ステシコロス

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ステシコロス
誕生 紀元前7世紀
シケリア
死没 紀元前6世紀
活動期間 古代ギリシア
ジャンル 抒情詩
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ステシコロス(またはステーシコロス、古代ギリシャ語Στησίχορος, Stesichorus, 紀元前7世紀 - 紀元前6世紀[1])は古代ギリシア抒情詩人。シケリアのヒメラ(en:Himera)の出身。「ステシコロス」という名前は、「コロスを立てた者」という意味である。ヘレニズム時代のアレクサンドリアの学者たちはステシコロスを9歌唱詩人の1人とした。他の8詩人同様、ステシコロスの作品のほとんどは失われているが、断片や、後世の著作での引用や説明を通じて、現代でも知られている。

トロイア戦争を扱ったいくつかの詩がステシコロスの作品と考えられ、他にも、アイスキュロスの『オレステイア』はステシコロスの同名作品の影響を受けたものだと信じられている。また怪物ゲーリュオーンについての詩も断片が残っていて、12の功業の10番目の命令として、ゲーリュオーンの赤い牛を盗むことになったヘラクレスがゲーリューオンを倒す、という内容である。

ステシコロスはまた、そのパリノード(パリノーディアー、改詠詩)と、それを取り巻く伝説でも有名である。伝えられるところでは、ステシコロスはヘレネとトロイア戦争の伝統的な物語について否定的な詩を書いたところ、たちまち盲目になってしまった。そこでヘレンについての非難を撤回するパリノードを作ったら、奇跡的に視力が戻った、ということである。以降、ステシコロスは本当のヘレネはエジプトに残り、その父ゼウスが作った幻がトロイアに行ったという考えを推し進めた。プラトンは『パイドロス』の中でステシコロスのその断片の出だしを書いて現在に伝えている。「その話は真実にあらず/汝ヘレネはよく漕ぎ進む船には乗らず/汝トロイアの町にも行かず」[2]

一般に、ステシコロスの作品はホメロスの作品と密接に対応していると言われている。ステシコロスは叙事詩的なテーマを好んだが、ホメロスと違い、性愛詩で有名である。アテナイオスは、ステシコロスの恋愛歌は有名で、パイデイア(paideia)とパイディカ(paidika)として知られる種類のもの、すなわち少年愛の歌だったと言及している[3]

脚注[編集]

  1. ^ 英語版、ギリシア語版では紀元前640年 - 紀元前555年。ドイツ語版では紀元前630年頃 - 紀元前556年頃と、ばらつきがある。
  2. ^ プラトン『パイドロス』243b.
  3. ^ Percy, pp.167-168

参考文献[編集]

  • プラトン『パイドロス』藤沢令夫・訳(岩波書店)
  • M. Davies, Poetarum Melicorum Graecorum Fragmenta (PMGF) vol. 1, Oxford 1991: testimonies of his life and works pp. 134-151, fragments pp. 152-234 (previously D. L. Page, Poetae Melici Graeci (PMG), Oxford 1962, and Supplementum Lyricis Graecis (SLG), Oxford 1974).
  • D. A. Campbell, Greek Lyric III: Stesichorus, Ibycus, Simonides and Others (Loeb Classical Library).
  • G. O. Hutchinson, Greek Lyric Poetry: A Commentary on Selected Larger Pieces (Alcman, Stesichorus, Sappho, Alcaeus, Ibycus, Anacreon, Simonides, Bacchylides, Pindar, Sophocles, Euripides), Oxford, 2001.
  • Anne Carson, Autobiography of Red.
  • Percy, William A. Pederasty and Pedagogy in Archaic Greece, pp. 146-150.