(別名ゴールデン・ロック国際空港) - セントクリストファー島にある。
- ニューカッスル空港 - ネイビス島にある。
[編集] 経済
伝統的に砂糖を中心とした農業島国だったが、2005年7月をもって生産を停止。現在は観光が主要産業となっている。これは砂糖産業が奴隷制度の象徴であることに加え、1980年代からすでに利益が出なくなっていたためである。サトウキビの生産量は2002年時点で19万トン、砂糖の生産量は同1.9万トン。いずれも農業、工業生産物として最も生産量が多かった。しかしながら、電気機械の組み立てが産業として確立しているため、輸出に占める電気機械の比率は2001年時点では62.9%に達し、砂糖は21.0%であった。主な輸出相手国はアメリカ合衆国で、71.5%を占める。
[編集] 国民
住民は、アラワク族、カリブ族(カリナゴ族)らが入植していたが、ついで白人が入植し、現在は奴隷の末裔であるアフリカ系黒人がほとんどで白人は少数である。しかし、奴隷として連れて来られた当初と比べると、かなり混血が進んでいる。
[編集] 文化
[編集] 世界遺産
セントクリストファー・ネイビス国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。詳細は、ブリムストーン・ヒル要塞を参照せよ。
| 日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
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[編集] 著名な出身者
- アレキサンダー・ハミルトン(アメリカ合衆国憲法の草案者)。
- キム・コリンズ(陸上選手)。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
[編集] 外部リンク
- 政府
- セントクリストファー・ネイビス連邦政府 (英語)
- 日本政府
- 日本外務省 - セントクリストファー・ネイビス (日本語)
- 在トリニダード・トバゴ日本国大使館 - 在セントクリストファー・ネイビス大使館を兼轄 (英語)
- 観光
- セントクリストファー・ネイビス - ウィキトラベル
- セントクリストファー観光局 (英語)
- ネイビス観光局 (英語)
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