スタジオぬえ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

株式会社スタジオぬえは、東京都練馬区下石神井に本拠を置く、主にSF作品を中心とした企画制作スタジオ。練馬アニメーション協議会会員。

略歴[編集]

1970年松崎健一を会長に、SFイラストなどを中心とする同人会「SFセントラルアート」が発足。

松崎と他の主要メンバー、高千穂遙(当時は本名の竹川公訓)、宮武一貴加藤直之は大学卒業を機にプロとしての活動を目指し、1972年に有限会社「クリスタルアートスタジオ」を設立する(初代社長は竹川)。初期は、TVプロデューサー野田宏一郎に紹介された子供向け番組ひらけ!ポンキッキ』の美術・イラスト制作を主業としていた。

1974年にクリスタルアートスタジオを発展解消する形で、スタジオぬえへと移行する。

SFマガジンをはじめとして、早川書房の国内外のSF文庫など多数のSF小説、ムック等の表紙・挿画等の制作のほか、SF作品のビジュアル解説も多数手がけ、日本のSFアート分野では武部本一郎らに続く次世代の担い手として認められていく。とりわけハインラインの小説『宇宙の戦士』の挿絵用にデザインしたパワードスーツは、『機動戦士ガンダム』のモビルスーツに大きな影響を与えたとして、今日でも高く評価されている。

アニメーションの分野では『ゼロテスター』で、日本のアニメでは初めて外注のメカニックデザインを担当(ジョン・デドワ名義)。以後『宇宙戦艦ヤマト』、『宇宙海賊キャプテンハーロック』などの松本零士作品や、日本サンライズ(現サンライズ)のスーパーロボット系作品で、サブメカデザインや文芸設定などを担当。映画『スター・ウォーズ・シリーズ』や『機動戦士ガンダム』の影響で日本中にSFブームが広がると、次第に裏方からファンに認知される存在となった。

1980年代には企画業にも進出。とりわけ企画母体として初の原作となったテレビアニメ『超時空要塞マクロス』は斬新な発想で「スタジオぬえ」の名を一躍有名にし、その後も一連のマクロスシリーズを生み出すことになる。また、高千穂遙の小説『クラッシャージョウ』、『ダーティペア』も日本を代表するスペースオペラ作品として、テレビ、映画、OVAでシリーズ展開され人気を博した。

1990年代以降はメンバーの個人活動が中心となるが、今日まで様々なSF作品に関与し続けている。

特色[編集]

SFアート[編集]

SF作家の小松左京が『SFセミナー』において「日本のSFアートは『SFマガジン』の創刊から始まった」と語っている様に、SFアートという分野では、ぬえ設立の時点で既に真鍋博武部本一郎、金森達といった先人の活躍があった。

ぬえの初期メンバーは1968年公開のSF映画『2001年宇宙の旅』でのあまりにも衝撃的なビジュアル革新の直撃を受けた世代であり、SF小説の挿絵にとどまらず、特にテレビアニメを始めとするビジュアルの仕事への進出を特徴としていた。先の世代と異なりまずSFファンダムがあってそこから登場したよりマニアックな集団であり、当時の最新SF情報を活かして各方面でよろず屋的に仕事を開拓してゆき、時にはSFアートというよりも、そのSFアートがビジネス・商業作品として成り立つ様にするべく、まずSFという概念自体を一般大衆へと紹介し普及させる事が仕事という状況も見られた。テレビアニメの演出では長浜忠夫監督らに重用され、ロボットの透視図解など作品世界を拡げる優れたアイデアを提供した。現在のロボットアニメやSF作品における数々のノウハウにも、ぬえが生み出したアイデアが原点になっているものが少なくない。現在の日本アニメ業界でも一大ジャンルとなっているロボットアニメの文化の一翼を自ら作り上げた存在として、この意味でのアニメ業界における功績は大きい。

