セボルガ公国

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セボルガ公国(Seborga)とは、イタリア北西部、地中海沿岸のボルディゲーラの北東6km、音楽祭で有名なサンレモの西北西7km、標高約517mのところに位置する、公国と自称し独立宣言を行った地域である。ただし、外国の国家承認は全く受けていない。主な産業は農業と観光。

セボルガ公国
Principato di Seborga
セボルガ公国の国旗
セボルガ公国の国章
国旗 国章
国の標語:Sub umbra sedi
(ラテン語: 影の下に座る)
セボルガ公国の位置北緯43度49分35秒東経7度41分40秒
セボルガ公国の位置
北緯43度49分35秒東経7度41分40秒
公用語 イタリア語
フランス語
君主 ジョルジョ1世
面積 14km²
人口 約2000
独立
 - 日付

959年
通貨 ルィジーノ
標準時 UTC +1
国歌 スペランツァ
国際電話番号 39

目次

[編集] 歴史

954年の城塞と聖ミカエル教会の設立に始まり、959年ヴェンティミリアのサンミケーレ修道院の修道院長と、レリーノ修道院の司祭たちによって建国された。のちに公国として神聖ローマ帝国に編入された。1118年史上初の修道会(シトー会)の治める独立国となり、12世紀にはクレルヴォーのベルナルドゥスの支援もあり大いに栄えた。

1729年サヴォイア公国に強制併合されたが、正式には認められず、1814年ウィーン会議によるこの地域のサルデーニャ王国への編入やイタリア統一時、イタリア共和国発足時においても、セボルガ公国の最終的帰属は正式に言及されなかった。

2008年現在、上記のような理由から、セボルガ公国はイタリアからの独立を主張しているが、イタリア側はセボルガ公国を一つの村と見做しているのが現状である。

[編集] 経緯

1960年代初頭、セボルガの花卉栽培共同組合長、ジョルジョ・カルボーネが、セボルガが歴史上公国としてもっていた独立を回復するべきだと主張するようになった。この主張は次第に受け入れられ、1963年、住民はこの主張を受け入れ、カルボーネを元首として選出し、独立が宣言された。以来、カルボーネはセボルガ公ジョルジョ1世を称している。1995年、公国の憲法が住民投票で採択された(賛成304、反対4)。

しかしこれはセボルガが公国としての地位をもっていることを意味しない。何人かはこの主張を一種の民間伝承だと考えているし、イタリア政府はセボルガをイタリア領とみなしている。

セボルガの独立についての議論は、1729年1月20日、サルデーニャ王ヴィットーリオ・アメデーオ2世にセボルガが売却されて以来、セボルガが独立の公国であると主張する。議論では、この売却によってセボルガがサルデーニャ王国領となったわけではないとし、1861年のイタリア王国統一法がセボルガに触れていないことを論の補強とする。しかし、これらの主張がいかほど正しかったとしても、現在主張される独立は、いかなる公式の法律にもよっていないことは明記すべきであろう。

またイタリア政府とセボルガの間には何等の緊張もない。イタリアの法、医療サービス、通信、学校、その他すべての公共サービスがイタリアの他の地域同様に供給されている。住民はイタリアの行政サービスを受け、政治的権利を行使しており、地方税と(イタリアの)国税を納入している。たとえば2001年のイタリア上院選挙でのセボルガでの投票率は、84.21%であった。

[編集] 産業

農業と観光が主な産業である。「独立」の効果でセボルガは知られるようになり、イタリア国外からも観光客が訪れる。

[編集] 日本との関係

2004年6月に「日本セボルガ友好協会」が発足し、現在は「セボルガ公国駐日通商代表部」が置かれている。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク