セルヒオ・バティスタ
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| 名前 | |||||||
| 本名 | セルヒオ・ダニエル・バティスタ | ||||||
| 愛称 | El Checho | ||||||
| ラテン文字 | Sergio Batista | ||||||
| 基本情報 | |||||||
| 国籍 | |||||||
| 生年月日 | 1962年11月9日(49歳) | ||||||
| 出身地 | ブエノスアイレス | ||||||
| 選手情報 | |||||||
| ポジション | MF | ||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||
| クラブチーム1 | |||||||
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| 代表歴 | |||||||
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| 監督歴 | |||||||
| 2000 2001-2003 2003 2004 2004-2005 2007 2007-2008 2010-2011 |
ベジャ・ヴィスタ アルヘンティノス タジェレス・コルドバ アルヘンティノス ヌエバ・チカゴ ゴドイ・クルス アルゼンチンU-20、U-23 アルゼンチンA代表 |
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| 1. 国内リーグ戦に限る。現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
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| オリンピック | ||
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| 男子 サッカー | ||
| 金 | 2008 | サッカー |
セルヒオ・バティスタ(Sergio Daniel Batista、1962年11月9日 - )はアルゼンチン出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(守備的MF)。
目次 |
[編集] 略歴
アルヘンチノス・ジュニアーズの一員として1985年に国内リーグとコパ・リベルタドーレスを制覇すると、僚友のクラウディオ・ボルギと共にアルゼンチン代表に抜擢、翌年のワールドカップ・メキシコ大会制覇に貢献した。
選手キャリアの後半には日本のJFL所属のPJMフューチャーズでプレーしていた。
引退後は指導者の道へ進み主にアルゼンチン国内のクラブを指揮した後、2007年からアルゼンチンU-20代表監督、またU-23代表監督を兼任。[1]、2008年8月、北京オリンピックでは同国を大会連覇に導いた。
2008年10月、ディエゴ・マラドーナ監督率いるアルゼンチン代表のコーチに就任。
2010年ワールドカップ・南アフリカ大会にて、アルゼンチンが準々決勝で敗退した後に、同年8月、マラドーナ監督の後任として、アルゼンチン代表暫定監督に就任し、11月1日に代表監督に就任した[2]。
しかし、地元アルゼンチン開催のコパ・アメリカ2011に於いて、準々決勝の対ウルグアイ戦に敗れた責任を取り、大会終了後の2011年7月25日に監督辞任を表明した[3]。
[編集] エピソード
現役時代はチェ・ゲバラを彷彿とさせる髭と長髪がトレードマークであった。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 選手時代
- プリメーラ・ディビシオン:3回
- 1984メトロポリタン(アルヘンティノス)、1985ナシオナル(アルヘンティノス)、1989-90(リバープレート)
- コパ・リベルタドーレス:1回(1985)
- FIFAワールドカップ:1回(1986 ワールドカップ・メキシコ大会)
[編集] 監督時代
[編集] 脚注
- ^ アルゼンチン監督にW杯Vのバティスタ氏 日刊スポーツ 2008年1月16日付
- ^ アルゼンチン代表、バティスタ氏が監督に 産経新聞 2010年11月2日閲覧
- ^ アルゼンチン代表バティスタ監督が辞任 日刊スポーツ 2011年7月26日閲覧
[編集] 外部リンク
- アルヘンティノス・ジュニアーズ公式サイトによる紹介(スペイン語)
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