しかし、その一方で、スタジオぬえはあくまでSF企画スタジオであり、アニメーション本編の実制作を担うプロダクションではなかったことから、ぬえ所属のデザイナーがテレビアニメや玩具の製作の現場の実情を把握していたとは到底言い難い一面も垣間見られ、初期の作品では、メカ類のデザインについても、制作サイドの現実に即したものではなく自らのSF理論や理想を優先させたデザインや、当時の制作現場の必要や理解能力を遥かに超える膨大な情報量を折り込む傾向が少なからず見られた。実際、アニメの制作現場ではその特徴を指して「ぬえメカ」と呼ばれ、デザインは秀逸で未来的であっても、設定が詳細に過ぎて線が多く、複雑かつ稠密で作画に時間を要する上、情報・設定が細かく詰め込まれ制作現場の裁量で加減できる部分が少なく、面倒この上ないとして、特に制作組織の末端で実際の作画作業を行うアニメーターたちからは不評を買う存在であった。フリーランスのアニメーターの賃金体系は基本的に作画した枚数がそのまま収入金額に直結するものであることから、手間と時間のかかるメカ類の作画は嫌がられる傾向があり、「ぬえメカ」はある意味でその様な現実にぬえスタッフの理想を押し付けるもので、制作現場の末端の現実に則していないものであった。また、立体化をする玩具メーカーの設計担当者からも、商品化への挑戦意欲は掻き立てられるデザインであるが、ぬえ側の要望をそのまま満たすとパーツが細かくなる事から、金型などの設計や組み立て作業が複雑になりコストダウンの障害になる上、小児向け玩具では重要な要素である可動性や耐久性、ひいては安全性の確保が難しいと、お世辞にも好評とは言い難かった。このため、ぬえスタッフのデザイン・発想・着眼点を秀逸なものと認めながらも、起用に二の足を踏む会社や監督は決して珍しくなかった。ぬえと繋がりが比較的深いはずの日本サンライズでさえ、『機動戦士ガンダム』では高千穂遥から最初のヒントを得た企画であるにもかかわらず、実際の作品制作に当たっては現場やスポンサーの要望で大河原邦男をメカニックデザインに起用するという状況が見られた。

この様な実制作の現場が持て余してしまうほどの稠密なデザインや設定は、実際のアニメ・玩具として製品が完成した時にはぬえスタッフの意向に反して大きくオミットされていたり、作りやすい方向へとアレンジされる事も珍しくなかった。これは細かい所まで探せば1980年代までのぬえが関連した作品のほとんどで見られ、特に顕著な例として『超合体魔術ロボ ギンガイザー』がある。また、ぬえのデザインでアニメを制作したプロダクション側でも、その後に続けてメカニックデザインとしてぬえを起用する所と起用しない所が比較的はっきりと分かれる傾向があり、極論すれば外注として長年に渡って継続的に起用し続けているのはサンライズくらいである。

初期との比較において、現在のぬえ系デザイナーのデザインはアニメ・玩具製作サイドの現実に多少なりとも則したものになってきたとされる。また、めえ自身も少なからぬ功績を果たしたSF文化の発展や、デジタルアニメやゲームのCG制作技術の進化、玩具の成型技術の進展、制作機器の高性能化・電子制御化、関連商品がターゲットとする対象年齢の変化などによって、ぬえメカの持つ豊富な情報について、以前よりもストレートに反映させ、なおかつそれが受容やすい環境が整ってきた事も事実ではある。しかし、それでもマニアックなSF知識や豊富な情報量が詰め込まれた設定や稠密なデザインは随所に健在であり、現在でも時としてアニメーター泣かせ・モデラー泣かせ、などと言われる事がある。

スタジオぬえ批判[編集]

ぬえのデザインの魅力として、絵的な格好良さで誤魔化さず、メカの構造や機能性を捉えて描く点が挙げられる。ただし、ジャンルによってリアリティーのさじ加減は変えている。デザインベースとして先端技術を取り入れるため宇宙開発専門家や軍事評論家、防衛産業技術者らと定例会合を開き、情報交換やブレインストーミングを行っていた。また、日本で見られないNASA関連の資料をアメリカへ渡って入手するなど、当時としては精力的な情報収集も行っていた。

この姿勢に対し、1982年にコアなSFファン向けのSF専門誌『SFイズム』誌上において、スタジオぬえのデザインが理詰めではないとして批判が繰り広げられた。大友克洋のSF漫画『武器よさらば』に登場するプロテクター・スーツと対比する形で、ぬえ版の『宇宙の戦士』のパワード・スーツが実際には人間の骨格では装着できないとの指摘があった。同時にスタジオぬえの『SFマガジン』の連載記事で披露された宇宙戦艦論などを批判する投稿記事「スタジオぬえ批判」が連載された。

