セバスティアン・エグレン

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セバスティアン・エグレン
ビジャレアル時代(2009年)
名前
本名 セバスティアン・エグレン・レデスマ
Sebastián Eguren Ledesma
ラテン文字 Sebastián EGUREN
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
 スウェーデン
生年月日 (1981-01-08) 1981年1月8日(43歳)
出身地 モンテビデオ
身長 186cm
体重 84kg
選手情報
ポジション MF (DMF)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1999-2002 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 36 (6)
2002-2003 ウルグアイの旗 ダヌービオ 27 (6)
2003-2004 ウルグアイの旗 ナシオナル 39 (5)
2005 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 23 (3)
2005-2006 ノルウェーの旗 ローゼンボリ 23 (0)
2006-2008 スウェーデンの旗 ハンマルビー 36 (13)
2008 スペインの旗 ビジャレアル (loan) 15 (0)
2008-2010 スペインの旗 ビジャレアル 46 (1)
2010 スウェーデンの旗 AIK 7 (0)
2010-2012 スペインの旗 ヒホン 49 (3)
2012-2013 パラグアイの旗 リベルタ 26 (4)
2013-2014 ブラジルの旗 パウメイラス 17 (2)
2015 アルゼンチンの旗 コロン 8 (0)
2015-2016 ウルグアイの旗 ナシオナル 11 (0)
1999-2016 通算 363 (43)
代表歴
2001-2013 ウルグアイの旗 ウルグアイ 54 (7)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年10月11日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

セバスティアン・エグレン・レデスマSebastián Eguren Ledesma, 1981年1月8日 - )は、ウルグアイモンテビデオ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。

妻はスウェーデン人であり、彼女の弟のセバスティアン・セナトレ英語版はウルグアイ生まれのスウェーデン人サッカー選手である。

経歴[編集]

クラブ[編集]

初期の経歴[編集]

1999年にモンテビデオ・ワンダラーズFCからデビューし、2003年に強豪ナシオナル・モンテビデオに移籍した。2004年にはコパ・リベルタドーレスに出場したが、2月12日のCDエル・ナシオナル戦後のドーピング検査でコカインの陽性判定が出て、6ヶ月の出場停止処分を受けた。エグレンはアンデス地方で広く飲まれているマテ茶(高山病の薬にもなる)が原因であると主張し、この試合が2800mの高地キトで行われた試合であったことなどから、出場停止期間は短縮された[1]。その後ワンダラーズに復帰するが、ノルウェーリーグ13連覇中のローゼンボリBKからオファーが届き、北欧のクラブへの移籍を決意した[2]。2006年途中にスウェーデンのハンマルビーIFにレンタル移籍すると、すぐにファンのお気に入りの選手となり、12月5日に3年契約での完全移籍を果たした。

ビジャレアルCF[編集]

2008年1月30日、スペインビジャレアルCFにシーズン終了までの契約でレンタル移籍した[3]マルコス・セナとセンターハーフのコンビを組み、チームの2位躍進に貢献すると、その活躍により5月20日に完全移籍し3年契約を結んだ[4][5]。移籍金は130万ユーロ。2008-09シーズンには、移籍したホシコが着けていた背番号6を継承した。12月6日のヘタフェCF戦では前半終了時点で0-3と大差をつけられたが、81分の自身による移籍後初得点などで3-3の引き分けに持ち込んだ。2009年2月25日のUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦パナシナイコスFC戦ファーストレグでは、フリーキックからヘディングでゴールを狙ったがポストに阻まれた[6]。4月7日の準々決勝アーセナルFC戦ファーストレグではフリーでヘディングを放つ場面があったものの決められなかった[7]。4月15日のセカンドレグでは相手選手を倒してイエローカードをもらった同胞のディエゴ・ゴディンへの判定に納得がいかずに審判に抗議し、自身が2枚目のイエローカードを受けて退場になった[8]。このシーズンはリーグ戦32試合に出場した。2009-10シーズンの10月22日、UEFAヨーロッパリーグ・グループステージのSSラツィオ戦で欧州カップ戦初得点を記録した。

