セボルガ公国

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セボルガ公国
Principato di Seborga
Flag of the Principality of Seborga.svg
セボルガ公国の国旗
国の標語 : Sub umbra sedi
ラテン語 : 影の下に座る)
国歌 : ラ・スペランツァ
SeborgaMap.png
セボルガ公国の位置
北緯43度49分35秒東経7度41分40秒
公用語 イタリア語フランス語
元首 マルチェッロ1世[1][2]
人口 319 人[3]
建国 959年(歴史上)
1963年(独立宣言)
通貨 セボルガ・ルイジーノ
時間帯 UTC +1
国際電話番号 39
ウェブサイト 公式サイト

セボルガ公国(セボルガこうこく、イタリア語: Principato di Seborga)は、イタリア北西部のセボルガにある自称独立国(ミクロネーション)。人口は約320人。

目次

[編集] 概要

地中海沿岸のボルディゲーラの北東6km、音楽祭で有名なサンレモの西北西7km、標高約517mのところに位置する。

中世に独自の公国(公爵領)であった由緒と、現在のイタリア共和国につながる国家への編入過程が明確ではないという主張から、1963年にイタリア共和国からの「独立」を宣言した。ただし、諸外国の国家承認は全く受けておらず、またイタリア共和国政府との間には何の緊張もない。「公国」の住民はイタリア共和国に税を納め、イタリア共和国の国政選挙に参加し、イタリア共和国の行政サービスを受けている。イタリア共和国政府はリグーリア州内の一自治体・セボルガ村と見なしており、また実情としてもそうである。

農業と観光が主な産業である。「独立」の効果でセボルガは知られるようになり、イタリア国外からも観光客が訪れる。

[編集] 歴史

「公爵の宮殿」

[編集] 歴史上のセボルガ公国

中世、この土地はヴェンティミーリア伯の領地であった。954年の城塞と聖ミカエル教会の設立に始まり、959年ヴェンティミリアのサンミケーレ修道院の修道院長と、レリーノ修道院の司祭たちによって建国された。のちに公国として神聖ローマ帝国に編入された。1118年史上初の修道会(シトー会)の治める独立国となり、12世紀にはクレルヴォーのベルナルドゥスの支援もあり大いに栄えた。

1729年1月20日、セボルガはサルデーニャ王国ヴィットーリオ・アメデーオ2世に売却された。一般的にはこれによってセボルガはサルデーニャ王国に併合されたとみなされる。

[編集] 「独立」の経緯

1996年に発行された「セボルガ公国」の硬貨。ジョルジョ1世の肖像が刻まれている。

1960年代初頭、セボルガの花卉栽培共同組合長ジョルジョ・カルボーネが、セボルガが歴史上公国として持っていた独立を回復するべきだと主張するようになった。この主張は次第に受け入れられ、1963年、住民はこの主張を受け入れ、ジョルジョ・カルボーネを元首として選出し、「独立」が宣言され、ジョルジョ・カルボーネはセボルガ公ジョルジョ1世として「即位」した。以来、ジョルジョ1世は2009年に死去するまでセボルガ公の地位に在った。1995年、「公国」の憲法が住民投票で採択された(賛成304、反対4)。

しかしこれはセボルガが公国としての地位を持っていることを意味しない。何人かはこの主張を一種の民間伝承だと考えているし、イタリア政府はセボルガをイタリア領とみなしている。

[編集] ジョルジョ1世の死去

2009年11月25日、ジョルジョ1世が73歳で死去。ジョルジョ1世は生涯独身であったため後継者はなく、同年12月1日よりアルベルト・ロマーノ(Alberto Romano)が摂政として君主の地位を代行した。

2010年4月、31歳の実業家マルチェッロ・メネガット(Marcello Menegatto)が住民多数の支持を受けて「元首」に選出された。靴下会社の跡継ぎであるマルチェッロは、ジョルジョ1世の用いていた称号を引き継ぎ「マルチェッロ1世」(英語: His Tremendousness Marcello I)と名乗る。「ジョルジョ2世」とも「ナイロンの王様」ともあだ名されているマルチェッロは、新しいホテルの建設や観光業の振興、雇用の創出を掲げている[1][2]

[編集] 「公国」の地位

1729年1月20日、セボルガはサルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世に売却されたが、セボルガ「独立」派はこの売却によってセボルガがサルデーニャ王国領となったわけではないとし、独立の公国の状態を維持していると主張する。1814年ウィーン会議1861年イタリア王国建国(イタリア王国統一法)、1946年のイタリア共和国発足のいずれの時点においても、「セボルガ公国」について特段の言及はされておらず、セボルガはイタリア共和国の一部ではなく依然「独立国家」であるという論を補強している。しかし、これらの主張がいかほど正しかったとしても、現在主張される独立は、いかなる公式の法律にもよっていないことは明記すべきであろう。

イタリア共和国政府とセボルガとの間には何等の緊張もない。イタリア共和国の法、医療サービス、通信、学校、その他すべての公共サービスは、イタリアの他の地域同様に供給されている。住民はイタリア共和国の行政サービスを受け、政治的権利を行使しており、地方税と(イタリア共和国の)国税を納入している。たとえば2001年のイタリア共和国上院選挙でのセボルガでの投票率は、84.21%であった。

[編集] ギャラリー

[編集] 脚注

  1. ^ a b Nick Squires (2010年4月27日). “Tiny Italian principality announces new monarch called 'His Tremendousness'”. The Daily Telegraph. 2012年2月8日閲覧。
  2. ^ a b Ted Thornhill (2010年4月27日). “The King of Nylon: 'kingdom' of Seborga ruled by hosiery heir”. Metro. 2012年2月8日閲覧。
  3. ^ 2010年12月31日現在のセボルガ村(コムーネ)の人口。出典:ISTAT. “Demographic Balance for the year 2010 and Resident Population on 31th December” (英語). 2012年2月12日閲覧。

[編集] 関連項目

  • ミニ独立国 - 自治体が「独立」を宣言して地域振興を図る、日本での類例。
  • フィレッティーノ - 2011年にイタリア共和国からの「独立」を宣言、「フィレッティーノ公国」を称したラツィオ州のコムーネ。

[編集] 外部リンク

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