同様にぬえのデザインについては、当時盛んに用いられた概念である「SFマインド」の有無についての批判や論争も、数多くのアニメ趣味誌やSF趣味誌で見られた。ただし、ぬえのメンバーについては、高千穂を筆頭に当時の「SFマインド」肯定派の一翼を担っていると見られていた人物たちではある。

その他[編集]

  • 社名の「ぬえ」とは、日本の伝説上の妖怪」を指す。これは改組当時の主要メンバーのあだ名である生き物、(高千穂)、ゴキブリ(松崎)、タヌキ(宮武)、吸血コウモリ(加藤)を掛け合わせ“実体の掴めない”そのイメージから命名されたもの。
  • 企画への参加、受注した仕事など、メンバーは基本的に個別に活動している。初期のアニメ作品では会社名のみがクレジットされたが、後に個人名+スタジオぬえという形で表記されるようになった。
  • SFセントラルアート時代から会誌「クリスタル」を発行し、ファンとの月例交流会クリスタルコンベンション(通称クリコン)を開催していた。参加者には天野喜孝出渕裕らもおり、その中から河森正治細野不二彦佐藤道明森田繁らぬえの第二期メンバーが輩出されている。
  • 細野と佐藤、瑞原芽理は「まんが部門」に属していた。細野は高千穂原作の『クラッシャージョウ』でデビューするまで、ぬえで修業を積んでいた。
  • 学生たちの同人活動の組織が母体という点ではぬえの後続集団であるDAICON FILMの才能を買い、山賀博之庵野秀明らを関西から呼び寄せて『超時空要塞マクロス』の制作を手伝わせた。のちに『新世紀エヴァンゲリオン』などを制作するガイナックスの誕生に寄与したという功績も考えられる。
  • 『超時空要塞マクロス』はぬえの代表作となったが、これは本来ぬえの面々が企図していた「シリアスでSFマインドに溢れたハードSF」企画『ジェノサイダス』に対してスポンサーとなる広告代理店・玩具会社などからの反応が鈍かったため、『ジェノサイダス』実現に向けたプレゼンテーションの注目をまず集めるための当て馬ダミー企画として、一夜漬けで気楽に考え出したパロディ満載の企画『メガロード』が発端であった。だが、これが彼らの期待にある意味では反して広告代理店ビックウエストの目にとまり採用される一方、肝心の『ジェノサイダス』が不採用になってしまった。そこで急遽『メガロード』をベースにパロディ要素を取り除きリアルロボット系作品へと仕立て直し結実したのが『超時空要塞マクロス』であり、その様な経緯を辿ったがゆえにシリアスさと軽妙さが入り混じった独特の作風になったという逸話がある。
  • 『超時空要塞マクロス』第1話では、主人公一条輝バルキリーが墜落して、架空のぬえ社屋を破壊するというお遊びのシーンがある。
  • SFではないが、1978年放送の『まんが日本絵巻』第17話『妖怪ぬえ退治 源頼政』に登場する妖怪「ぬえ」はスタジオぬえが外注としてデザインしている。これは、『まんが日本絵巻』の総監督の石黒昇が、過去に『宇宙戦艦ヤマト』で演出を務めていたことから同作に関与していたぬえスタッフと面識があり、そこから起用したものである。

主なメンバー[編集]

主な作品[編集]

アニメーション[編集]

特撮[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

  • 1976年 『グランドマーク』(SFマガジンでの連載、全2話計10回)

ゲーム[編集]

  • 1988年~ディガンの魔石(アーテックとスタジオぬえが提携し制作された)
  • 1991年~ガデュリン(上記ディガンの魔石の世界観を継承した続編)

玩具[編集]

解説書[編集]

  • 1978年 『SFワンダーランド』(広済堂豆たぬきの本116。構成は松崎健一。宮武一貴、加藤直之らのイラストで多数のSF作品を紹介)
  • 1978年 『宇宙でパズル』(広済堂豆たぬきの本124。構成:松崎健一、イラスト:細野不二彦)

関連項目[編集]

関連人物[編集]