スラックティビズム

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スラックティビズム: slacktivism)は、「怠け者(slacker)」と「社会運動(activism)」とを掛け合わせた合成語である。労力や負担を負わずに、社会運動めいたことをする行為を指す。

この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。こうしたスラックティビスト(スラックティビズムにあたる行為をする人)たちの行為は、多くの場合、個人の労力や負担を必要としない。

用法[編集]

「スラックティビズム」の早期の使用例には、バーナビー・フェダー(Barnaby Feder)によるニューヨーク・タイムズの記事(2002年5月29日)、「自分たちの望んでいるものに関心を持っていない人たち」がある。

フェダーは、詐欺撲滅運動家でen:Snopes.comのバーバラ・ミケルソン(Barbara Mikkelson)が上記のスラックティビズムの例であげたような行為をしている人々について書いた表現を引用した。「椅子に座ったままで何か善いことをしようという人々の欲望……スラックティビズムにはうんざり。(原文:It's all fed by slacktivism ... the desire people have to do something good without getting out of their chair.)」

アメリカ合衆国の日刊紙であるニュースデイ(en:Newsday)の記者モンティ・ファン(Monty Phan)も早期にこの用語を使っている。2001年2月27日の記事のタイトルを「ネットは、スラックティビズム/善い事をする人々 であふれている(原文:On the Net, "Slacktivism' / Do-Gooders Flood In-Boxes.)[1]」とした。 この用語は、社会に意味のある影響を与えていないのに、社会にとって良い活動をしたつもりになる自己満足的行為について、軽蔑を込めて使われている。

由来[編集]

この用語は、1995年のコーナーストーン・フェスティバルでドワイト・オザード(Dwight Ozard)によって造られたとされるが、その当時の意味は現在のもとは違う[2]:オザードは、社会的に組織するのではなく、個人単独で独自に樹を植えるような行為を指して、スラックティビズムと呼んだ。これは、若者世代は以前の世代に比べ社会運動に興味がないとする論調に対する反発であった。

2002年に、この用語は怠惰であることを基準に再定義され、広く使われるようになった。「スラックティビスト」は、直接的に社会運動を行うことを避け、余計ともいえるような、やってもやらなくてもよいことをやっている人々を指すようになった。

脚注[編集]

関連項目[編集]