スティエパン・メシッチ

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スティエパン・メシッチ

スティエパン・メシッチクロアチア語:Stjepan Mesić、1934年12月24日 - )は、クロアチア政治家大統領自由主義・親西側派の民族主義者であり、クロアチアのNATO加盟を支持している。

1970年代初め、ユーゴスラビアにおけるクロアチアの権利平等を求める反政府運動(いわゆる「クロアチアの春」)に参加。禁固2年の判決を受け、1年間服役した。釈放後、法学者として働き、科学活動に従事した。

1989年、クロアチア民族運動「クロアチア民主協力(HDZ)」(後に政党化)の創設に参加し、書記、後に党執行委員会議長となった。

1990年、メシッチは共和国政府を率いユーゴスラビア社会主義連邦共和国幹部会の議員となった。

憲法上の議長交代制度に従って1991年5月15日にユーゴスラビア幹部会議長となった。最後の国の指導者となる希望を再三表明し、ユーゴスラビアの分割に参加。

1992年、独立したクロアチア共和国の議会議長。1994年、HDZの政策、特にボスニア問題への不同意により解任。

1997年5月、ハーグ裁判所に自発的に出廷し、ボスニア・ヘルツェゴビナ内でのクロアチア人部隊の活動について証言した。HDZを脱党し、クロアチア独立民主(HND)党を設立。同年、HND解散後にクロアチア国民党(HNS)党員となり、HNSのザグレブ市支部を率いた。

2000年2月7日、クロアチア共和国大統領に選出。

2005年1月17日、投票数の66%を得票し、大統領に再選。2005年の大統領選での公約は、クロアチアのEU加盟と欧州民主国家の地位獲得だった。

パーソナル[編集]

クロアチア、オラホヴィツァ村出身。1961年、ザグレブ大学法学部卒業。

英語を話し、ロシア語も少し話せる。

先代:
ボリサヴ・ヨヴィッチ
ユーゴスラビア最高会議幹部会議長
1991年6月30日 - 1991年10月3日
次代:
ブランコ・コスティッチ(代理)
先代:
ズラトコ・トムチッチ(代理)
クロアチア共和国大統領
2代:2000年2月7日 - 2010年2月18日
次代:
イヴォ・ヨシポヴィッチ