スーパーマリン

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スーパーマリン (Supermarine) は1912年に設立されたイギリス航空機メーカー。第二次世界大戦時に活躍した戦闘機スピットファイアを製造したことで知られる。

沿革[編集]

1912年、飛行家ノエル・ペンバートン・ビリング (Noel Pemberton Billing) は輸送手段として飛行能力を持つボートの製造を夢見て、製作工場を設立した。1913年、ビリングは「スーパーマリン」を電信アドレスとして登録した。ビリングが最初に設計した「空飛ぶボート」、PB1は飛行できなかった。1914年6月、工場はサザンプトンのイッチェン川のウールストン埠頭に移された。第一次世界大戦の勃発により、ビリングは単座戦闘機PB9を製作、1914年8月に飛行に成功したが量産発注は受けられなかった。1916年に会社はスーパーマリン・アビエーション・ワークス社 (Supermarine Aviation Works, Ltd) と名を改め、ヒューバート・スコット・ペイン (Hubert Scott Paine) が社長となった。 第一次世界大戦中は飛行機の修理や海軍の実験を主に行い、推進式の単座戦闘機の設計も行った。この時期の最も成功した飛行機は単座推進式のN1bベイビー飛行艇だったが、その就役前に第一次世界大戦は終わった。

スーパーマリンは水上機のスピード・レースであるシュナイダー・トロフィー・レースにも意欲的に参戦した。1922年に前作シーライオン (Sea Lion) の改良型であるシーライオン IIで初めての優勝を飾った。シーライオン IIはスコットペインと1917年に入社したレジナルド・ミッチェル (Reginald J. Mitchell) が共同開発した。しかし、ミッチェルの設計として有名なのはSシリーズの活躍であろう。1927年のS.5、1929年のS.6、1931年のS6.Bと3年連続で優勝し、イギリスにトロフィーの永久保持権利をもたらした。

第一次世界大戦後は1925年から70機がイギリス空軍に就役したサザンプトンや、その後継機であるスカパ、第二次世界大戦直前まで使用されたストランレア、第二次世界大戦で使われたウォーラスといった飛行艇が代表作である。1928年、スーパーマリンはその株の大半を取得した大兵器企業ヴィッカーズ社の傘下に入った。

1934年、イギリス空軍は次期戦闘機仕様書F.37/34を提示し、スーパーマリンもミッチェルを主任技師としてタイプ 300という社内呼称でこれに応募した。ミッチェルはタイプ 300設計中から癌に侵されていたが、ナチス・ドイツの台頭に脅威を感じ自らの命を削る覚悟でタイプ300の設計を行った。タイプ 300の原型1号機K5054は1936年3月5日に初飛行し、同じマーリンエンジンを搭載し4ヶ月前に初飛行したホーカー ハリケーンを、最大速度で60km/hも上回る570km/hを記録するなどすばらしい性能を発揮した。タイプ 300は1936年6月3日、イギリス空軍に正式採用され310機の量産発注を得た。これがスーパーマリン最初の陸上戦闘機スピットファイア Mk.Iである。ミッチェルはK5054の成功とイギリス空軍 (RAF) の量産発注を得たことに安心したかのように生産1号機の完成を見ることなく1937年12月に42歳の生涯を閉じた。

スピットファイアは第二次世界大戦を通して改良を加えながらイギリス空軍の主力戦闘機として運用された。スピットファイアは空軍だけでなくイギリス海軍航空隊 (FAA: Fleet Air Arm) の艦上戦闘機シーファイアとしても使用された。最終型である艦上戦闘機シーファイア Mk.47は朝鮮動乱にも出動している。スピットファイアの後継機として開発されたスパイトフルとその海軍型シーファングは正式採用されることなく終わった。

戦後は、スパイトフルの主翼を流用した珍しい尾輪式のジェット艦上戦闘攻撃機シーアタッカー、短い生涯を通じてトラブルに悩まされ続けた後退翼ジェット戦闘機スイフト、亜音速艦上ジェット戦闘攻撃機シミターを製造した後、ヴィッカーズ社に吸収合併されスーパーマリンの名は途絶えた。

機体一覧[編集]

関連項目[編集]