しかし、2010年になると下部組織出身のブルーノ・ソリアーノにポジションを奪われ、イタリアのラツィオへのレンタル移籍がまとまりかけたが[9]、メディカルチェックで高血圧と診断されたため、移籍は破談となった[10][11][12]

AIKソルナ[編集]

2010 FIFAワールドカップのメンバー入りを心配し、2010年2月19日にスウェーデン覇者のAIKソルナと契約した。ビョルン・ウェストレームスウェーデン語版フットボールディレクターによれば、この移籍は厳密にはレンタル移籍ではなく、エグレンは同年7月1日までビジャレアルとの契約上の義務を負わないとされた。しかし、契約切れの1年前までにスペインに戻ることになっていた[13]。AIKはかつてエグレンが在籍したハンマルビーIFのライバルクラブであり、3月10日にはハンマルビーのサポーターがAIKの練習場に乱入して練習を妨害する事件が起こったため[14]、クラブはエグレンを警察の保護下に置くことを決めた[15]。AIKでは守備的ミッドフィールダーとして起用されることが多かったが、ミカエル・スターレスウェーデン語版監督は攻撃的ミッドフィールダーやセカンドストライカーとして起用することを好んだ。

スポルティング・デ・ヒホン[編集]

2010年7月7日、フリートランスファーでスポルティング・デ・ヒホンと3年契約を結び、スペインに舞い戻った[16][17]

クラブ・リベルタ以後[編集]

2012年7月26日、リーガ・パラグアージャクラブ・リベルタに移籍[18]。翌年7月からカンピオナート・ブラジレイロ・セリエBSEパウメイラスでプレーし[19]、1年でのセリエA復帰を経験した。2015年2月13日、アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンCAコロンに加入した[20]。同年7月25日に古巣であるナシオナルと契約を結び、10年振りに母国に復帰した[21]

代表[編集]

2001年7月13日、コパ・アメリカ2001グループリーグのボリビア戦 (1-0) に途中出場してウルグアイ代表初キャップを刻み、同大会で3試合に出場して準決勝進出に貢献した。最終選考で落選したために2002 FIFAワールドカップには出場できなかった。

北欧のクラブに移籍したためにしばらくの間は代表から遠ざかったが、スペインのビジャレアルCFに移籍して再招集されるようになり、2008年5月28日のノルウェーとの親善試合 (2-2) ではヘディングで代表初得点を挙げた[22]。8月にはキリンチャレンジカップのために来日し、日本戦 (3-1) で同点ゴールを決めた[23]。なお、この得点の7分前にはオウンゴールを喫している。2010 FIFAワールドカップ・南米予選の代表メンバーにも名を連ね、2009年9月9日のコロンビア戦では81分にクリスティアン・ロドリゲスに代わって途中出場すると、その6分後には試合を決定づける3点目を決めて勝利に貢献した。2010年6月に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップにも出場し、グループリーグのフランス戦 (0-0) に出場した。チームは準決勝に進出したが、フランス戦以外に出場機会はなかった。

2011年にはコパ・アメリカ2011に出場し、どの試合も途中出場だったが、母国の15回目の優勝に貢献した。

指導者[編集]

2015-16シーズン限りで現役を引退。翌シーズンよりナシオナルのアシスタントコーチに就任することが決定した[24]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

AIK
パウメイラス

代表[編集]

ウルグアイ

個人成績[編集]

代表での得点[編集]

# 日時 場所 相手 スコア 結果 大会
1. 2008年5月28日 ノルウェーの旗 オスロ ノルウェーの旗 ノルウェー 1-2 2-2 親善試合
2. 2008年8月20日 日本の旗 札幌市 日本の旗 日本 0-1 1-3 キリンチャレンジカップ
3. 2008年9月6日 コロンビアの旗 ボゴタ コロンビアの旗 コロンビア 0-1 0-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
4. 2009年2月11日 リビアの旗 トリポリ リビアの旗 リビア 0-1 2-3 親善試合
5. 2009年9月9日 ウルグアイの旗 モンテビデオ コロンビアの旗 コロンビア 3-1 3-1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
6. 2010年10月8日 インドネシアの旗 ジャカルタ インドネシアの旗 インドネシア 1-4 1-7 親善試合
7. 2012年6月10日 ウルグアイの旗 モンテビデオ ペルーの旗 ペルー 4-2 4-2 2014 FIFAワールドカップ・南米予選

