ステファン・ピション

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ステファン・ピション

ステファン・ピションStéphen Pichon1857年 - 1933年)は、フランス政治家コート=ドール県生まれ。急進社会党所属の国民議会議員。ジョルジュ・クレマンソー内閣などで、三回に渡り外務大臣を務めた。

1900年駐在清国公使1906年第一次クレマンソー内閣の外相として入閣する。在任中は1907年に成立した三国協商にのっとり、対独政策を推進した。また、オーストリア・ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴビナ併合問題などの処理に当たった。対日関係では、日露戦争終了後、日仏間の関係改善に動いた。1913年ルイ・バルトゥ内閣で短期間、外相を務めた後、1917年三度外相に就任し、クレマンソーを補佐し、第一次世界大戦の終結に当たった。ただし、戦後のパリ講和会議ヴェルサイユ体制成立に当たっては、クレマンソーと意見が対立し、外交上の主導権が取れなかったとされる。

先代:
レオン・ブルジョワ
フランス外務大臣
1906年 - 1911年
次代:
ジャン・クルッピ
先代:
シャルル・ジョンナール
フランス外務大臣
1913年
次代:
ガストン・ドゥメルグ
先代:
ルイ・バルトゥ
フランス外務大臣
1917年 - 1920年
次代:
アレクサンドル・ミルラン