脚注[編集]

  1. ^ El Villarreal ficha al mediocentro Sebastián Eguren Levante-EMV、2008年1月31日 (スペイン語)
  2. ^ footballista #144、ソルメディア、2009年11月25日号、10-11頁
  3. ^ Villarreal bring in Eguren UEFA.com、2008年1月31日
  4. ^ Eguren commits to Villarreal UEFA.com、2008年5月21日
  5. ^ livedoorスポーツ (2008年5月21日). “ビジャレアル、エグレンを完全移籍で獲得”. 2009年7月11日閲覧。
  6. ^ UEFA.com (2008年2月25日). “ビジャレアル、ロッシのPKで辛くも引き分け”. 2009年9月13日閲覧。
  7. ^ UEFA.com (2009年4月7日). “アーセナル、アデバヨールの活躍で引き分け”. 2009年9月13日閲覧。
  8. ^ UEFA.com (2008年4月15日). “アーセナルがビジャレアルに快勝”. 2009年9月13日閲覧。
  9. ^ “El Villarreal CF cede a Eguren a la Lazio” (Spanish). ビジャレアルCF公式サイト. (2010年1月27日). オリジナルの2011年7月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110727235958/http://www.villarrealcf.es/principal_n.php?nombreModulo=noticiasDetalle&idnoticia=9402&idseccion=7&idmenu=90&idsubmenu=125 2010年1月28日閲覧。 
  10. ^ “Lazio's deal for Eguren isn't done”. Football Italia. (2010年1月28日). オリジナルの2010年7月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100705034754/http://www.football-italia.net/jan28g.html 2010年1月28日閲覧。 
  11. ^ Sebastián Eguren i AIK till sommaren DN.se、2010年2月29日
  12. ^ W杯選手名鑑:セバスティアン・エグレン Goal.com、2010年5月9日
  13. ^ “"AIK är ett bra val för mig"” (Swedish). Svenska Fans. (2010年2月19日). http://www.svenskafans.com/fotboll/aik/artikel.asp?id=342126 2010年2月19日閲覧。 
  14. ^ Huliganer bröt AIK-träning DN.se、2010年3月10日
  15. ^ “Eguren tendrá protección contra los hinchas rivales” (Spanish). Diario AS. (2010年3月11日). http://www.as.com/futbol/articulo/eguren-tendra-proteccion-hinchas-rivales/dasftb/20100311dasdasftb_20/Tes 2010年3月12日閲覧。 
  16. ^ ウルグアイ代表MFがスポルティング・ヒホンへ Goal.com、2010年7月8日
  17. ^ Eguren se incorporó al Sporting ESPN、2010年7月31日 (スペイン語)
  18. ^ EGUREN ES DE LIBERTAD”. Club Libertad (2012年7月26日). 2016年6月22日閲覧。
  19. ^ Fã de música brasileira, Eguren mira títulos no Verdão e descarta ser ídolo”. Globo Esporte (2013年7月10日). 2016年6月22日閲覧。
  20. ^ Garra Charrúa”. C. A. COLÓN (2015年2月13日). 2016年6月22日閲覧。
  21. ^ Eguren llegó a Los Céspedes”. El País (2015年7月25日). 2016年6月22日閲覧。
  22. ^ UEFA.com (2008年5月28日). “親善試合で英国勢が勝利”. 2009年9月13日閲覧。
  23. ^ スポーツナビ (2008年8月20日). “日本、ウルグアイに1-3で敗れる”. 2009年7月11日閲覧。
  24. ^ Eguren: "Hace 10 días no había pensado en esto"”. Referi (2017年6月17日). 2017年10月11日閲覧。

外部リンク[編集]